恋、煩う。
確かに、笹野部長が本社から優秀な子を引き抜いたってすごく嬉しそうにしていた記憶はある。
興奮冷めやらぬといった様子の部下をあしらいながら話半分で聞いていると、ふと、フロアの入口がざわめいた気がした。
そして、目の前で顔を赤くした部下と、「竹内~!」とこちらを呼ぶ大きな声。竹内は私の苗字だ。
「そんな大きな声出さなくても聞こえてますって……」
噂をすればなんとやらだ、と呆れながら振り返り──心臓が止まってしまったかと思った。
「じゃ~ん! こちら、来月から俺の部門で働く松崎隼人くんだ! お前の元部下だったんだってな? どうだ、驚いたか!」
残念だけど俺のだからあげないよ、なんてこちらを揶揄う声にも、反応できない。
「沙織さん、」
柔らかく陽の光を吸い込む暗褐色の双眸も、私を慈しむような視線も、あたたかな声も、何もかもあの頃のままで。
滲んだ視界に、破顔した愛しい人の顔が映る。
飛び込んでくる大型犬のような体躯を腕を広げて受け止めながら、くしゃくしゃになった顔で、彼の名前を呼んだ。
end.