恋、煩う。

まあ、さすがにもう帰るつもりだったからいいけど、と強がりながら冷たい風を顔に受けた瞬間。

「やっと捕まえた」

ぐい、と強く引っ張られ、その勢いのままふわりとした肌触りにダイブしてしまう。
慌てて体勢を整えながら顔を上げると、ギラギラと飢えたような視線に喰われる錯覚を覚えた。

「ま、松崎くん」
「二人きりになるのは久しぶりですね」

一瞬前まで余裕のない顔をしていたのに、すっと綺麗な笑みを貼り付け、しかし掴まれた手には痛いほどの力が込められている。

「皆ならもう居ませんよ。俺が帰したんで」

思わず藁をも掴む思いで周りに視線を巡らせてしまった私を、松崎くんはぴしゃりとやっつけた。

「い、痛いから離して……」
「嫌です。離したら逃げるでしょう。追いかけますけどね」
「……」

もう、ひとつも私の言うことは聞く気がないようだ。
ここまで退路を断たれるのは初めてで、最早黙るしかなくなってしまう。
松崎くんはやがて、息を吹きかけたら消えてしまいそうなほどにか細い声を落とした。

「どうして……全部、一人で決めちゃうんですか。あんなメッセージ一つで、俺がどんな気持ちになったかも知らないで……」
「か、勝手でごめんなさい。でももう、私のことは忘れてほしいの。こんな関係に巻き込んで、本当にごめんなさ、」
「忘れられるわけがないでしょう!」

もう解放されていいんだよと。
自分を犠牲にしてまで、私を大事にしようとしてくれなくていいんだよと。
そう、伝えたかった言葉は彼の咆哮で失われてしまった。
こんな大きな声を出されたのは初めてで、頭の中が真っ白になる。
その場に立ち尽くす私を、峻烈な視線で彼は睨むように見た。

「俺は、沙織さんに同情してたわけじゃ無いです。沙織さんが好きで、どうしても欲しかったから、貴女の弱っているところにつけこんだんだ。沙織さんは、ただ俺が優しいだけだと思ってたかもしれないですけど、全然ですよ」

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