可愛げがないと捨てられた万能聖女、元敵国で内政改革にはげみます
〈プロローグ〉
書類から顔を上げて部屋を見回すと、二十人ほどが座れる楕円形の机に座る数人の仲間たちと、散乱しているたくさんの書類が目に入る。
書類は各地の税収や人口、出生率、死亡率とその傾向。この国――ミドラント王国のすべての地域のありとあらゆる情報がこの部屋にあると言っても過言じゃない。
なんでそんなものがあるのかといえば、それはこの部屋で、この国の未来を話し合っていたから。
各地で発生する問題を話し合い、解決策を見つけるために、この部屋にいる人たちは集まってくれた。
「…………」
みんな、静かにわたしの言葉を待っている。
ここで話し合われ、導き出された最後の報告書をわたしが読み終えるのを、固唾を呑んで見守ってくれている。
最初は小娘だと馬鹿にされたし、わたしの肩書きを嫌っている人もいた。でも今では、この国のために一緒に働く大切な仲間だ。
わたしのわがまま――この国で暮らす人みんなを幸せにしたいという、あまりにも大きな目標を手伝ってくれた。
(本当に、この人たちに会えてよかった)
たくさん勉強して、神童、聖女なんて呼ばれても、わたしひとりじゃここまで辿り着くことはできなかった。
でも、この報告書を明日、国王陛下に奉呈することができたら、きっとこの国は変わる。
もっと多くの人々が幸せに暮らせる、より良い国になる。
「――確認しました」
わたしは報告書をテーブルに置き、会議室にいる人たちひとりひとりの顔を見つめた。
「明日、国王陛下にご覧頂きたいと思います」
「おお……」
「よかった。あとは頼みましたよ、王太子妃殿下」
「これで思い残すことはないのう。断っていた酒でも、久しぶりに楽しむとするか」
「バーンズ卿! 駄目に決まってるでしょう! 奥様に言い付けますよ!」
「こらこら、あまり怒るとかわいい顔が台無しじゃぞ」
喧騒に包まれる会議室。
でも、わたしはこの騒がしさがとても好きだ。
もうない故郷を思い出して、踊りだしたくなる。
「では皆さま、あとはわたしにおまかせください。きっと――」
きっと、この国は変わる。
わたしがそう言おうとしたとき、扉の向こうからいくつもの足音が聞こえてきた。
「なにごとだ?」
元兵士のレグルス卿が、警戒を露わにして扉に近寄る。
そしてわたしたちに向けて手を振り、扉から離れるように合図してきた。
「この足音……完全武装の兵士だ」
「えっ?」
どういうこと?
だってここは、わたしに与えられた離邸。つまりは王家の所有物のはずなのに。
「二十人はいる……まずいぞ……」
「わ、わたしが対応します。きっと、お話しすれば分かって貰えますから」
わたしがそう言っても、レグルス卿の表情は変わらなかった。
まったくもう、どうしてそんな険しい顔をしているんですか。そんな顔ばかりしているから、お孫さんに怖がられてしまうんですよ。
「王太子妃殿下」
扉の向こうから、聞き覚えのある声が聞こえてきました。
親衛隊長のノットヴィル卿の声です。
「はい。どうかされましたか?」
「王太子様のご命令でまかり越しました。――ご無礼!!」
ノットヴィル卿の声が聞こえたと思ったら、すごい勢いで扉が開かれて――
「きゃあっ!」
いたた、扉の前に立っていたせいで、転んでしまったみたいです。
みっともないところを見せてしまいました。
「王太子妃殿下」
「ノットヴィル卿、ごめんなさい。このような姿を見せてしまって……」
「いいえ」
ノットヴィル卿はわたしに手を差し出すと、力強く助け起こしてくれました。
鉄面皮と呼ばれるくらいに表情が変わらない卿の表情が、少しだけ悲しそうに見えるのは錯覚でしょうか?
「――殿下、国家叛逆罪の疑いで、拘束させていただきます」
「……今、なんと?」
国家、叛逆罪と、そんな言葉が聞こえた気がする。
でも、そんな言葉が聞こえるはずはない。
だって、ここにいる誰もが、この国のことを考えて、少しでも多くの人を幸せにするために頑張ってきたのだから。
「殿下には、王国に対する叛逆の疑いが掛けられております。ただちに王宮へとお連れし、王太子様自ら詮議されるとのこと」
「そんな! わたしはそのようなこと、いっさいしておりません!」
「殿下!」
ノットヴィル卿はわたしの耳元に口を寄せ、わたしにだけに聞こえる声で囁いてきます。
「小職には殿下のお言葉を聞く権限が与えられておりません。ですが、抵抗されるようでは、ここにいる他の方々も拘束しなければならなくなってしまいます」
「……今なら、わたしだけでことは収まるのですね?」
ノットヴィル卿はきっと、この命令に納得しているわけではないのでしょう。
国家叛逆罪となれば、逃亡を防ぐために共謀者も同時に拘束するのが当然のことです。それをしないということは、それを命令されていないか、ノットヴィル卿が与えられた命令を無理やり解釈してわたしだけを連れ出そうとしているということになります。
確実にいえることは、ノットヴィル卿はわたしたちのことを叛逆者だとは思っていないし、自分の権限が及ぶ範囲で被害を最低限に収めようとしているということ。
なら、わたしの答えは決まっています。
「わかりました。王宮に参ります」
「――畏まりました。では、こちらに」
ノットヴィル卿が、わたしを先導して歩き出す。
なんの拘束もされず、荷物検査もされていない。
「妃殿下!」
「姫様!」
背後の会議室から、みんなの声が聞こえる。
「おい! どういうことじゃ! 答え次第では、ワシの魔法が火を噴くぞ!」
「あの方はこの国にとって必要不可欠な方です! このようなことをすれば、自分の首を絞めることになりますよ!」
「せめて私たちも共に!」
みなさん……ありがとうございます。
でも、これはわたしがやらなければならないことなんです。
みなさんには言っていませんでしたが、わたしはこうなってしまう可能性も考えていました。
今のミドラント王国では、貴族たちが大きな力を持っています。王族であっても彼らの意向を無視することはできないくらいに。
そして、わたしが国王陛下に進言しようとしていた政策は、貴族や貴族に近しい商人の権益を侵害する可能性がありました。
それでも、段階を踏んで、商人のみなさんと話し合いをしながら進めていければ、誰かに損を押し付けるようなことにはならなかったはずです。
(でも、それすらも許すつもりはないのですね。あの方たちは……)
兵士の皆さんに囲まれながら離邸の廊下を歩いていると、途中でわたしの夫である王太子エリギア様の肖像画の前を通り過ぎました。
エリギア様は特に、その商人の方たちと仲が良いと聞いています。わたしに対しても、幾度も政策研究をやめるようにと言ってきました。
その都度、この研究が王国の未来のためにどうしても必要であることと、この政策が成功すればエリギア様の名は賢王として歴史に残ることを説明してきました。
商人にもいい顔をしたいし、歴史に名を残すことにも興味がある。そんなエリギア様の中途半端な態度のお陰で、これまでわたしたちは研究を続けてこられたといってもいいでしょう。
(我が夫ながら、なんとも単純な方でしょうか)
国王陛下には、エリギア様以外に男子はいらっしゃらなかったこともあって、あの方は王位は手に入って当然のものと考えていらっしゃいます。
王位継承の争いがないことは、王国にとっても悪いことではありません。有力な王位継承者が複数いては、国内が割れてしまいますから。
「――殿下、なにか必要なものがあれば、部下に運ばせますが」
ノットヴィル卿の気遣いは、いつも不器用です。
「ふふふ、大丈夫です。一応、罪人として連行されるのですから、あまり手荷物が多くては格好がつかないでしょう」
「まだ嫌疑の段階です」
ノットヴィル卿の答えを聞いて、この訪問の理由がわかりました。
おそらく叛逆の証拠らしい証拠は、なにもないのでしょう。わたしはすべて、法の許す範囲で行動してきました。研究の内容にも、一切の違法性はありません。
同時に、集会の内容も研究の内容も、まったく隠してきませんでした。
その気になれば密偵を集会に参加させ、わたしたちの研究内容をすべて知ることもできるのです。
それなのに、このような強硬手段に出たということは――。
「今回の騒動、陛下もご存じないのではありませんか?」
「小職にはわかりかねます。ただ、今回の命令は王太子様より下されました」
「そうですか。苦労を掛けました」
「いえ……」
ノットヴィル卿も周りの兵士の皆さんも、わたしを丁寧に先導してくれます。
こちらの歩幅に合わせて歩いてくれますし、腰の剣に手を置いている方もいません。わたしが抵抗しないことを理解してくれているのでしょう。
「ノットヴィル卿も皆さんも、このような夜分に申し訳ありません。次の機会はないと思いますが、そのときは日の高いうちにお仕事が済むようにいたしますね」
「はっ」
わたしの冗談にも、ノットヴィル卿は律儀に答えてくれました。
この国には多くの問題がありますが、こうして職務に熱心な兵士の方がいて、国の問題に取り組もうという熱意を持った方々がいます。
たとえわたしがいなくても、きっとこの国は立ち直ることができるでしょう。
あの日、流行病で家族と領民を失ったわたしにとって、この国そのものが家族であり、国民すべてが守るべき民です。たとえ二度と外の世界を見ることができなくなったとしても、その未来のためになにかを残せたのなら、それで十分なのです。