恋、煩う。
「俺のこと、頼ってください。俺は、沙織さんのためならどんなことだってしてあげられる」
それが方便だとは思わなかった。
きっと、この肚の底で塒を巻く想念をぶつければ、少しは楽になるのだと思う。
でもこんなぐちゃぐちゃな気持ちのまま、なんの整理もついてないのにぶつけて、楽になって、それでその後はどうしたらいいの?
「……沙織さん」
焦れたように、絶妙な幼さを含んだ甘え声がこちらを揺すぶる。
頑なに閉じた扉を優しく、だけど抗えない力でこじ開けてくるかのようで、固く引き結んだ唇は、段々と震えていた。
もう、いっそぶつけてしまおうか。
その後のことは一旦置いといて、ここまで来ても絶対に無理強いはしない彼の情の深さを信じて、今だけは何もかも捨てて飛び込んでしまおうか。
一度気持ちが傾いてからの瓦解はあっという間で、戦慄く唇を開き、彼の手を握り返そうとしたその時。
「──何してるんですか?」
飛び込んできた声に、氷水を頭から浴びせられたように熱が消失した。
声のした方に勢いよく頭を振れば、そこに立っていたのは買い物帰りであろう米山さんの姿だった。
大ぶりのピアスを揺らし、いくつかのショッパーを腕に引っかけ、こちらを怪訝そうに見ている。
そしてその眼差しは、まるで握り合うかのような私たちの手に目を留めると、瞬時に鋭くなった。
「課長、何してるんですか?」
彼女の怒りの矛先は、真っ直ぐに私を向いた。
サア、と血の気が引き、すぐに応えられなかったのが恐らく拙く、鋭い視線は燃えるような感情を灯す。
「この前、仲良いですよねって聞いた時はなんでもないような態度とってたくせに、上司と部下が、しかも既婚者がこんな事していいと思ってるんですか」
「ちが……」
違うの、と弁明しようとした言葉は、「離れてください!」とヒステリックな声に遮られてしまった。
目を怒らせる彼女は周りが見えていないようで、大声に釣られた衆目も気にせず、ただ恋敵である私に憎悪の矢を放ってくる。