絶対通報システム
8月29日
「では、今から通報システムのデバイスを配る。名前を呼ばれたら取りにきてくれ」
担任の阿部先生はそう言うと、段ボールから小さな箱を取り出し始めた。
老眼があるのか、目を細めながら名前を確認している。
「……秋成翔平」
「はいよっ」
出席番号一番の秋成くんは、軽快な足取りで教壇まで歩いていく。
――それにしても、“通報システム”ってなんなのだろう。
夏休み明けの今日、朝一番に「うちの市が通報システムの試験運用地として選ばれた」と言われた。聞き慣れない言葉だったけど、必要なものを配ってから説明をするらしい。
「――久代杏里」
っと、私の番だ。
先生から箱を受け取る。真っ白な箱にはシールが貼られていて、細長いバーコードの上に私の名前が書かれていた。
【桜川市 草間中学校 2年2組:久代杏里】
席に戻ると、仲良しのめぐみちゃんが席にきた。
「ね、どんなの入ってるの?」
「すぐめぐみちゃんにも配られるよ」
「でも、気になるじゃん!」
ポニーテールを揺らしながら笑うその表情は、心なしか夏休み前よりも大人っぽく見えた。
急かされて箱を開けると、スマホのような機械と指輪が入っている。
「なにこれカワイイじゃん」
「スマホにしては小さいし、動画見にくそう」
普通のスマホの半分くらいの大きさしかない。指輪は……ゴムみたいだけど、内側には金属のような素材が見える。
ふたりして首を傾げていると、めぐみちゃんの名前が呼ばれた。
「篠原ー、篠原めぐみー」
「あ、わたしだ。またあとでね」
みんな配られた箱の中身を興味深く見ている。
全員に行き渡ると、先生はプリントを配り始めた。
「では各自プリントに目を通しながらでいいから、説明を聞くように」
私は阿部先生の声のスピードに合わすように、プリントを読み進めていく。
【桜川市・通報システム(β)試験運用のご案内】
昨今の日本の状況を顧み、日本政府は通報システムの運用を開始することにしました。
その試験運用地が、桜川市に決定したので通知いたします。
通報システムに必要なものを送付しますので、本日8月29日より装着してくださいますよう、お願いいたします。試験運用にご協力いただいた市民の皆様には、特別給付金として年齢に関係なく30万円を交付いたします。つきましては、各デバイスの装着・設定をお願いいたします。
【通報システム開始の背景】
日本では、犯罪、いじめ、自殺などの件数が大きく増加しています。諸外国に比べその数値は異常であり、日本政府としては対策が必要だと判断しました。日本の未来のため「誰でもすぐ」「通報できる」「判断できる」対策が『通報システム』です。
【システムの使い方】
①指輪型デバイスを右手小指に装着し、タブレット型デバイスと同期させる。
②通報したいことがあった場合、タブレット型デバイスから報告する。
③詳細を確認・判断し、対応が完了すると通知が届きます。
※操作やシステムに関して不明なことは、端末に備わっているヘルプ機能でもご確認いただけます。
一通り読み終わったあと、先生が大きな咳をひとつする。生徒達は『30万円』という言葉を聞いたときからざわついていたので、きっとこの咳は静かにしろという合図だろう。
「つまり、だ。お前らにわかりやすく説明すると、SNSやオンラインゲームでも悪質なユーザーやバグ・不具合は通報や報告が出来るだろう。あれが現実でもできるようになるってことだ。誰かが悪さしていても、自分が言ったとバレたら嫌だから言えないだとか、そういう煩わしいものを気にしなくていい。いじめはもちろん、悪い大人を通報したっていい。普段歩く道路に異常があったりしたときも、この通報システムから報告が可能だ。国民がお互いを信頼し、危ないものを報告していく、助け合っていく社会になっていくための施策なんだ」
「先生、通報されたらどうなるの?」
秋成くんが手を挙げながら話す。
「通報内容によって対応が変わる。災害などの緊急時のことも考えられていてな、その指輪が大切な発信機能を担っているから、絶対に外すなよ」
そう話す先生の右手の小指には、すでに黒い指輪が装着されていた。
「では、各自端末の電源を入れて、自分の指輪とタブレットを同期させろ」
電源を入れると、黒い液晶画面に白色の文字が浮かび上がる。
【通報システム(β)】
【指輪を右手小指にはめ、タブレットに近づけてください】
【――認証しました】
電気のような、少しだけピリっとした痛みを指に感じた。
「同期が終わったら大切にしまっとけー。お前らのことだから、色々触ったらすぐに慣れるだろう。それじゃ、次は夏休みの宿題を提出しろ」
途端に「えー」と言った声が教室を埋めていく。通報システムでなにができるのかみんな知りたいし、触りたいのだろう。……もちろん、私も。
だけど阿部先生は怒らすと怖くて、草間中では有名な“ハズレの先生”だ。私はタブレットをスクールバッグに入れ、かわりに山のような宿題を机に重ねていった。