秘めた恋はデスクに忍ばせた恋文から始まる
 朝の出勤時間、銀杏並木を通り過ぎたところで、くせっ毛が目立つ黒髪が見えた。地面に手をついてしゃがみこんだり、草木をかきわけたりしている小さな背に声をかける。

「……おはよう」
「わっ!」
「何か探し物? よかったら手伝うけど」

 協力を申し出ると、黒髪の少年は気まずそうに視線をそらした。

「で、でも悪いから……」
「気にしないで。出勤時間まで、まだ時間はあるし。二人で探したほうが早く見つかるかもしれないよ」
「えっと……名札を探していて。この温室に入る前に猫とじゃれていたら落としたみたいで」

 小さい指で、このくらいのサイズと教えてくれる。
 シュリの名札と同じくらいだ。
 彼の髪についた葉っぱを取りながら、うんうんと頷く。

「わかった。一緒に探そう」

 シュリが屈んで言うと、少年はお願いします、と小さい声で返した。
 それからまだ見ていないというエリアの庭木をシュリが担当し、木の枝に挟まっていないか注意深く見ていく。しばらくして、枝の中から太陽の光に反射した名札らしきものが目に入る。
 手を伸ばすと、そこには見慣れた名前が書かれていた。

(ミハイル先輩の名札……さすがに、これをあの子が落としたわけないだろうし)

 だけど、大事なものだから、きっと今ごろ困っているだろう。
 後で届けようと紐を名札にくくりつける。すると、後ろからはしゃいだ声がかかる。

「あ、見つけてくれたんだね。ありがとう!」

 無邪気な笑顔に、手にしたものをおずおずと見せる。

「もしかして、探し物ってこれ?」

 まさかと思いながら名前の欄を確認してもらうが、少年は笑顔のままだ。

「うん。これだよ!」
「……はい。どうぞ」
「いやーこれがないと、入れないドアが多くて困ってたんだよね」

 しみじみという声は本当に困っていたような響きがあり、シュリは内心首を傾げる。

「それは……君のお兄さんの持ち物?」
「え? 僕のだけど」
「で、でも。名札に書かれている名前は、ミハイル・ヴェルディークでしょ? ミハイル先輩は私の研究室に在籍していて……会ったことはないけど、年齢がもっと上のはずよ」

 身振り手振りで説明すると、少年はぱちくりと目を瞬かせる。
 悩むような間を置いて、ああ、と納得したよう声がもれた。

「そっか、そういうことか」
「……えっと?」

 一人で頷く彼に不可解な視線を送ると、少年は自分の胸に手を置く。

「僕が正真正銘、ミハイルだよ。大人に見えないって思ってる? それは当然だよ、僕はまだ子どもだもん。……見た目だけはね」
「どういうこと?」
「シュリさんは、僕の研究論文を読んだことはある?」
「ミハイル先輩の? 何度かあるけど……」
「みんな、子どもが書いたと知っていたら、きっと感想は違っていたんじゃないかな」

 すらすらと説明する様子に嘘をついている素振りはない。
 だけど、理解が追いつかない。

(今、この子はなんて言った……?)

 そんなことあるはずがない、と頭で否定するが、目の前の少年は大人びた笑みを浮かべる。今話したことが事実だとでも言うように。

「僕のプロフィールはほとんど公表していないんだ。なぜかわかる?」
「……わ、わからないわ……」
「それが世間のためだから」
「…………」

 いまだ事実を受け入れられない一方で、彼の言葉に納得してしまう自分もいた。
 新しい研究成果を発表する場合、まず誰が書いたか、が注目される。これまでの実績がある人ならば当然、皆がこぞって熟読する。反対に、無名の新人の場合、どうせ大したことがないだろうという先入観から見向きもされないことも多い。
 仮に、その研究者が子どもだったとしたら言語道断だ。
 義務教育を受けるべき子どもの研究結果など、たとえどんなに内容が素晴らしくても簡単に受け入れられるわけがない。
 研究者はプライドを持って、この仕事に取り組んでいる。自分より年下の子どもが、自分では考えもつかない研究をして歴史を覆す結果を残すなんてこと、プライドが許さないのだ。
 もちろん、中には年齢にこだわらず、研究結果が素晴らしかったら認める人もいるだろう。けれど、そんなのは一握りだ。

「シュリさん、探してくれてありがとう」

 石像のようにフリーズしたシュリをその場において、ミハイルは軽やかな足取りで研究室の棟の入り口をくぐった。
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