たった一言を君に
―放課後

 ゆきは雨の中、水色の傘を差したままバス停に向かっていた。

 アスファルトに水たまりがいくつも出来ていて、それを避けるようにして歩く。履いているローファーの中に水が入らないように注意する。

 ボーっとしていると考えるのは、佑真のことだった。相変わらず佑真は、よくゆきに話しかけてくる。それだけで有難いし感謝しなくてはいけないのに、どうしてももっと仲良くなりたいという欲求が芽生える。

 これを、人は“恋”と呼ぶことは知っている。今まで誤魔化していたがきっと、これは初恋だ。喋ることのできないゆきにとって恋をすることは難しい。

相手に言葉を発して気持ちを伝えることもできないから。

それでも、いつか佑真にこの想いを伝えたい、そう思った。

と。

傘を差しながら考え事をしていたから、狭い歩道で人にぶつかってしまった。
「あ。小倉じゃん。今帰り?」
頭を上げるとそこには佑真がいた。うん、と頷く。お互いに何も言わずにバス停までゆっくり歩き出す。
 
 バス通学という共通点もあって、朝は比較的一緒のバスに乗ることが多い。
その時は制服のポケットに入れておいてあるメモ帳を使って会話をしている。
その時間が一番好きだった。佑真は部活動をやっているから帰りが一緒になることはあまりないが今日は部活動が休みの日なのだろう。
 
 大き目の鞄を肩から下げて、歩幅をゆきに合わせてくれる。
バス停まで到着すると、バスが来るのを待ちながら会話をする。会話と言っても佑真しか喋っていない。

「そういえばさ、今更なんだけど…なんで喋れないの?」
「…」
「別に喋れないからって意思疎通できないわけじゃないけど、もし喋れるなら小倉の声が聞きたい」
 
 ちょうど、バスが到着した。しどろもどろになるゆきに「乗ろう」と声を掛ける佑真に続いた。 二人は後部座席に座った。雨だがあまり乗客はいないようだった。
 ゆきはメモ帳に想いを綴った。
場面緘黙症で喋ることが出来ないこと、家では喋れること、家族以外とは小学生になってから誰とも言葉を交わしていないこと、でも、佑真との会話は楽しいことを丁寧に綴る。
「そうなんだ。知らなかった。それって治ったりしないの?」
ゆきは困ったように笑った。そしてメモ帳に“わからない”と書いた。
「そっか。いつか聞きたいなぁ。小倉の声」
 じんわりと温かい感情が広がっていく。
雨の日は嫌いなのに、鬱々とするのに、それなのにどうしてか彼が隣にいるとそうは感じない。雨だってなんだって彼が隣にいれば気分が晴れる。

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