可愛げがないと捨てられた万能聖女、元敵国で内政改革にはげみます
〈第一章 ファーディリア〉
わたしファーディリア・レミア・ミドラントは、これまでに二度家名が変わりました。
一度目は十八年前。故郷のアルマール男爵家の領地が流行病に襲われ、民の大半と家族を失い、養父ディルトラン侯爵家に引き取られたときです。
わたしの生まれ故郷であるアルマール男爵領は、西のリーゼンリア帝国との国境にほど近い辺境にありました。
帝国との戦いがあった頃は何度も戦火に焼かれていた場所でしたが、わたしが生まれた頃には戦争も遠い昔のこととなっており、帝国との戦いのために造られたとされる砦もほとんど手入れされていなかったと記憶しています。
生家であるアルマール男爵家は小さな家でした。
どこかの大貴族の係累というわけでもなく、運良く騎士となった者の末裔が、また運良く男爵となった家で、領地も小さな村がふたつと、それよりも一回り大きな、それでもやっぱり小さな村がひとつという、領民よりも飼育されている牛の数のほうが圧倒的に多いような田舎でした。
男爵家の者であっても領民の畑の手伝いに出るのが当たり前で、わたしも小さな頃から畑仕事の手伝いをしていたくらいです。
そのおかげで、わたしの家と領民の関係は非常に良好でした。創設以来一度も民との間に諍いが起きたことはなく、税の取り立ても領民のほうから自発的に収めてくれるほどでした。
そんな故郷は、私が五歳のときに滅びました。
わたしの両親を始め、領地にいたほとんどの人が命を落としたと聞きます。わたしのほか、体力のない子供や老人だけが逃がされ、病の拡大を防ぐために戦い続けた人々は大多数が帰らぬ人となってしまったのです。
帝国側の仕掛けた謀略であるという噂もありました。国境付近で病が流行したのに、帝国で多数の死者が発生したという話がまったくなかったからです。
それ以来、帝国との間には緊張が続いています。
軍備を賄うために税が引き上げられ、国境付近では働き手となる若い男性が兵士として徴集されてしまっているのです。このままでは、王国の力は衰えるばかり、連行されてしまった結果とはいえ、夫であるエリギア様と直接お話できる機会を得られたのは幸運でした。
なんとしても、お話を聞いて頂かなくては!
◇◇ ◇
【エリギア】
「おい、開けろ」
「はっ」
固く閉じられていた扉の向こうの部屋は、ここにいる女に相「応しいみすぼらしさだった。
父上の命で娶った妃であったが、生まれは辺境の男爵家、育ちは神殿の寄宿学校、養父こそディルトラン侯爵というそれなりの家だったが、本来なら王太子妃になどなれるはずがない女だ。
「お久しゅうございます」
「ああ」
久しぶりに顔を合わせたが、やはりあの女の顔はどうしても好きになれん。
他の女どものように俺に阿ることを一切せず、己の強さを笠に着ているようにしか思えない。
まったく、いけ好かない。
「お元気そうでなによりです。エリギア様」
「ふん。そなたも、ずいぶんと壮健そうだ」
窓一つない部屋に閉じ込められているというのに、ファーディリアはまったく堪えていない。
元々粗衣粗食に馴染んでいたのだ。当然といえば当然だが、そのせいで兵士たちには妙な人気がある。自分たちと同じ食事を食べる王妃を有り難がるなど、王族への敬意があまりにも足りていない証拠ではないか。
そろそろ、この女にも、この女を有り難がる民どもにも、この俺が主であると教えてやらねばならないだろう。
「このような計略を目論むとは、王国始まって以来の才媛と呼ばれ、最年少で聖女の称号を得た者は、やはり常人とは違う感性を持っているようだな」
椅子に座ったままのファーディリアの顎を掴み、睨み付ける。
顔を顰めているが、知ったことではない。この女には、これまで幾度も煮え湯を飲まされてきたのだ。
「王国の秩序を軽んじ、平民どもに叛乱を嗾けた罪、たとえ聖女、王太子妃であっても許されるものではないぞ」
「そのような事実はありません。きちんと調べて頂ければわかることです」
「ほう、では俺が偽りに踊らされているというのか?」
「それは……」
俺には頼りになる多くの臣下がいる。
広大な領地を治め、文武ともに優れた大貴族!
王家を敬い、陰に日向にと様々な支援を欠かさぬ大商人!
神殿の中にあって王族への忠誠心を持つ神官たち!
その誰もが、ファーディリアの叛逆を警告してきたのだ。
「そなたの行い、方々から訴えが届いているぞ」
「では、その訴えの証拠をお見せください。ひとつひとつ、ご説明申し上げます」
「証拠? その訴えそのものが証拠ではないか! そなたは我が臣下にどれだけ恥を掻かせれば気が済むのだ!!」
「うっ!」
思い切り頬を張り飛ばす。
くくく、どれだけ才があって気が強くとも、所詮は女でしかない。
王太子であり、夫である俺に口答えをするからこうなる!
「これまで俺は、幾度もその行動を諫めてきた! しかし、そなたは様々な虚言を弄しては俺を謀り、企みを隠そうとしてきた! だが、もう許しはしない! 王太子として、妃に罰を与えねば示しがつかん!」
「如何なる証しがあって、罪と仰るのですか! 王国は疲弊しております! 何とぞ、わたしの言葉をお聞きください!」
「うるさい! 汚い手で俺に触れるな!」
纏わり付くな、罪人が!
お前のせいで、俺がどれだけの恥を掻いてきたか分かるか!
聖女だのなんだのと民に持ち上げられ、俺を蔑ろにしてきた罰を与えてやる!
俺はこの国の王になる男だ!
お前はその添え物であればいい! そのためだけに王妃などという分不相応な地位を与えてやったのだ!
「魔法を民に広く与えるだと? 魔法とは天に選ばれし者たちが扱ってこそ正しく行使される! あの力を道理も分からぬ平民に教えたところで、いらぬ混乱が起きるだけだ! そなたは、王国の秩序を破壊するつもりか!」
「うっ! おやめ……あうっ!!」
なんなのだこの女は!
いくど蹴りつけても、あの目で俺を見てくる。
俺を憐れみ、子供のように見下すあの目だ!
「そなたは罪を犯した! なぜ許しを請わぬ! そなたは、俺をなんだと想っているのだ!!」
そうだ、俺に許しを請え。
今までの自分が間違っていたと悔い改め、俺のためにその名声を使え。
そうすれば、女として扱ってやり、俺の子を産む機会も与えてやろう。
「……犯していない罪を許してもらうことは、できません」
「貴様っ!!」
この女!
こいつは、いったいなんなのだ!
なぜ、俺に従わない。
王太子である俺に従うのは、この国の者として当然のことではないか!
この国のすべては俺のものになる!
帝国との緊張のせいで、父上の体調も思わしくない。俺がこの国の王になるのも、そう遠い未来のことではないはずだ。
ならば、誰もがこの俺を王として敬い、膝を屈するべきではないか!
それでこそ、王国は王国、俺の国として成立するのだ!!
俺の王国に、この女は必要ない!
俺を王と認めない者など、俺には必要ない!!
「おい!」
「ははっ!」
「この女を処分しろ。父上と民には、病で伏せっているとでも発表すればいい。時期を見て死んだことにする」
最初からそうすればよかったのだ。
「エリギア様……あなたはそんなにも……」
「うるさい! そんな目で俺を見るな!」
このような目で俺を見る者など、この女以外にはいなかった!
哀れみか? 同情か? それとも侮蔑か?
この国の主になる俺が、なぜこのような目で見られなければならない!
「――いいでしょう。王太子の命とあれば、わたしに異論はございません。どうとでもなさればいいでしょう。ですが、ひとつだけお願いしたいことがございます」
「……言ってみろ」
どうせ最後だ。ひとつくらいは願いを叶えてやっても良い。
この国で俺の意のままにならぬことなどないと、この女に教えてやる。
「では、今一度、真に頼むべき臣下が誰であるのか、お考え直しください。此度の一件、誰がエリギア様に進言したのか、わたしは存知上げません。ですが、聞くべき言葉を間違えれば、それはいずれエリギア様の名を汚す結果となりましょう」
「――――」
どうしてこの女は、死を前にしても俺を侮るような目をしている。
家臣の言葉に気をつけろなど、まるで子供に言って聞かせるような言葉ではないか。
「連れていけ」
もう、この女の顔など二度と見たくない。
この女が近くにいると、俺が王ではないように感じる。まるで、この女こそがこの国の主であり、俺はそのおまけであるように感じる。
「暗黒樹の森にでも捨ててこい。あそこなら、一晩と経たずに魔物の餌となるだろう。国を破壊しようとした罪人には相応しい最後だ」
「はっ」
わざわざこの手を汚す必要もない。
ファーディリアが死ぬのは、ファーディリア自身の責任であるべきだ。
俺はただ、その手助けをしたに過ぎない。
俺は、誰も殺していない。
◇◇ ◇
「なるほど、黒い塗装は馬車を目立たせないためなのね」
暗黒樹の森へとわたしを運ぶ馬車は、今までわたしが乗ってきた王太子妃の馬車と違って、真っ黒に塗られていた。
馬車を引く馬も青鹿毛だったし、薄暗い夕方から夜の間に移動するなら、ほとんどその姿を見ることはできないでしょう。
それに、馬車を操る御者も、車内に同乗している方たちも、普通の兵士とは全然違う風貌をしています。
「なんだ?」
どうやらわたしの視線に気付いたようですね。
こんな暗い車内で、よく見えるものだわ。
「あなた方は、兵士ではないのですか?」
「それを知ったところで、あんたになんの得があるっていうんだ?」
「ただ知りたいだけです」
「知ってどうなるってんだ。あんたはこれから暗黒樹の森に捨てられて、魔物の餌になるんだぞ」
「なら、教えてくれてもいいでしょう? 誰かに秘密が漏れるわけでもないのですから」
「――なるほどな、あの王太子様があんたを嫌うわけだ。あんたみたいな頭の良い奥さんがいちゃあ、自分がまるで世界で一番馬鹿に思えるだろうよ」
「そんなこと、一度も思ったことはありません」
「あんたが思っていなくても、あの王太子様はそう感じてただろうよ。まったく、あんたらを結婚させた奴は、人をふたりも不幸にしちまったようだな」
わたしたちを結婚させたのは、国王陛下です。
結婚の前、あの方はわたしにエリギア様の支えになってほしいと仰っていました。それがわたしにとっても、エリギア様にとっても、この国にとっても、一番良いことだと。
わたしもそう思っていました。
エリギア様の手が及ばない場所を、わたしが助ければいい、夫婦とはそういうものだと。
ですが、わたしがエリギア様を助けようとすればするほど、エリギア様はわたしを遠ざけました。
「生まれ変わる機会があったら、もっと上手くやるんだな」
そうですね。そんな機会に恵まれたら、そうすることにしましょう。
ただ、そんな機会があるとは、とても信じられませんが。
暗黒樹の森に向かう途中、わたしは窓のカーテンの隙間から王国の人々の暮らしを見ることができました。
帝国との緊張悪化に伴う増税で少しずつ影響は出てきているものの、まだ致命的な状況には陥っていません。
そのような状況になる前になんとかしようというのが、わたしと協力者の皆さんの目的だったのです。
「――食料の値段が上がっていますね」
「…………」
同乗者の方は肩を竦めるだけで、なにも答えてはくれません。
ですが、その態度だけで分かります。少しずつ物価が上昇しているのは確かなのです。
「はぁ……」
ですが、もうできることはありません。
元々証拠らしい証拠がなかった以上、わたしの仲間たちに手を出すことはできないはずです。彼らさえ無事ならば、まだこの国が救われる道は残っています。
「ひとつお聞きしたいのですが、わたし以外に罪に問われた方はいるのでしょうか?」
これだけは確認しておかなければなりません。
ノットヴィル卿ならば、わたしを騙すようなことはしないと思いますが、エリギア様の周囲にいる他の方々ならば、エリギア様の歓心を得ようと無茶なことをしないとも限りません。
「さてな。だが、あんたは王宮で病気療養中ってことになってるんだ。そもそも罪人なんてひとりもいないってのが表向きなんじゃねえのか?」
「なるほど、確かにその通りです」
王太子妃が罪人となれば、夫である王太子も無傷ではいられないでしょう。わたしが罪を認めようと認めまいと、わたしが罪人だと公表されることはない。
罪がないのならば、そこに連座して罪に問われる人もいないということになります。
「エリギア様は、わたしさえいなければ満足なのでしょうね」
結局のところは、その一点に尽きるのでしょう。
わたしはあの方の妻にはなれず、あの方もわたしの夫にはなれなかった。
そもそも夫婦らしいことなどひとつもしてこなったのですから、当然といえば当然なのでしょうけど。
「次はもう少し、相手に歩み寄ってみましょうか」
そんな機会があるとは思えませんが、わたしはカーテンの隙間から見える家族連れの姿を見て、そんな風に思いました。
次があれば、お父様とお母様のように、互いを尊敬し合える夫婦になってみたいものです。