細胞が叫ぶほどの恋を貴方と
今でこそ何でも本を読むけれど、昔はそうではなかった。
特に「~だわ」や「~かしら」という文体の小説が苦手だった。普段話すときの言葉遣いではないから、台詞がすっと心に入って来なかったのだ。
大学生の頃、わたしは長期休暇の度にリゾートバイトという、観光地で期限付きのアルバイトができるというシステムを利用して、沖縄に滞在していた。
日中はホテルで働き、夜や休日は観光に出かける。海も山も歴史もあるその島は音楽で溢れ、外国人も多いため英語を話す機会もあった。
仕事も観光も勉強もできるその生活の中で、恋人もできた。
ライブハウスで知り合った出演者で、ギターとパーカッションと三線という特殊な編成のバンドメンバーだった。
明るくアクティブで野性的な彼の猛アプローチを受け、付き合い始めた。
長期休暇が終わると遠距離恋愛になったけれど、それでも上手くいっていると思っていた。
けれど二十一歳の夏、再び沖縄を訪れても、なかなか彼と会えない。なんでも「小説家の先生が滞在していて、オレらの音楽を気に入ってくれたから、こっちにいる間色々案内したい」とのことだった。
わたしはその小説家の「だわ」や「かしら」などを多用する文体が苦手だったから、彼女が書いた小説を読んだことはなかったけれど、有名な先生だ。そんな人に認めてもらったなんて凄いことだ。
だから彼と会えないことも我慢した、のに。
わたしが我慢していた間、彼とその小説家は関係を持っていた。
その小説家はわたしの存在を知らないだろう。でも知らなければ奪っても仕方ないわけではない。わたしはわたしなりに彼を想い、大事にしていたというのに、呆気なく奪われ、彼との仲は修復不可能になった。その小説家を心底嫌悪し、彼女が書く小説は生涯読まないと誓った。
でもあれから七年が経ち、わたしはあの小説家以外の、「だわ」や「かしら」の台詞が多用される小説を、抵抗なく読んでいる。
そして思う。時間とともに変化したわたしも、そのうち奪う側になってしまうのではないか、と。誰かから、知らず知らずのうちに、大事な何かを。それを心底、恐れていた。
その恐れが現実になってしまった。わたしは知らず知らずのうちに、香代乃さんから、大事な夫である末永さんを奪ってしまったのだ。
その事実に愕然とし、崩れるようにベッドに沈んだ。