恋、煩う。
二人で片づけるとあっという間で、最後に社内の戸締りをチェックしてから、梅雨明けの蒸し暑い夜の中へと足を踏み出す。
歩幅を合わせながらゆったりと歩く松崎くんに、そういえば、と声を掛けた。
「今日、定時で帰ってなかった?」
すると、相変わらず優しい眼差しの中に少しだけ咎めるような色を宿した双眸がこちらを向く。
「帰りましたよ。でも、沙織さん、連絡したのに全然返してくれないから」
「えっ!? わ、ほんとだ……ごめん、全然気づかなかった」
詰るような声に慌ててスマホを取り出すと、確かにいくつかの通知が残っていた。
「ちょっと心配になって、忘れ物を取りに来るフリをしながら戻って来たんです。もう、沙織さんしか居なかったけど」
「そっか……ありがと」
こちらを案じるような視線に、反省しなきゃと思う裏で膨れるような幸福感が胸の内を満たす。それと同時に、足取りは更に重たくなった。
もう、駅が近い。
こんな時ばかりは駅から近い好立地な自分の会社が恨めしくなる。
やがて遠目にも駅が見えてくるようになり、行き先が真反対の彼との別れを予感して自然と顔が俯いた。
「……沙織さん」
「うん?」
パンプスのつま先を眺めながらアスファルトを踏みしめていると、不意に名前を呼ばれて顔を上げる。
どこか緊張したような、隠しきれない熱を孕んだような視線が絡んで、思わず呼吸を止めた。
「少しだけ、寄っていきませんか」
どこに、とは問わなくても分かっていた。
もう遅いけど、でもまだ八時半だ。でもな……と悩んでいると、静脈の浮いた広い手が私の一回り小さなそれを包み込むように握る。
すり、と指の腹を薄い皮膚に擦りつけられ、擽ったさに身を捩ると、逃がすまいとするように力を込められた。