恋、煩う。

「いつも、こんなところで息を潜めながら泣いていたんですか」
「え、っと……」
「涙は我慢しない方がいいです。泣くなら思い切り。そっちの方がすっきりしますよ。でも俺、そんな時に沙織さんを一人にしたくない」

だから、と微かに震えた声が耳朶を撫でる。

「泣きたい時は俺を呼んでください。……いや、俺がまた、こうやって抱きしめにきます」

何それ、と笑おうとして、冗談はやめて、と突き放そうとして、失敗した。
衒いのない優しさが、亀裂だらけの心に痛いほど沁みて。こんな風に甘やかしてくれる存在が、あまりにも久しぶり過ぎて。すでに崩れ落ちていた膝を叩いて立ち上がるような力は、もう残っていなかった。
そんな私の心情を見透かすように、彼の腕の力が更に強まる。

「俺が誰も来ないように見張ってます。だから、思い切り泣いていいですよ。……こうしていれば、大きな声を出しても大丈夫」

渇いた筈の涙が、一筋、頬に路をつくる。
それを皮切りに、次から次へと雫が生まれては零れ落ちて、嗚咽と共に彼のシャツに吸い込まれていった。

窓を強く叩く雨音に、穏やかな彼の呼吸音、そして子供のようにしゃくり上げる自分の泣き声。
いくつかの音だけが世界を支配する、彼との始まりはそんなとある日の夜だった。







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