たった一言を君に

「はい、今日からみんなの担任になりました。よろしくお願いします。今野です」

若い女性が教卓の前に立ち、自己紹介をしていた。
 ショートカットが良く似合うはきはきと喋る先生だった。どうやら今日からこの学校へ赴任してきたようだ。自己紹介を終えると今度は「じゃあ、みんなも自己紹介をしようか」といった。

 ゆきの体が一瞬で冷えていくのを感じていた。
去年も自己紹介はあった。それは学年が変われば当たり前のようにあるだろう。学校だけじゃない。そういう機会は幾らでもある。
 一人ずつ簡単に自己紹介をしていく。比較的早くゆきの番が来る。
ガタガタと震える体を隠すように、ぎゅうっと強く拳を作り今にも泣きそうな顔を先生に向ける。

「あ、ええっと。小倉ゆきさんです。ちょっと訳があって喋ることは出来ませんが、皆さん仲良くしてくださいね」

代わりに先生が挨拶をしてくれたが、辺りは若干ざわついていた。
決して周りを見ないように、こげ茶色の机を見つめたまま座った。
きっと申し送りがあったのだろう。

 自己紹介が終わるとすぐに担任の先生の「じゃあ、席替えしましょうか!」という提案にクラスが盛り上がる。
事前に用意していたのか、四角い箱を教卓の上に置く。そして、先ほどまで使用していた座席表を使ってくじ引きをするようだ。
 生徒が順番に四角い箱から小さな紙を引いていく。
ゆきもみんなと同じように引いた。番号は40だった。つまり一番窓際の後ろの席だ。
(やった、一番後ろの席だ!)

つい、顔を綻ばせていた。
一番前の席は好きではなかったから、ほっとしていた。
早速それぞれが席の移動をする。
窓際の一番後ろの席に座ると、
「席、隣だ」
「…」

隣の席から声が聞こえる。瞬間的に顔を上げていた。まさか、自分が声を掛けられているとは思っていなかったから油断していたが、横に顔を向けると今日何度か目が合っている佑真がいた。

「よろしく。俺、高野佑真。部活はずっとサッカーやってる」
「…」

 先ほどの先生の話を聞いていなかったのだろうか。
それとも、ゆきが喋ることが出来ないと知っていて、佑真は話しかけてきているのだろうか。
勝手に自己紹介をした佑真は、頬杖をつきながら柔らかな笑みを浮かべた。
喋り方も雰囲気もゆきとは真逆だった。明るくてキラキラとしている彼は、ゆきとは違ってクラスの人気者なのだろう。

 ゆきは言葉を返すことが出来ないから、鞄の中からノートを取り出して名前を書いた。
“小倉ゆきです。喋ることが出来ません。ごめんなさい”
それを彼に見せると、ゆきに体を近づけて数回頷く。

 口角を上げて「うん、さっき聞いたし知ってるよ」といった。

(知っているのにどうして声を掛けてくるのだろう?)

平然と知っているといった佑真の方が不思議そうにゆきを見る。

「喋れなくてもこうやって意思疎通は出来るじゃん」
「…」
「字綺麗だね。バス通学?」

字を褒められたことなど一度もなかったから、ゆきは照れ臭そうに髪を触った。
ノートに“バス通学だよ”と返した。

「そうなんだ。俺も今年からバス通学になった。前までは自転車で通ってたんだけど引っ越してちょっと遠くなったからさ」
うんうん、と頷いた。

 喋ることが出来なくなってから、はじめて家族以外と関わったような気がする。ゆきは緊張しながらノートで会話を続けた。
 不思議なことに、高野佑真はゆきに対して壁を一切作らずに他の人と同じように接してくれた。喋ることが出来ない理由も特に聞いてこない。

「佑真ぁ、選択授業何にする?」
「あぁ。美術か音楽だろ。美術かな」
「だよなー。でも美術の課題結構えぐいってよ」
「まじか」
佑真は自然にクラスの人気者になっていた。やっぱりゆきが思った通りだった。
変に気を遣うこともなく自分と接してくれる佑真のことを少しだけ気になるようになっていた。
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