旅先恋愛~一夜の秘め事~
『……大丈夫、ですか?』


ふいに耳に届いた、労わるような声に顔を上げる。

俺からほんの少し離れた場所に、華奢な女性がひとり立っていた。

いい年をして親に尻拭いをしてもらって、こんな自分が将来経営者としてやっていけるのかと悩み、嵐山にある系列ホテル近くの公園のベンチに腰かけていたときだった。


『どこか、具合が悪いのですか? 救急車を呼びましょうか?』


結婚式かなにかのパーティーに参加するのか、ドレス姿の女性が高いヒールを履いた足で近づいてくる。


『……いえ、大丈夫です』


ひとりになりたくて、外に出てきたのだから放っておいてほしかった。

まさか俺が誰か知っていて弱っている姿を見に来たのか、と意地の悪い考えすら浮かんだ。

目が疲れたため、コンタクトレンズを外して出てきたのが悔やまれる。

女性の面差しがはっきりと確認できない。


『雨が降り出してきましたし、冷えますよ』


柔らかな声に夕方の空を見上げると、夕焼けではなく厚い雲が広がっていた。

パラパラと落ちる雨粒にさえも気づいていなかった。


『これ、よかったら使ってください』


差し出されたのはベージュ色の折り畳み傘だった。


『職場が近くなので平気です。あなたのほうが必要でしょう。パーティーかなにかに出席されるのではないですか?』


『大きめの傘をホテルの方が貸してくださったので、私は大丈夫です』


そう言って彼女は腕にかけた長い傘を掲げ、広げる。
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