あのっ、とりあえず服着ませんか!?〜私と部長のはずかしいヒミツ〜
「今になってみれば、あれが恋心じゃなかったのは明白です。大葉(たいよう)さんに対する執着とは違う意味で、僕はきっと、荒木(あらき)さんに固執していたんだと思います」

 だから二人のことは何の確執もなく応援できると言い切った倍相(ばいしょう)が、ふと吐息を落として……「あ、けど……何の執心(こだわり)もなく、と言うのは嘘かも知れません」とつぶやいた。

「えっ?」

 まだ何かあるのだろうかと大葉(たいよう)が構えそうになったのを見て、倍相(ばいしょう)が淡く笑って顔の前で手を振ってみせる。

「ああ、変な意味じゃないです。――荒木さんには……僕とは違って絶対幸せになってもらわなくちゃ困るなって……。母子家庭でも幸せになれるんだって思いたい僕の願望をまだ背負わせちゃってるなって……そう思っただけです」

 倍相(ばいしょう)自身が気付いているかどうかは分からないが、大葉(たいよう)は眼前の男が未だに亡くした母との叶わなかった日々に囚われていることを強く感じてしまった。

「なぁ、思うんだがな、倍相(ばいしょう)。俺もお前も過去は過去だと割り切るの、大事なんじゃねぇか?」

 それはきっと、一朝一夕(いっちょういっせき)でどうこうなる感情ではないというのは大葉(たいよう)にだって分かっている。

 自分だってつい最近まで……過去の辛い経験に惑わされて社内で孤立することを良しとしていたのだ。
 仕事に支障がなければ他者と深く付き合う必要はないし、心を開くのは危ういことだとすら思っていた。

 だからこそ羽理(うり)と出会うまでの大葉(たいよう)は、自分のすぐひざ元にいるはずの部下たちの顔と名前ですらよく把握出来ていなかったのだ。

 だが――。
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