アオハルリセット
***
「うわ、旨そ〜」
翌日の昼休み、伊原くんを誘ってまた一緒に食べることになった。目を輝かせながら期待してくれている彼に申し訳ない気持ちになる。詩監修とはいえ、作ったのは私なので、野菜の形が不揃いで味の保証はない。
「でも私が切ったから形は昨日のより悪いし、味ももしかしたらちょっと違うかも……」
昨日と同じ二階の踊り場で食べることになったけれど、今日は人が多い。食堂でソフトクリームが販売されない日ということや、外は雨が降っているせいもあるだろう。少し声を張らないと会話ができないほど賑やかだ。
「いただきまーす」
詩に形にばらつきがありすぎると指摘された人参を早速伊原くんがお箸にとって、口に入れる。
咀嚼を繰り返して、そのまま目を見開くと口を手で覆って固まってしまった。
「え、なに、味変!?」
一応味見をして少し濃いものの、物凄く不味いわけではなかった。けれど、一晩たってなにか変化があったのかと、あたふたとしてしまう。
そんな私の様子を見ていた伊原くんは、目を細めて親指を立てる。
「旨い!」
そのリアクションに緊張で強張っていた身体の力が抜けていく。
「も〜……びっくりした! からかわないでよー!」
軽く伊原くんの腕を叩くと、何故か無邪気に顔を綻ばせた。
「清水さん、最近だんだん打ち解けてきた」
「え、そうかな? 伊原くんには結構打ち解けてた気がするけど」
「いやぁなんか、遠慮してるとこあったからさ」
「伊原くんは人のことからかうの意外と好きだよね」
ムッとしながら横目で睨んでみても、それすらも嬉しそうで伊原くんには全く効いていない。
「あ、そのレンコン!」
私が間違えて小さく切りすぎてしまったレンコンがよりにもよってお弁当に入ってしまっていた。朝急いでいたので、詰めたときには気づかなかった。
「これだけかなり小さい」
「ま、間違えちゃったの!」
「味は変わらないから大丈夫だって。……うん、これも旨い」
味は詩のおかげで食べれない味にはならなかったけれど、形はバラつきがあって料理が不得意だということを曝け出してしまっている。こんなことならもう少し練習してからにすればよかった。
「そういえば、今朝学校くるのいつもより遅かったよな」
今朝、時間が過ぎても朝の待ち合わせ場所に香乃は現れなかった。
メッセージを送っても既読にならず、私はギリギリまで待っていた。そのため、普段よりも登校時間が遅くなってしまったのだ。
「うん。ちょっと……お弁当の準備で手間取っちゃって」
その瞬間、自分から白い光が漏れる。顔が引きつり、お箸を持っている手を止めてしまう。
香乃を待っていて遅くなってしまった。それを伊原くんに話すのは抵抗があった。信用していないわけではないけれど、私たちの問題に巻き込むのは気が引けるし、私が伊原くんに話していることを知れば、余計に香乃との溝が深まってしまうかもしれない。
「そっか。煮物、また食べさせてくれてありがとう」
「……ううん、私の方こそありがとう。作りすぎちゃったから、伊原くんが食べてくれてよかった」
こうして私も嘘をつくのだと実感してしまう。周囲の嘘が見えて勝手にショックを受けていたけれど、みんな様々な事情がある。
『いつも人に合わせてて、自分の意見なかったくせに』
香乃あの投稿を思い出して、針に刺されたように胸が痛む。
合わせていたことに香乃は気づいていた。私は今まで自分の心にたくさんの嘘をついてきていたのだ。人に合わせて同意しているふりをして、本心では別の考えを持っていることだってあった。
私たちの関係が壊れていたのは、本当はもっと前からだったのかもしれない。
お弁当を食べ終わって教室へ戻ろうとしたときだった。教室へ入る直前、伊原くんが立ち止まって振り返る。
「伊原くん?」
「……ちょっと水道で手洗っていい?」
「え? う、うん」
そのまま水道がある方へと歩いていってしまう。突然の行動や表情に違和感を覚えながらも、私は伊原くんの後を追っていく。
そしてひとりの女子の前で足を止めた。
「っ、なに?」
「水道使いたいんだけどいい?」
いつもの伊原くんではない。声が硬く、冷たさを感じる。その女子は酷く困惑しながら横にズレようとした。
「なあ、今なんか撮ってた?」
なにを意味する言葉なのか、すぐに察して私は絶句する。
伊原くんが声をかけたのは——香乃だった。
「は? なに言って、あ……っ」
動揺したのか、香乃の手からスマホが滑り落ちてしまった。私のつま先にスマホが当たる。画面は真っ暗になっているけれど、下の方に赤いボタンが表示されていて、秒数がカウントされていく。
「動画機能になってるのはなんで」
目を細めて伊原くんが上から覗き込むと、香乃は慌ててスマホを拾い上げてひっくり返した。
「勝手に人のスマホ覗くのやめてくれない? 誤タップしただけなんだけど」
香乃の周囲には白い光が浮かび上がる。
誤タップというには無理がある。数分動画が回っているとわかる秒数が表示されていた。
「……香乃が盗撮してたの?」
声を振り絞るように言うと、香乃は語気を強めながら私を睨みつける。
「は? いきなりなんなの?」
「じゃあ、どうして動画なんて撮ってたの?」
私の質問に答えることなく香乃は踵を返して行ってしまう。すぐに追いかけようとしたけれど、教室に逃げ込まれてしまった。
このまま問い詰めたら間違いなく注目を浴びる。だけど、あまり事を大きくしたくはない。
「あの人、清水さんと仲いいの?」
「うん。中学から一緒で仲良かったんだけど最近いろいろあって……」
伊原くんに好意を寄せている女子が犯人ではなかった。むしろ原因は私だ。
「ごめんね、巻き込んじゃって」
「いや、そんなの気にしくなくていいよ。盗撮してる方が問題なんだし」
「でもどうして撮られてるって気づいたの?」
昨日昼食をとっているときにシャッター音に反応してしまったけれど、実際盗撮されていたときに音が聞こえたことはなかった。
あの秒数的に少し離れた位置から録画を開始してたので、今まで撮られてたの気づかなかったのだと思う。
「スマホが不自然に向けられるのに気づいて、俺が近づいたら挙動不審になったからもしかしてって思って」
「……そういうことだったんだ」
顔よりも下の位置でスマホを使うときは画面が斜めに傾く。けれど、香乃は垂直に持っていた。今思うと不自然だ。
「大丈夫?」
「……ちょっと驚いちゃって」
衝撃はすぐには消えなかった。けれど予鈴が鳴り、私は気持ちの切り替えができないまま自分の席についた。
トワのリスナーのゆーかちゃんから、香乃が鍵垢の暴露アカウントを作っている犯人の可能性が高いという話は聞いていた。けれどどこか私は自分が知っている香乃と切り離して考えていたのだ。
矛先が私に向けられて、初めて香乃の危うさを実感する。
不釣り合いだと傷つけることを書いて、見張っているとアピールするように頻繁に画像を送ってきていた。
あの捨て垢を通して、香乃は私になにをしたかったんだろう。
「うわ、旨そ〜」
翌日の昼休み、伊原くんを誘ってまた一緒に食べることになった。目を輝かせながら期待してくれている彼に申し訳ない気持ちになる。詩監修とはいえ、作ったのは私なので、野菜の形が不揃いで味の保証はない。
「でも私が切ったから形は昨日のより悪いし、味ももしかしたらちょっと違うかも……」
昨日と同じ二階の踊り場で食べることになったけれど、今日は人が多い。食堂でソフトクリームが販売されない日ということや、外は雨が降っているせいもあるだろう。少し声を張らないと会話ができないほど賑やかだ。
「いただきまーす」
詩に形にばらつきがありすぎると指摘された人参を早速伊原くんがお箸にとって、口に入れる。
咀嚼を繰り返して、そのまま目を見開くと口を手で覆って固まってしまった。
「え、なに、味変!?」
一応味見をして少し濃いものの、物凄く不味いわけではなかった。けれど、一晩たってなにか変化があったのかと、あたふたとしてしまう。
そんな私の様子を見ていた伊原くんは、目を細めて親指を立てる。
「旨い!」
そのリアクションに緊張で強張っていた身体の力が抜けていく。
「も〜……びっくりした! からかわないでよー!」
軽く伊原くんの腕を叩くと、何故か無邪気に顔を綻ばせた。
「清水さん、最近だんだん打ち解けてきた」
「え、そうかな? 伊原くんには結構打ち解けてた気がするけど」
「いやぁなんか、遠慮してるとこあったからさ」
「伊原くんは人のことからかうの意外と好きだよね」
ムッとしながら横目で睨んでみても、それすらも嬉しそうで伊原くんには全く効いていない。
「あ、そのレンコン!」
私が間違えて小さく切りすぎてしまったレンコンがよりにもよってお弁当に入ってしまっていた。朝急いでいたので、詰めたときには気づかなかった。
「これだけかなり小さい」
「ま、間違えちゃったの!」
「味は変わらないから大丈夫だって。……うん、これも旨い」
味は詩のおかげで食べれない味にはならなかったけれど、形はバラつきがあって料理が不得意だということを曝け出してしまっている。こんなことならもう少し練習してからにすればよかった。
「そういえば、今朝学校くるのいつもより遅かったよな」
今朝、時間が過ぎても朝の待ち合わせ場所に香乃は現れなかった。
メッセージを送っても既読にならず、私はギリギリまで待っていた。そのため、普段よりも登校時間が遅くなってしまったのだ。
「うん。ちょっと……お弁当の準備で手間取っちゃって」
その瞬間、自分から白い光が漏れる。顔が引きつり、お箸を持っている手を止めてしまう。
香乃を待っていて遅くなってしまった。それを伊原くんに話すのは抵抗があった。信用していないわけではないけれど、私たちの問題に巻き込むのは気が引けるし、私が伊原くんに話していることを知れば、余計に香乃との溝が深まってしまうかもしれない。
「そっか。煮物、また食べさせてくれてありがとう」
「……ううん、私の方こそありがとう。作りすぎちゃったから、伊原くんが食べてくれてよかった」
こうして私も嘘をつくのだと実感してしまう。周囲の嘘が見えて勝手にショックを受けていたけれど、みんな様々な事情がある。
『いつも人に合わせてて、自分の意見なかったくせに』
香乃あの投稿を思い出して、針に刺されたように胸が痛む。
合わせていたことに香乃は気づいていた。私は今まで自分の心にたくさんの嘘をついてきていたのだ。人に合わせて同意しているふりをして、本心では別の考えを持っていることだってあった。
私たちの関係が壊れていたのは、本当はもっと前からだったのかもしれない。
お弁当を食べ終わって教室へ戻ろうとしたときだった。教室へ入る直前、伊原くんが立ち止まって振り返る。
「伊原くん?」
「……ちょっと水道で手洗っていい?」
「え? う、うん」
そのまま水道がある方へと歩いていってしまう。突然の行動や表情に違和感を覚えながらも、私は伊原くんの後を追っていく。
そしてひとりの女子の前で足を止めた。
「っ、なに?」
「水道使いたいんだけどいい?」
いつもの伊原くんではない。声が硬く、冷たさを感じる。その女子は酷く困惑しながら横にズレようとした。
「なあ、今なんか撮ってた?」
なにを意味する言葉なのか、すぐに察して私は絶句する。
伊原くんが声をかけたのは——香乃だった。
「は? なに言って、あ……っ」
動揺したのか、香乃の手からスマホが滑り落ちてしまった。私のつま先にスマホが当たる。画面は真っ暗になっているけれど、下の方に赤いボタンが表示されていて、秒数がカウントされていく。
「動画機能になってるのはなんで」
目を細めて伊原くんが上から覗き込むと、香乃は慌ててスマホを拾い上げてひっくり返した。
「勝手に人のスマホ覗くのやめてくれない? 誤タップしただけなんだけど」
香乃の周囲には白い光が浮かび上がる。
誤タップというには無理がある。数分動画が回っているとわかる秒数が表示されていた。
「……香乃が盗撮してたの?」
声を振り絞るように言うと、香乃は語気を強めながら私を睨みつける。
「は? いきなりなんなの?」
「じゃあ、どうして動画なんて撮ってたの?」
私の質問に答えることなく香乃は踵を返して行ってしまう。すぐに追いかけようとしたけれど、教室に逃げ込まれてしまった。
このまま問い詰めたら間違いなく注目を浴びる。だけど、あまり事を大きくしたくはない。
「あの人、清水さんと仲いいの?」
「うん。中学から一緒で仲良かったんだけど最近いろいろあって……」
伊原くんに好意を寄せている女子が犯人ではなかった。むしろ原因は私だ。
「ごめんね、巻き込んじゃって」
「いや、そんなの気にしくなくていいよ。盗撮してる方が問題なんだし」
「でもどうして撮られてるって気づいたの?」
昨日昼食をとっているときにシャッター音に反応してしまったけれど、実際盗撮されていたときに音が聞こえたことはなかった。
あの秒数的に少し離れた位置から録画を開始してたので、今まで撮られてたの気づかなかったのだと思う。
「スマホが不自然に向けられるのに気づいて、俺が近づいたら挙動不審になったからもしかしてって思って」
「……そういうことだったんだ」
顔よりも下の位置でスマホを使うときは画面が斜めに傾く。けれど、香乃は垂直に持っていた。今思うと不自然だ。
「大丈夫?」
「……ちょっと驚いちゃって」
衝撃はすぐには消えなかった。けれど予鈴が鳴り、私は気持ちの切り替えができないまま自分の席についた。
トワのリスナーのゆーかちゃんから、香乃が鍵垢の暴露アカウントを作っている犯人の可能性が高いという話は聞いていた。けれどどこか私は自分が知っている香乃と切り離して考えていたのだ。
矛先が私に向けられて、初めて香乃の危うさを実感する。
不釣り合いだと傷つけることを書いて、見張っているとアピールするように頻繁に画像を送ってきていた。
あの捨て垢を通して、香乃は私になにをしたかったんだろう。