恋、煩う。
心臓に悪い艶を帯びた眼が逸らされ、いつの間にか火照っていた頬をぺたりと触って冷ましていると、田中に絡まれていた松崎くんの視線が一瞬だけこちらに流される。ぱちりと避ける暇もなく視線が絡み、ふっと柔らかく笑んだ眼差しが油断していた心に刺さった。
折角落ち着いていたのに、カッと耳が熱くなる。
すぐに外された視線だったけれど、私の心はしばらく奔馬のように逸っていて、だから気が付かなかった。
大きな黒目がちの瞳が、じっとこちらを見ていたことに。
仕事は元々好きだった。忙しいのは性に合ってたし、上司にも恵まれて、二年前に女性としては最年少で課長に抜擢してもらえた。
期待された分だけ返したいと思うし、課長とはいえ、最年少には最年少なりの悩みもあり、気づけばいつもオーバーワーク気味になってしまう。
「やば、もう八時か……」
キリの良いところで手を止め、画面右下の時刻表示を見て呟く。
いつの間にかフロアで最後の一人になっていて、自分の頭上以外の電気も消えている。
基本的にホワイトな会社だから、繁忙期でもない限りは皆ほとんど定時で上がっていく。あんまり残業ばっかりしてると部長に怒られるよなあ。そう思いながらもこれからあの息が詰まるような家に帰らないといけないのかと考えると気が進まなかった。
「やっぱりまだ残ってた」
ひとまずタイムカードは切っちゃおう。と立ち上がったのと、自分以外の声が聞こえてきたのは同時だった。
椅子から立ち上がりかけた体勢のまま入口へと目を向けると、松崎くんが微苦笑を浮かべながらそこに立っていた。
「松崎くん!」
「また詰めてたんでしょう。適度に休まないと駄目って言いましたよね」
「う……ごめんなさい」
これから帰る所だったんだよ、なんて言い訳は社内で独りぼっちとなっている時点で無効だろう。
素直に謝ると、隣までやってきた松崎くんが、手早くシャットダウンし、パソコンをぱたんと閉じた。
「さ、手伝いますから、片づけてもう帰りましょ」
「うん……」