アオハルリセット
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気分が晴れないまま、スーパーで詩用のフルーツゼリーを購入して、帰宅した。詩はあれから部屋から出てこないらしい。
「私、詩と話してこようか?」
「その前に少しだけいい?」
リビングのダイニングテーブルに座り、お母さんと向かい合う。
「さっき詩の担任の先生に今週は休ませるって連絡を入れたの」
「……先生はなんて?」
「学校で最近詩の様子はどうでしたかって聞いたんだけど、心あたりはないみたい」
普段から私もお母さんも詩とよく話す。それでも詩の異変に気づけなかった。
それに担任の先生っていっても二年生になってまだ一ヶ月くらいしか経っていないので、クラスのこと把握しきれていないのかもしれない。
「できれば詩と話がしたいから、自宅に行っていいかって聞かれたんだけど、断った。さすがに詩の意見を聞かずに了承するわけにもいかないから……」
「それも含めて詩と話してみるね」
私は立ち上がって、二階へと続く階段を上っていく。
詩が今なにを抱えていて、どうして学校へ行きたくないのか。それを聞いて、今後のことを考えていかないといけない。
詩の部屋のドアをノックしてみたけれど、応答がない。もう一度ノックしてから「入るよ」と言って、部屋のドアを開ける。
カーテンが締め切った薄暗い部屋の中には。ベッドの上に体育座りをしている詩の姿があった。
詩を別人のように感じた。
よく笑って明るい詩が、無表情で視線は床をじっと見つめている。私が部屋のドアを開けたのに、微動だにしない。
「詩……ごめん、勝手に開けて」
普段なら「もー、勝手に入らないでよ!」と言ってくるのに、今はなにも返ってこなかった。
「これ、よかったら食べて。詩が好きなフルーツゼリー」
ベッドの隣にあるローテーブルの上にゼリーとスプーンを置く。詩と視線を合わせるようにしゃがみ込むけれど、私が視界に入っているはずなのに見えていないみたいだ。
「学校でなにがあったの?」
〝学校〟という言葉に、詩の眉がぴくりと動いた。
「クラスでのこと? それとも部活? さっき担任の先生から電話きたみたいで、詩と会って話したいんだって」
「……ぃ」
「え?」
「っ、話したくない!」
詩が声を荒げたことに驚いて、私は床にへたりと座り込んでしまう。こんなふうに感情的に怒鳴る詩を見るのは、初めてだった。
「誰とも会いたくないし、誰とも話したくない!」
「……せめてなにが原因なのかだけでも教えて?」
「……出ていって」
「詩」
「出ていけ!」
枕が勢いよく私の顔に飛んできた。鼻が押しつぶされ、頭がぐらりと揺れる。
「い、った……」
枕をぶつけられた痛みよりも、詩に拒絶をされたという衝撃の方が大きい。階段を駆け上がる足音が聞こえてきて、すぐにお母さんが部屋に入ってきた。
「どうしたの?」
ベッドの上に座って私を睨みつけている詩と、床に座り込んでいる私を交互に見たお母さんが、困惑した様子で私に手を差し伸べてくれる。
私を立たせると床に転がっている枕を詩の元へと戻し、お母さんは詩の頭をそっと撫でる。
張り詰めていたものが切れたのか、詩は手で顔を覆って肩を震わせた。
「お願い……ひとりにして……っ」
お母さんが私の肩を抱きながら、詩の部屋を一緒に出る。無言のままリビングへと戻ると、申し訳なさそうにお母さんが保冷剤を冷凍庫から持ってきてくれた。
「さっきの枕、投げられたの?」
「……うん。私が無遠慮に聞きすぎた」
「ごめんね、奈菜。痛かったでしょう」
保冷剤を握りしめながら、私は首を横に振る。目頭に涙が溜まって、瞬きをするとぽろりと頬に伝った。
詩は私になら話してくれると思っていた。私は自分のことを過信しすぎていたのかもしれない。幼い頃から仲がいい姉妹で、なんでも話せる仲。そんな風に思っていたのは私だけだったのかもしれない。
その日の夜。お母さんは詩の部屋の前にご飯を置いていた。
詩はあまり口をつけていないみたいで、ほとんど残っていたらしい。家の中は灯りが消えたみたいに暗く静かだった。
ベッドに入っても、なかなか寝つけない。詩からの初めての拒絶と、なにも気づけなかったという後悔で涙が溢れてくる。
いつから苦しんでいたんだろう。
——詩ちゃんは我慢強いから。
昨年亡くなったおばあちゃんの言葉を不意に思い出す。
母方の祖母の家が徒歩で行けるくらい近いこともあり、おばあちゃんっ子な詩は頻繁に会いに行っていた。
そんなおばあちゃんが昨年の春に体調を崩して入院をした。そのときおばあちゃんは自分の身体のことよりも、詩のことを心配していた。
『詩ちゃん、あまり眠れていないみたい』
『そうなの?』
『寝不足のとき、三重になるのよ。それに無理して元気なフリをしているときもわかりやすいの』
『おばあちゃんは凄いなぁ。私一緒にいるのに気づかなかった。さっきだって普段と変わらなく見えたよ』
詩はいつも元気で、家族の前で弱音を吐くことはほとんどない。
『詩ちゃんは我慢強いから。きっと弱さを見せるのが怖くて、辛いときになかなか泣けないのよ』
その言葉の意味をわからずにいると、おばあちゃんは寂しそうに微笑んだ。
『……もっと傍にいてあげられたらよかったんだけど』
『おばあちゃん』
私は咄嗟におばあちゃんの手を握った。長年の水仕事によってカサついているおばあちゃんの手には無数の皺が刻まれていて、指の節々の骨がぽっこりと出て痩せている。だけど温かさも、包み込んでくれるような優しさも幼い頃に繋いだときと変わらない。
『でも菜奈ちゃんが一緒にいてくれるから、大丈夫ね』
まるで自分がいなくなることを確信しているような発言に私の不安が募っていく。
『……寂しいこと言わないでよ』
『菜奈ちゃんは泣き虫ねぇ』
クスクスと笑いながらおばあちゃんは抱き寄せてくれた。その温もりを、私は今もまだ忘れることができない。
——真っ暗闇の中、私は枕を抱きしめながら涙を流す。
「……ぅ……っ」
おばあちゃん、ごめんね。
私が一緒にいても詩が苦しんでいたことに気づけなかった。
おばあちゃんだったら詩の異変に気づけたのかな。
——学校休んじゃダメ?
詩が休みたかったのは〝なんとなくサボりたい〟からというわけではなかった。
——こんなんじゃ、嘘なんて見抜けないと思うけど。
その通りだった。ダウトアプリなんて使っても人の嘘なんて見抜けない。
もしも、私が詩の気持ちを察することができたら、今とは状況が変わっていたのだろうか——。