【一部】倉敷柚子葉の浮世事情【完結】

参ー二


 桑真高校の校門を通り過ぎ、宗一郎が待っているだろうコンビニへと向かう。
 その道中、つい数十分ほど前に終了した面接を思い出した。

 会議室の室内には机や椅子といった物が存在しておらず、部屋には想像していたような面接空間も無く、二人の面接官が佇んでいるだけ。
 二人の面接官は俺を一瞥するや否や溜息を吐き、同じ事を考えていたのか体を向け合った。

「倉敷柚子葉さん。貴女の転入面接は合格です」
 会議室の奥に佇む面接官の一人が言った。

 何もかもが決まっていたかのように、そう呟いた面接官の男。
 
 男が放った言葉には感情というものが感じられず、面接というよりは宣告や報告に近いものにも思えた。
 脳裏に焼き付く男の言葉を脳内で繰り返し、合格を告げた面接官を睨み付ける。
「え――合格ってどういう事ですか?」
「ですから、貴女の転入試験の事です。八童子市の旧家である柚子葉様を不合格にする理由はありません。仮にでも不合格にしてしまえば、桑真学園の名を傷つけてしまいますからね。当学園としても――」

 八童子家の旧家出身であるならば、桑真学園に通うことが当然だという事。元々通っていた女学園から連絡が来た際、既に桑真学園側としての受け入れ態勢は整っていたという事。一次試験の筆記試験は体裁の為に行われたという事。
 等など、面接官の男は話を続ける。

「こちらから御伝えすることは以上です。他にお聞きしたいことはございますか?」
 持っていた書類に視線を落とす面接官。

 彼は扉の方へと手を向け、俺に会議室から退出するよう指示を送った。
 宗一郎や小泉さんとの面接練習、一次試験の筆記試験への対策の甲斐もなく、俺は幸運な事に桑真高校への合格チケットを手に入れたようだ。

 不合格という最悪のシナリオに目を向けていたが、こんなにアッサリと合格を告げられると拍子抜けしてしまう。
 入ってきた扉の方へと歩を進めながら、何か他に訊くべきことがないか思考を駆け巡らせる。

 転入試験に関係するであろう人物の顔が咄嗟に脳裏へと浮かび、面接官へと言葉を投げ掛けた。
「あ、あの――もしかして、父、倉敷皐月が何か言っていたんですか?」
「皐月様の事ですね。いいえ、本件に彼の意向は関係ありませんよ。当学園は旧家の為に存在するのですから」

 父の事は関係ないと言う面接官の男。僅かではあったが、男の声からは驚きのような物が感じ取れる。
 何かを隠すような面接官の動揺具合からすると、転入試験には皐月が一枚噛んでいるのに違いないようだ。

「早かったですね柚子葉さん」
 校門の傍から聴こえる声の方へと体を向ける。レンガ調の歩道から視線を上げてみると、視線の先には宗一郎がいた。

 持っていた受験票を鞄に押し込み、宗一郎の元へと駆け寄る。
「うん。転入試験の事だけど、合格だってさ」
「え?」
「いや、だから合格って言われた」
「アハハ、おめでとうございます。合格っていうのは、その場で言われたんですか?」

 子供の様に振る舞い、爽快とした歩調で車に戻る宗一郎。彼に先導されながら、俺は宗一郎の車に乗った。

 宗一郎は自分の事のように喜んでくれた。
 それなのにも関わらず、俺の心には危惧や懸念といった感情が渦巻いている。

 多分、それが普通の事なのかもしれない。
 これまで倉敷家の権力、いや、旧家の権力に頼ったことがなかったから故の驚きなのだろう。
「これが――これが旧家の力なんだ」
「どうしたんですか?」
「ううん。なんでもない」
「そうですか。思っていたよりも早かったですし、合格祝いも兼ねて寄り道でもしますか?」

 宗一郎が何かを言っていた気がするが、彼の言葉を脳内に留めておくことができなかった。

 死人という肉体に変化してから多くの経験をしてきたが、自分が特別な存在であると確証を持ったのは初めてなのかもしれない。
 何もかもが上手く運んでいく事に違和感を感じ、現実離れした日常から目を背ける。

 何年も前、皐月が言っていた『柚子葉、お前は倉敷家の最後の希望だ。葉月が消えた今、倉敷家の跡を継ぐのはお前しかいない』との言葉が脳裏を過り、自然と手のひらに力が入った。
 
 宗一郎に向けて適当に頷き、適当に返事をした直後、俺は車外を見つめる。
 窓の開閉ボタンに指を乗せ、ゆっくりと開き始めた窓から横断歩道を覗き込んだ。

 視線の先には、赤ちゃんをベビーカーに乗せた夫婦が横断歩道を渡っている。
 母親がベビーカーを押しながら歩き、父親の方は息子と思わしき子供と手を繋いで歩いていた。

 幸せに満ち溢れた家族の様子を見せられ、自分という存在が本当に愛された存在ではないのだと思い知った。
 
――――

 スマホに『分かった。帰りは何時頃になるんだ?』との通知が届き、咄嗟に志恩からメッセージが届いたのだと思い、テーブルに置かれたスマホへと手を伸ばした。

 スマホの画面には現在の時刻と通知が表示され、画面を何度かタップするとメッセージアプリが画面に現れた。
「もう七時になっちゃうよ宗一郎。志恩から連絡が来たんだけど、何時頃に屋敷に戻れる?」
「そうですね。もうすぐで静香さんの仕事が終わる頃でしょうし……」

 宗一郎は考えるや否や、テーブル脇の傍を流れる回転寿司のレーンを覗き込んだ。

 全く、本当に面倒な事になった。
 桑真学園から倉敷家の屋敷に戻る道中、宗一郎の寄り道提案を受けた俺は回転寿司に連れていかれた。

 本来ならば、合格祝いの食事は屋敷で済ませる予定だったが、宗一郎は嬉しさの余り前祝いをしたかったらしい。
 けれども、元生徒と先生という立場で食事をするのは流石に不味いと思ったらしく、彼は二人きりにならないように小泉さんを同席させるようだ。

「静香さんから連絡が来ました。バイトが終わったようなので、迎えに来て欲しいとのことです」
 テーブルの脇に置かれたスマホへ手を伸ばす宗一郎。

 小泉さんからメッセージが届いたらしく、回転寿司店から数分の距離に職場があるというのに、小泉さんは迎えに来てほしいようだ。
「分かった。俺が迎えに行くよ」
「いいですよ。私が迎えにいきます」
「大丈夫だよ宗一郎。寿司だって奢ってもらってるから、俺が迎えにいってくるよ」
「そうですか。では、お言葉に甘えて――」

 志恩に『帰りは九時頃になると思う。夜ご飯は要らない』とメッセージを送り、ソファに置いていた学生鞄を肩に掛ける。
 宗一郎をその場に残して小泉さんの職場へと向かった。
 
 回転寿司屋を出てから五分ほど経過。
 現在の時刻は六時五十分。小泉さんの職場があるホームセンターまでは、歩いて十分程度掛かるだろう。

 八月も後半に差し掛かり、数週間前に感じたであろう蒸し暑さは消え去っていた。
 枯れた草花の匂いが鼻先に漂い、それらに混じるように澄んだ空気が歩道に漂っている。

 街灯の明かりを頼りに歩道を歩いていた直後、視線の先に存在していた街灯が点滅し始めた。
「嘘でしょ――こんなタイミングで……」

 数メートル間隔で置かれた街灯が次々と点滅を始め、俺は慌てて学生鞄に手を忍び込ませる。
 強力な瘴気と腐敗臭が前方から漂い、見えない存在が目と鼻の先にいるのだと一瞬で理解できた。

「魂……霊魂。貴様の霊魂を俺に寄越せ――」
 透明化していて姿は判らなかったが、前方に居るであろう何かが言った。

 声の方へ目を凝らしてみると、僅かだが空間が歪んでいるように見えた。
「どうして町中に化け物が居るんだよ」

 鞄に忍び込ませた”七度返りの宝刀”を引き抜き、スカートのポケットに入っていた鬼避けの護符を道端に投げ捨てる。

 化け物や怪異、妖怪や霊的存在を相互視認出来ないようにする為の護符を捨てた結果、化け物の姿を視る事が出来た。
 
 足元から徐々に姿を現していく巨大な化け物。
 頭部には捻り曲がった角のような物が存在しており、彼が人外の生物であることは一目で理解できた。
 
 四メートル程の体格と隆々した筋骨。
 人間のように生えた四肢からすると、化け物は奇段の存在ではなく、怪段級の化け物であることは間違いないようだ。

 絶体絶命の瞬間に鉢合わせしてしまったのにも関わらず、宝刀を握りしめた手のひらには震えというものが一切みられない。
 この時、この瞬間を待ち望んでいたかのような気持ちが俺の心を覆い尽くし、不思議と指先に力が入った。

「貴様、逃げも隠れもしないのか?」
 巨大な化け物が言った。

 襲いかかってきた側だというのに、この化け物は人の心配をしているようだ。
 確かに化け物が言った通り、街灯を頼りに人の多いところに逃げ込めば、奇跡的にでも助かるかもしれない。
 けれども、化け物から逃げ切れる保証なんて何処にもないし、志恩や隻夜叉が助けに来てくれるとは思えない。

 それに、ここで逃げてしまえば、自分が特別な存在であるという事を否定することになる。
「誰の助けも要らない。ここで俺が逃げてしまえば、シゲシゲみたいに犠牲者が出るかもしれない。お前は俺一人で祓ってみせる」

 宝刀を握りしめた拳を化け物に向け、体内にあるだろう霊魂へと意識を注ぎ込んだ。
 八尾山の滝場や倉敷家の庭園で見せた隻夜叉の動きを思い出し、握りしめた宝刀の柄へと力を込める。

 その直後、微かではあったが宝刀全体に赤い膜が帯び始めた。
「これが――霊縛術」
「旨そうな霊魂の匂いがする。貴様の霊魂、我輩が貰い受ける――」
 
 
 クラウチングスタートのような体勢になり、そこから化け物は全速力で俺の方へと突進。
 奴の動きに合わせるように、俺も化け物の方へと駆け寄った。

 胸の中心から漏れ出す霊力を意識し、腕を伝って拳に移動した霊力を七度返りの宝刀へと注ぎ込む。

 鮮明に脳内へと浮かび上がる隻夜叉の姿、庭園内で志恩が見せた霊縛術が脳裏を過る。

 駆け抜けながら深く息を吸い込み、宝刀を握る手のひらに力を込めた。
「倉敷流抜刀術、”七転抜刀壱ノ段・惨撃”」

 何年も前、倉敷家の当主であるシゲシゲから、一度だけ剣術を教わったことがある。
 
 当時の俺は十歳にも満たない童。
 シゲシゲが庭園で見せた”倉敷流抜刀術”は、一度しか見てないというのに記憶へと鮮明に焼き付いている。

 膝から崩れ落ちるような動作と居合い抜刀。
 世の理から外れ、重力を感じさせないシゲシゲの動きは、正に戦場を駆け抜ける”武士(もののふ)”と呼んでも過言ではない姿をしていた。
 
 無論、抜刀術といっても宝刀を鞘から引き抜けるわけではない。
 その日、シゲシゲが放った倉敷流抜刀術は、庭園に置かれた巻き藁を一文字に一閃。
 その後、壱の太刀による一閃を終えた刀は弍の太刀へと昇華した。

 振り上げられた稽古用の刀を巻き藁へと振り下ろすシゲシゲ。
 振り下ろすという弍の動作には躊躇というものが感じられず、弍の太刀を入れられた巻き藁は静かに地面へと落ちていった。

「柚子。祖父ちゃんの”惨撃”カッコいいだろ。本来、惨撃は三太刀で獲物を仕留める剣術だが、巻き藁や低級の化け物であれば二撃で祓う事ができる。どうじゃ? 剣術を教えてほしいか?」
 その夜、シゲシゲが俺に向けて言った。

 今になってみれば、その時のシゲシゲの気持ちが理解できる。
 霊的存在に有効打を与えるかもしれない剣術。シゲシゲの屋敷に泊まる機会は夏休みしかない以上、彼からしてみれば教えられる事は何でも教えたいに決まっている。

 けれども、当時の俺は十歳未満の小学生。
 脳裏に鮮明に焼き付く剣術とは言えど、それを発揮するには技術も足りなければ時間も足りない。年に数週間しか屋敷に滞在しない俺にとって、剣術の稽古など面倒なだけだった。

 それに、剣術を学んだとしても霊的存在への恐怖は拭いきれない。
 霊魂の殆どを抜き取られた俺にとって、霊的存在達に遭遇するという事は死に繋がる行為であるからだ。

 例え、シゲシゲから剣術の稽古を受けたとしても、霊的存在達と遭遇した時、常に刀を帯刀しているわけでもない。
 
 だけど、今は違う。襲い掛かってくる巨大な化け物に対し、俺は宝刀を手にしている。
 壱の太刀を化け物に払った直後、シゲシゲの動作を真似る様に弐太刀を振り下ろした。
「これで終わりね」
「どうしてだ。事前に与えられた情報と違う――なぜだ」
 
 霊縛術が付与された七度返りの斬撃を受け、化け物は愕然とした表情を浮かべながら膝を崩した。
 
 シゲシゲが言っていた通り、倉敷流抜刀術の”惨撃”という剣術は、霊的存在達を弐撃で沈ませることが出来るらしい。
 本来、常人には真似出来ないシゲシゲの動きは、達人の領域に達している。

 しかし、死人という肉体を持つ俺にとって、生物の可動領域から外れてしまったシゲシゲの動きなど、体に負荷を与えるだけしかなかった。
 痛覚が鈍感な死人の肉体であったからこそ、俺はシゲシゲの抜刀術を再現することが出来た。
 
 地面に突っ伏した化け物の首を切り落とす為、宝刀の切っ先を化け物の首元に添える。
「なあ化け物。死ぬ前にひとつだけ質問に答えろ。さっき言っていた”事前の情報”っていうのはどういうことなの?」
「小娘などにやられるとは思ってもいなかった。吾輩の狙いは――」

 化け物が何かを言い終えようとしたその時、これまでに感じた事のない霊圧を背後から感じた。

 隻夜叉の燃え上がる妖力でもなく、志恩の穏やかな風の霊力でもない力。
 例えるのであれば、憎悪や怨恨といった感情が入り混じった霊力と判断して良いのかもしれない。

 背後から感じる負の力を霊力と呼んでいいのか分からなかった。
 けれども、俺の体は反射的に不味いと判断したらしく、勝手に足が動いた。

 化け物に添えていた宝刀を握り締め、負の力の発生源から距離を取る。
 その直後、歩道を照らしていたはずの街灯たちが点滅を始めた。
 
「キミ、倉敷柚子葉さんだよね?」
 どうして俺の名前を知っているのか分からないが、何者かが暗闇の奥から言った。

 俺は暗闇から聴こえる声に反応し、瞼をこすりながら暗闇へと目を凝らす。

 夜道で化け物と戦っていた事が功を奏したのか、暗闇の中にいる人物の姿は容易に判断できた。

 中性的な声色と透き通った白い肌。学生服に身を包んでいるところを見ると、彼は付近の学校に通う同年代の生徒なのだろう。

 同年代の生徒だとは理解できたが、彼が学ランを着ていなければ、男だとは思えなかったかもしれない。
「貴方は誰なの?」
「僕の名前は楢野(ならの)(あおい)。この区域に現れた妖怪は、僕たち楢野家が祓うと決まっている」

 淡々とした口調と女性のような声色。
 楢野葵はそう言いながら化け物に近づき、胸ポケットからボールペンのような物体を取り出した。
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