アオハルリセット
それから人と過ごしていても警戒するようになってしまった。
せっかくクラスの子たちと打ち解けてきたけれど、盗撮している犯人がいるのかもしれない。
「小坂さんって、中学の頃やばかったって聞いたけど」
「いじめてるグループにいたし、気をつけた方がいいよ」
廊下ですれ違った女子たちから逃げるように歩く速度を上げる。周囲が白く光るたびに、ますます人が信用できなくなっていく。
……どうして人は嘘をつくんだろう。
学校の中でも、SNSの中でも嘘は溢れている。
だけど誰かが自信を持って発言している内容を、嘘だと見抜くのは難しいときだってある。
ポケットに入れていたスマホが振動をして、足を止めた。
おそるおそる取り出して通知を確認する。ショップのお知らせで、身体の力が抜けていき壁に寄り掛かった。
盗撮画像がまたいつ送られてくるのかと、不安で通知を頻繁に確認してしまう。それにあれ以来香乃と少し距離を置いているとはいえ、SNSをチェックしていないといけない。
数時間アプリを開かないだけで、タイムラインは流れていく。
香乃の投稿や、トワの投稿、そして周囲の投稿を見ていないと、置いていかれる。また香乃から最近低浮上だと指摘されてしまうかもしれない。
だけど時々、この時間に囚われている自分を馬鹿馬鹿しく思うこともある。
人と繋がっていたいけれど、繋がりは心を消費する。なにもかもが楽しいわけではない。
——アカウントを全て消してしまおうかな。
そしたら盗撮も送られることはなくなる。
だけど、SNSを消しても、根本的な問題はなにも解決しない。学校の中で盗撮しているのは誰なのかもわからないままだ。
「清水さん」
「え……」
いつのまにか伊原くんが目の前にいて、一歩後ずさる。考え事をしていたので声をかけられるまで全く気づかなかった。
「体調悪いの?」
「ううん、大丈夫」
誤魔化すように笑って見せたけれど、信じていないのか伊原くんは眉間にシワを寄せている。
「ちょっと考えごとしてて」
「なにかあった?」
「……SNSを続けることに疲れちゃって」
追及するつもりはないらしく、伊原くんは「そっか」とだけ返した。
やめたい理由を問いただされなくて、ほっとする。
「無理して続けるものじゃないし、一旦離れるでもやめるでもいいと思う。俺も時々めんどくさいなーって思うしさ」
「……伊原くんもそう思うことあるんだ」
伊原くんのいるグループの男子は、休み時間によく遊びで動画を撮り、SNSに載せて盛り上がっているイメージだったので意外だ。
「あるある。あの人のリプにはすぐ返してたのに、自分には反応遅いとか言われたり、いいね欄見られることもあったし」
なんとなく相手は女の子で、伊原くんに気がある子ではないかと勘ぐってしまう。
「なんで俺のいいね欄を見てるのかわかんねーけど、この投稿にいいねしてたよねとか指摘されると、微妙な気持ちになるっていうか」
好きな男の子とのことを些細なことでも知りたくて、そしてその些細なことで感情がかき乱される。彼の中の特別がなんなのか、なにに関心がるのか、話題を増やしたくてチェックする。
されている本人にとっては不快なことでも、恋愛に心を焦がしている女の子はついやってしまうのかもしれない。
「別に見ちゃいけないものじゃないけどさ」
私は伊原くんとSNSのアカウントを教え合っていない。もしも知っていたら、リプライに反応がもらえなかったときかなり落ち込むとは思う。
「まあでも、相手も悪気があるわけじゃないだろうし。それなら自分がいいねとかリプライ控えればいいかなって思って、最近はトワとかの情報確認アカウントみたいになってるなー」
「……そうだったんだ」
SNSの使い方に悩んでいる人は、私が思っているよりもきっとたくさんいる。離れる人もいれば、複雑な感情を飲み込んで続ける人もいるのだろう。
「まあでも特に女子同士は大変そうだよな」
「……消してしまいたいって思うのに、結局ログインしちゃうんだ。アオハルリセットをする勇気もなくって」
中毒症状のように我慢できなくなって開いて、誰かの言葉を見て勝手に疲弊する。
それに決断をすることが苦手でつい後回しにしてしまう。だらだらと引き伸ばしても、なにも変わらないのに。
「勇気が出ないうちはする必要もないんじゃない? そういうのは気持ちが整ってからでいいと思う」
頭ではこうするべきだと理解していても、私の気持ちはまだごちゃごちゃだった。伊原くんが私の迷いを見抜いたのかはわからないけれど、無理に決断をする必要もないと言ってもらえて、先ほどよりも気が楽になってくる。
「そうだね。しばらくは様子をみて、それから決めることにする」
今までの〝見なければいけない〟という習慣ではなくて、少しずつ〝見たいときに開く〟に変えていきたい。
「そうだ! 清水さんに見せたいものがあったんだ」
「私に?」
「じゃんっ!」
伊原くんがスマホの画面を私に向ける。
「清水さん、動物の動画見るの好きって言ってたから、これ撮ってきた!」
そこにはマルチーズが映っていて、最近よく画像を見せてもらっていたのですぐに伊原くんの愛犬のちゃこだとわかった。
「もしかして、ちゃこの動画撮ってきてくれたの?」
「見る?」
「うん! 見たい」
伊原くんが動画の再生ボタンを押すと、ちゃこが小走りでぐるぐると駆け回る。おもちゃで遊びながら、伊原くんの手に戯れて甘えている様子がかわいくて、自然と顔が綻ぶ。くりっとした黒い瞳で、白い毛は見るからにふわふわとしていそう。
「仕草が本当かわいい!」
「なにかしてほしいとき、すぐ上目遣いしてくんだよ」
「こんな顔されたらお願い聞いちゃうよね」
「……うん、かわいすぎておやつあげた」
伊原くんはちゃこを相当かわいがっているようでデレデレだ。普段の彼とはまた違う一面が見れた。
「楽しめた?」
「うん! ありがとう。すっごくかわいかった!」
小学生の頃に詩と犬を飼いたいと強請ったことがあったけれど、お父さんが犬を苦手で許可が下りなかった。だけどこうして動画を見るだけでも癒される。
「それならよかった」
伊原くんと、視線が交わる。急に落ち着かない気持ちになって、瞬きをしながら目を逸らしていく。
意識しすぎて伊原くんに悟られたくないので、髪の毛で隠すように顔を斜め下へと傾ける。気持ちを押し込めて気軽に話したいのに、なかなか感情のコントロールがうまくいかない。
「あ、伊原―。数学のノートありがとな。机置いておいた」
同じクラスの男子が伊原くんに声をかけた。授業中寝ていることが多く、ノートを全く提出していなかったので先生から叱られていた人だ。
「おー、了解。俺が忘れたときはよろしく〜」
「まじ? 俺の字、読むの難解だけど」
会話をしている伊原くんとクラスの男子から、一歩後ろへと下がって距離をとる。
同じ空間にいるけれど、私はどこか場違いだ。
会話に入っていけるほど、言葉の選択肢が思い浮かばないし、この男子と気さくな間柄でもない。気を遣わせることがないように、そっとこの場を離れた方がいいかもしれない。
男子がちらりと横目で私を見たことに気づき、足の爪から頭のてっぺんまで一気に石化する。
なにか声をかけられるかもしれないと身構えた。
「伊原と清水って、最近仲良いよな」
思いもよらぬ発言に結んでいた唇がわずかに開き、ぽかんとしてしまう。
「なんだよ、急に」
「もしかして付き合ってんの?」
「へっ?」
伊原くんよりも先に素っ頓狂な私の声が出てしまった、
冗談でからかっているだけなのかもしれない。けれど、どう返したらいいのかと狼狽えてしまう。
すると伊原くんが、眉根を寄せてため息を吐いた。
「ただの友達だから、そういうのじゃないって」
その瞬間、白く光る。
もしも嘘が見えなかったら、きっと私は言葉の意味をそのまま受け取ってショックを受けていた。
——ただの友達。それが嘘なら、どういう意味?
伊原くんが私を嫌っているようには思わない。
もしもいい意味の方だとしたら……?
「なんだ。伊原の好きな人って清水なのかと思ってた」
「っ、違うって! その話終わり! 清水さん、こいつの言うこと気にしないで! 冗談だから」
また伊原くんの周囲が光って、隠し切れないほどの動揺が心臓を震わせる。
「う、うん。大丈夫! じゃあ、私行くね」
視線を合わせることもできず、すぐに背を向けて廊下を早歩きで突き進んでいく。
心臓が飛び出そうなほど何度も跳ねて、思考がまともに働かない。手には汗が滲んで、頬が燃えるように熱い。
どうしよう。これは勘違いではないかもしれない。
廊下の突き当たりに差し掛かり、階段を上がっていく。行くあてはないけれど、今はとにかく頭を冷やしたかった。
「清水さん!」
階段を数段のぼったところで、名前を呼ばれておずおずと振り返る。
走って追ってきたのか少し髪が乱れている伊原くんが視界に映り、心臓が再びどくんと音を鳴らした。
「ごめん!」
「え?」
なにに対しての謝罪なのか見当がつかない。むしろ咄嗟に逃げだした私の態度の方がよくないはずだ。
「清水さんの気に障るような言い方したかもって思って。それにああいうからかいみたいなの嫌だろうなって」
「えっと……それは気にしてないから、大丈夫だよ」
伊原くんはちらりと私を見やり、すぐに視線を逸らす。
「……それならよかった」
いつも明朗快活な伊原くんが、どこか自信なさげで口調も弱々しい。けれどよく観察すると、ほんのりと紅潮しているよう見える。
「わ、私こそ……話の途中で抜け出しちゃってごめんね」
「ううん、平気」
視線が合うと、目尻を下げて微笑まれた。
心臓の鼓動は相変わらず騒がしいけれど、自分の感情がすっと心に落ちてくる。
——好き。
意識し過ぎないために触れないようにしていた想いを認めると欲が生まれる。
伊原くんのことをもっと知りたくて、私のことも知ってほしい。
私は自分に自信が持てないけれど、伊原くんと会話をしている自分のことはいつもよりも好きになれる。
「伊原くん」
人の気持ちを、嘘を通して覗き見てしまうのはずるいことだ。けれど、このままなにも知らないフリなんてしたくない。
「私……伊原くんと話せるようになれてよかった」
伝えるのは苦手でうまく表せない。だけど、私なりの想いを言葉にしていく。
見守るように待ってくれている伊原くんの眼差しは優しくて、無性に涙がでそうになる。
「人見知りで話も下手な私と友達になってくれて、ありがとう。私、伊原くんのことが、その……」
たった二文字。けれど、なかなか口に出せない。
「——っ」
予鈴が鳴り響き、私と伊原くんは無言のまま見つめ合う。
だめだ。完全にタイミングを逃してしまった。
勇気が萎んでいき、代わりに恥ずかしさが風船のように膨れ上がっていく。
「ご、ごめん。教室戻ろう」
階段を下って伊原くんの横を通り過ぎようとしたとき、腕を掴まれた。
「待って」
振り返ることもできず、固まってしまう。ドキドキしすぎて、呼吸がうまくできない。
「あとで話したい」
伝えようとした言葉の続きだと察して、私は頷くことが精一杯だった。