たった一言を君に
「友達、できたの?」
「ううん。全然できないよ。だって学校では喋れないから」
「そう。でも最近家を出るとき顔色が明るくなったような気がして」
自宅のドアを開けた瞬間、まるで別人のように言葉を発するゆきの様子をクラスの子が見たらとても驚くことだろう。
それほどに場面緘黙症は他人の理解が得られにくい。
母親は一番にゆきの変化に気づく。二年生になって三週間ほど経過したが、ゆきが徐々に明るくなっていることを知っていた。
エプロンを外しながらダイニングテーブルに座るゆきを包み込むような眼差しで見つめる。
「そうかなぁ。でも、喋れなくても普通に接してくれる人が出来たの。席が隣なんだ」
「そうなの。よかったね。仲良くなれて」
「うん。相手は普通に喋るけど私はノートに伝えたいことを書いているの」
「へぇ、そう」
そんないい子に出会えて幸せだね、と母親が言う。それにゆきは何度も大きく頷いた。
佑真と会うと心が晴れやかになって、今日も頑張ろうと思える。それだけではなくて、自分から何かを話したいと思うようになっていた。
♢♢♢
季節は五月下旬になった。
蒸し暑い日が続いていた。そろそろ梅雨の時期に入るのだろうか。
今年は例年に比べて梅雨入りが早いとニュースでお天気お姉さんが話していたのを思い出した。
その日は朝から雨が強かった。
窓の外を眺めていると大きな雨粒が窓を打ち付けている。それが形を変えて放射線状に広がっていく。
それを見ながらボーっとしていると、教室のドアの前で可愛らしい女の子が「佑真―」とゆきの隣にいる佑真を呼ぶ。彼は返事をしてその女の子の方へ行ってしまう。
二人は教室の前で楽しそうに会話をしていた。
あぁ、いいなと思った。
と、同時に胸の奥がズキズキと痛みだした。
この痛みを、この感情をゆきは知らない。今まで生きてきてこんな感情を知らない。
それを抑えるように制服のリボンをギュッと強く握った。