押しかけ婚〜あなたの初恋相手の娘ですが、あなたのことがずっと好きなのは私です
残念ながら堀さんは今夜は休みだと言われた。外部委託の警備会社なので連絡先もわからない。
仕方なく私はチョコレートをまたロッカーへ戻して帰ることにした。

「片桐さん」

電車で帰り、マンションの前まで来ると名前を呼ばれて振り向くと、そこにまた橘さんが待っていた。

「橘様、ここで何を?」

私の住むマンションがどうしてわかったのか。先週の金曜日もこうして声をかけられた。偶然だろうか。

「君を待っていたんだ」
「私を? なぜ」
「なぜって、チョコレート、喜んでくれた?」
「え、チョコレート・・・あれ、橘様が?」
「好きでしょ、前にデパートで買っていたよね」

そう言って更に近づいてくる。
一見にこやかな表情で話しかけてくるので、周りは誰も変に思っていない。

「え、な、なぜ」
「君のことはいつも見ているから」

それを聞いて全身に寒気が走り、一気に体温が下がるのを感じた。

「わ、私の彼と言ったのは」
「少し早いけど、いずれそうなるから」

熱い視線を私に向けて根拠のない未来を語られ、私は恐怖で固まってしまった。マンションのエントランスはすぐそこだが、そこへ行くまでに鍵を取り出さなくてはいけない。走って鍵を出し、扉の内側に辿り着くまで逃げ切る自信がない。

「な、なぜ私が、あなたと」
「だって、初めて会った時、君は僕を見て微笑んでくれただろう? あの笑顔を見て思ったんだ。君は運命の人だって」
「い、いえ・・あれはお客様全員に向けているもので」
「本当にね、いくら銀行の方針だからって、嫌な客もいるのに、それに君の笑顔を他の人間に向けられるのは正直に言えば気に入らない。でも、仕事だから嫌な客にも愛想をしなければならない。本当なら僕だけに微笑んでいたいだろうに」

じりじりと彼から遠ざかろうとする。でも彼も一歩一歩近づいてくる。
遂に手の届く距離にまで来る。

「さあ、片桐さん、いや、友梨亜」
「いや!」

私の腕を掴もうとした手を払い除ける。

「友梨亜、ほら、いい加減怒るのをやめて」
「何を言っているの」
「ちょっと仕事で忙しかったからって拗ねないでくれよ」

目の前のこの人は何を言っているのだろう。

「ほら、機嫌を直してくれよ」
「いや、触らないで、誰か」

運悪く今夜は宅配も無く、住人も誰一人出入りしていない。

「お前、何しているんだ!」

もう一度私の腕を伸ばそうと手を伸ばしてきた時、大きな影が私と橘さんの間に割って入った。

「し、しいちゃん」

背の高いしいちゃんが立っているので一瞬怯んだ橘さんが、威嚇するように詰め寄った。

「誰だお前は!」
「オレは大澤真嗣。片桐友梨亜の身内だ」

グレーのジャケットを羽織ったしいちゃんは、私を背中に庇い橘さんから見えないように立ちはだかった。

「身内?」
「そういうあんたは?」
「ぼ、いやオレは彼女の恋人の橘 圭吾だ」
「恋人?」

肩越しにチラリとしいちゃんが私を振り返る。
「違う」

私はぶんぶんと頭を左右に振った。

「だそうだが」
「彼女は照れてるんだよ。そうだよな、友梨亜」
「しいちゃん、信じて彼は銀行に来るお客さん。それだけ」
「友梨亜、何を」
「そういうことだ。オレは友梨亜を信じる」
「お、お前こそ、彼女を呼び捨てにするな」

橘さんが拳を作り、頭ひとつ高いしいちゃんを威嚇するも、しいちゃんは一歩も怯まない。

「そっちこそ、気安く彼女の名前を呼び捨てにするな」

それどころか彼の腕を掴んで上に引っ張り上げた。

「イ、イタイ! やめろ!」

肘の辺りを掴んでそのまま後ろへ捻り、橘さんは痛みに叫び声を上げた。

「いいか、お前のやったことは充分犯罪だ。二度と彼女にこんなことをしてみろ、その時はオレが黙っていないぞ」

彼の耳元に顔を寄せ、低い声で威嚇する。さっきの橘さんの威嚇が弱い者の無駄吠えなら、しいちゃんのは野獣の咆哮に聞こえた。それから彼の胸元を探り、財布を取り出した。

「あ!」
「ふうん、橘 圭吾さんね。これは名刺? へえ、司法書士。いい資格持っているね」
「や、やめろ」
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