秘めた恋はデスクに忍ばせた恋文から始まる
朝のミーティングには見慣れぬ顔の男がいた。
所長とともに現れた若い男は銀の短髪で、おとなしい研究員が多い部署に似合わず、ハキハキと喋る。
「本日より、植物再生研究室に配属されました。ブライアン・ガラントっていいます。ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします!」
「教育係はシュリが担当よ」
「……わかりました」
しぶしぶ承諾すると、ブライアンが勢いよく頭を下げる。運動部特有の熱血気質に気後れしながらも口を開く。
「私がシュリよ。何かわからないことがあったら、遠慮なく聞いてね」
初日では何がわからないかもわからないだろう、と思っていたら、ブライアンは待ってましたとばかりに瞳を光らせた。
「あ、じゃあ……ここって幽霊研究員がいるって聞いたんですけど……本当ですか?」
幽霊というキーワードにびくりと肩が震えた。
ホラー全般苦手なシュリは、それを悟られまいとゴホンと咳払いして背筋を伸ばす。
虚勢も社会人のたしなみだ。
「……どこで聞いたの、そんな話。まあ、私も一度も会ったことがない研究員もいるけど……」
言葉を濁すと、ブライアンは灰色の瞳を細めた。
「シュリ先輩って、ここに勤めて何年になるんですか?」
「……三年目になるけど」
「三年も働いていて会ったことがないって、普通あり得ませんよ。その人、実在している人なんですか?」
興味津々といった風に顔をのぞき込まれ、シュリは及び腰になる。
「顔を見たことがないのは事実だけど、彼はちゃんと毎日来ているわよ」
助け船を出したのは室長だ。
その手元には勤務表の用紙が掲げられている。室長のすぐ下に書かれたフルネームには平日勤務のシフトが記載されている。
植物の世話に休みはないため、シュリは土日に出る代わりに、平日に休みをもらっている。ちなみに名札の裏に入っている個人カードを読み込ませると、勤務時間が自動計算される仕組みだ。
勤務時間の記録は室長のパソコンに自動転送されるので、彼女が来ていると言ったらそうなのだろう。
「室長も顔を知らないんですか?」
「ええ。私も名前だけしか知らないわ」
「それで、どうやって仕事をするんです? ここの研究員なんですよね?」
彼の疑問はもっともだ。
シュリも初めて勤務したときは疑問に思っていたが、彼が仕事をしている痕跡はあるので、見えないところで研究をしているのだろうと結論づけていた。
「彼は特別なの。夜中もこもって研究しているし、成果は上げているから。一人のほうがはかどるタイプなんじゃない? まあ、天才型ってやつかしら」
「へえ。世の中には知らないことがたくさんあるんですね」
しみじみとつぶやくブライアンに、室長が神妙に頷く。
「まあ、そういうこと。この研究室に入ったのは、本人たっての希望だって聞いてはいるし。いつも気がついたら、机に成果物が提出されているのよね」
「えー! それって怖くありません?」
「……ブライアン。この世には知らないほうが幸せなこともあるのよ」
暗にこの話題に触れてはいけないと諭して、室長は会話を締めくくった。
(私も会ってみたいけど、一度も会えていないのよね……)
幽霊研究員と噂されているのは、ミハイル研究員のことだ。
ミハイル・ヴェルディーク。ヴェルディーク伯爵家の三男坊で、数々の賞を総なめにした若き逸材。研究所の所長が熱心に勧誘して研究室入りをしたらしい。
シュリが知っている情報はここまでだ。
彼は複数の部署に籍を置いており、植物再生研究室の椅子に座った姿を見た者はいない。
噂では、超がつくほどの美青年だとか、神経質そうな眼鏡男だとか、眼光が鋭い強面だとか、さまざまな憶測がされている。なぜなら、彼は人前には絶対に姿をさらさないからだ。授賞式でさえ、代理人が出席していた。
言わば、彼の存在は、例外中の例外。ミーティングへの出席も免除されているし、慰労会や送別会、大掃除にも顔を出さない。
それなのに、彼の功績は毎年増え続けている。
王立研究所の七不思議のひとつである。
所長とともに現れた若い男は銀の短髪で、おとなしい研究員が多い部署に似合わず、ハキハキと喋る。
「本日より、植物再生研究室に配属されました。ブライアン・ガラントっていいます。ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします!」
「教育係はシュリが担当よ」
「……わかりました」
しぶしぶ承諾すると、ブライアンが勢いよく頭を下げる。運動部特有の熱血気質に気後れしながらも口を開く。
「私がシュリよ。何かわからないことがあったら、遠慮なく聞いてね」
初日では何がわからないかもわからないだろう、と思っていたら、ブライアンは待ってましたとばかりに瞳を光らせた。
「あ、じゃあ……ここって幽霊研究員がいるって聞いたんですけど……本当ですか?」
幽霊というキーワードにびくりと肩が震えた。
ホラー全般苦手なシュリは、それを悟られまいとゴホンと咳払いして背筋を伸ばす。
虚勢も社会人のたしなみだ。
「……どこで聞いたの、そんな話。まあ、私も一度も会ったことがない研究員もいるけど……」
言葉を濁すと、ブライアンは灰色の瞳を細めた。
「シュリ先輩って、ここに勤めて何年になるんですか?」
「……三年目になるけど」
「三年も働いていて会ったことがないって、普通あり得ませんよ。その人、実在している人なんですか?」
興味津々といった風に顔をのぞき込まれ、シュリは及び腰になる。
「顔を見たことがないのは事実だけど、彼はちゃんと毎日来ているわよ」
助け船を出したのは室長だ。
その手元には勤務表の用紙が掲げられている。室長のすぐ下に書かれたフルネームには平日勤務のシフトが記載されている。
植物の世話に休みはないため、シュリは土日に出る代わりに、平日に休みをもらっている。ちなみに名札の裏に入っている個人カードを読み込ませると、勤務時間が自動計算される仕組みだ。
勤務時間の記録は室長のパソコンに自動転送されるので、彼女が来ていると言ったらそうなのだろう。
「室長も顔を知らないんですか?」
「ええ。私も名前だけしか知らないわ」
「それで、どうやって仕事をするんです? ここの研究員なんですよね?」
彼の疑問はもっともだ。
シュリも初めて勤務したときは疑問に思っていたが、彼が仕事をしている痕跡はあるので、見えないところで研究をしているのだろうと結論づけていた。
「彼は特別なの。夜中もこもって研究しているし、成果は上げているから。一人のほうがはかどるタイプなんじゃない? まあ、天才型ってやつかしら」
「へえ。世の中には知らないことがたくさんあるんですね」
しみじみとつぶやくブライアンに、室長が神妙に頷く。
「まあ、そういうこと。この研究室に入ったのは、本人たっての希望だって聞いてはいるし。いつも気がついたら、机に成果物が提出されているのよね」
「えー! それって怖くありません?」
「……ブライアン。この世には知らないほうが幸せなこともあるのよ」
暗にこの話題に触れてはいけないと諭して、室長は会話を締めくくった。
(私も会ってみたいけど、一度も会えていないのよね……)
幽霊研究員と噂されているのは、ミハイル研究員のことだ。
ミハイル・ヴェルディーク。ヴェルディーク伯爵家の三男坊で、数々の賞を総なめにした若き逸材。研究所の所長が熱心に勧誘して研究室入りをしたらしい。
シュリが知っている情報はここまでだ。
彼は複数の部署に籍を置いており、植物再生研究室の椅子に座った姿を見た者はいない。
噂では、超がつくほどの美青年だとか、神経質そうな眼鏡男だとか、眼光が鋭い強面だとか、さまざまな憶測がされている。なぜなら、彼は人前には絶対に姿をさらさないからだ。授賞式でさえ、代理人が出席していた。
言わば、彼の存在は、例外中の例外。ミーティングへの出席も免除されているし、慰労会や送別会、大掃除にも顔を出さない。
それなのに、彼の功績は毎年増え続けている。
王立研究所の七不思議のひとつである。