恋、煩う。
「お腹空いたでしょ。俺、何か軽く作りますね」
「あ、手伝うよ!」
「いーから、沙織さんは休んでて」
会社の最寄りから数駅。徒歩の時間を含めても三十分はかからないところに、彼のアパートはある。
先に靴を脱ぎ、上がり框に上がったところでふと、松崎くんが足を止めた。
ストラップを外そうと前屈みになる私に降り落ちてきた影。不思議に思い顔だけを上げると、「ん」とダボっとしたパーカーに包まれた両手が広げられていた。
「んぇ、な、なに?」
「充電。先にしましょ?」
さも当然かのように首をこてんと傾げられる。
でもそんな、付き合いたてのバカップルみたいな……旦那と恋人同士だった頃にも、したことがない。思わず頬がじわりと熱を生む。
「い、いい。大丈夫」
さすがに恥ずかしくて咄嗟に断ると、薄い唇がへの字に曲がった。
「俺が充電したいんですけど。俺が大丈夫じゃないから」
仕事中は絶対聞くことのできない駄々っ子のような声に、不覚にもときめいてしまう。
普段は隙も欠点もない敏腕部下のくせに、時々……いや、かなりの頻度でこうしてアラサー女のツボを突いてくるような真似をするのだ。
「もう……」
黒のストラップから指を離し、つま先を少しだけ押し上げて手を伸ばす。
ふわりと包み込むように抱きしめられて、ほっと体中から力が抜けるようだった。
仕方ないなあという態度を装いつつ、実際に触れ合いを求めているのは、心地よい温もりに飢えているのは私の方で、それも全部お見通しなのだろう。
「お疲れ様、沙織さん」
「うん……」
ここが私の帰る場所ならいいのに。
そう思いながら、渇いた心に恵みを注ぐように、私は彼の胸板へ鼻先を擦りつけた。
それから、松崎くんは私をソファーに座らせると、鼻歌を歌いながら手際よくパスタを作ってくれ、隣り合って座りながらお手製の和風パスタを一緒に食べた。後片付けを申し出た私も制した彼は、食後に温かい紅茶を淹れて、また身を寄せ合うように隣に座る。
惰性で流れているだけのテレビをぼんやりと見ながら両手でティーカップを持ち、時々何を言うでもなく、甘えるようにお互いに寄りかかっていた。