旅先恋愛~一夜の秘め事~
『ありがとう……』


胸にこみ上げる気持ちをどう表現してよいかわからず、無様にも月並みな感謝の言葉しか口にできなかった。

不思議そうに小首を傾げていた彼女だが、バッグの中から振動音が鳴り響くと、慌ててスマートフォンを取り出した。


『うん、うん、大丈夫。ごめん、今行くから!』


待ち合わせでもしているのか、焦った様子で彼女は通話を終える。


『あの、私、行きますね。お元気そうで安心しました。これ、よかったら使ってくださいね』


再度俺の手に傘を押し付けて、彼女はひらりと踵を返した。


『え、いや……ちょっと待って!』


ハッと我に返り、慌てて追いかけると道路わきに停止していたタクシーに彼女が乗り込んだのが見えた。

走り出したタクシーに追いつけず、ただ茫然と見送り、名前すら聞かなかったことを悔やんだ。

視力の悪さと広げていた傘のせいで、面立ちもおぼろ気にしかわからない。


もう一度、会いたい。


どん底にいた俺をすくい上げてくれた感謝の気持ちを、改めてきちんと伝えたい。

これからは心を入れ替え、奢らず仕事に取り組みたい。


残された傘をそっと手で包み込む。

彼女との出会いは俺の仕事の転機になった。

裏表のない親切は、俺の心をとても温かくしてくれた。


絶対に捜し出す、そう心に強く誓った。
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