住めば都の最下層 ~彩花荘の人々~
11、打ち上げ花火と手持ち花火
「なぁなぁ響子ちゃん、今夜皆で花火を見ぃひんか?」
増宮米店でのアルバイト中、都子さんが私にそう語りかけてきた。
「花火、ですか? ぜひ見たいですけど、どこかであるんですか?」
「今日な、運動公園の海から打ち上げ花火があがるんよ。それがアタシのお店の屋上からだととってもキレイに見えるんさ。絶景やで!」
「わぁぁ、本当ですか! それは見たいです!」
そういえば今日は日曜日だ。秀男さんがこの町は毎日が日曜日だと言っていたが、もちろん裏御神楽町にも平日と休日がある。お祭りは年中無休なので、曜日感覚はかなりマヒするのだけれども。
(花火かぁ、楽しみだな。ちゃんと打ち上げ花火を見るなんて、うちに居たころみたい)
うちのベランダも、花火がよく見える場所だった。
家族の楽しかった記憶が胸をかすめる。今、私にとって家族のような存在、彩花荘――。
「あの、もし良かったら秀男さんと蓮人くん、それに灯里さんも誘っていいですか!?」
「もちろんよぉ、皆で見た方が花火は楽しいし。ねぇ、ええよねぇ増宮さん!」
「……ああ」
都子さんが奥のほうに声をかけると、増宮さんの静かな返事が返ってきた。
さっそく私は休憩時間にメッセージアプリで蓮人くんに連絡を取る。
『蓮人くん、今日は運動公園で花火があるんだって。それで、増宮米店の屋上からは花火がすっごく良く見えるらしいの! 秀男さんと灯里さんを誘って、閉店時間にお店の前に来てよ!』
秀男さんはガラケーなので、誘うのは蓮人くんに任せる。
これで「ネトゲが~」とかいう返信が来ないと良いんだけど。
ちょっと待っていると、さっそく蓮人くんから返事が来た。
『わかった、秀男さんと灯里も誘ってみる。閉店時間ってことは午後八時に増宮米店だな。都合つけとく』
(おっ、意外に素直な返信! 蓮人くんも花火は好きなのかな?)
思わぬ好感触に、ほほが緩む。楽しみだなぁ。
その日の勤務は、花火が楽しみであっという間に終わってしまった。
そして閉店時間。店の前には秀男さんと蓮人くん、それに灯里さんの姿があった。
「皆、いらっしゃい! 入って、灯里さん、なんだかお久しぶりです!」
「詩人さんから連絡を貰って。なんでも響子さんが私も誘うように言ってくれたとか。本当にありがとうね」
灯里さんは白の外行きのワンピース。清楚な雰囲気が灯里さんにピッタリだ。
ちなみに我が彩花荘のメンバーはというと、秀男さんはタンクトップにハーフパンツ。蓮人くんはTシャツにジーンズといかにも適当である。私だったら仕事あがりじゃなければ、浴衣を着たいくらいなのに。
彼らはあまり服装に頓着がないらしい。
「はいはい皆さんお揃いで。ほな、シャッター閉めるから中入って」
皆を店の中に呼び込むと、都子さんがシャッターを閉めた。
「ほな、花火鑑賞の時間や、屋上行こうか」
エプロンを外した都子さんの案内で、店内奥の階段を昇っていく。
普段お店としてお仕事に使っているのは一階だけなので、この先は私も未知の空間だ。
三階建ての増宮米店の屋上に出る。増宮さんは花火に興味がないのか、一緒には来なかった。
屋上よりも低い場所にある街灯の光でおぼろげに照らし出されたそこは、洗濯する場所があったりと普段から使われているようで、キレイにされていた。
「敷き物持ってきたから、これ敷いて皆で見ような。それと、これや!」
皆を案内してから敷き物を持ってきた都子さんのもう片方の手には、大きなバケツが握られていた。
「バケツ? 花火鑑賞にどう使うんですか?」
「ふふーん、バケツじゃなくて大事なのは中身や中身。はい、どーぞ!」
敷き物に座った皆の真ん中にバケツが置かれる。中には氷水に浸してあるお酒が入っている。ビールにサワー、ハイボールと種類も豊富だ。ノンアルコールもある心遣い!
「おおお、やったぜ! キンキンに冷えたビールを飲みながら花火鑑賞なんて最高だな! 都子さん、ごちそうになります!」
秀男さんが大はしゃぎでビールを手に取った。蓮人くんはハイボール、灯里さんはサワーを選んだ。
「何から何まで、お世話になります」
「本当に、嬉しいです。都子さん、ありがとうございます」
ふたりが並んで座る……というか蓮人くんの横に灯里さんが座ったというか。
このふたり、どんな関係なのかなぁなんてちょっと勘ぐってしまう。
そんな私もノンアルコールサワーを頂いて、皆で花火待機。大して待つことなく、すぐに最初の花火が撃ちあがった。
「かんぱーい!」
花火が始まるとともに皆で乾杯。私はまだ飲みなれてないサワーを口にしながら、次々と打ち上げられる花火を見上げていた。増宮米店の屋上からはなんの障害物を挟むことなく、ダイレクトに花火を見ることが出来た。
「たーまやー!」
「たーーまやーー!!」
都子さんの声と、秀男さんの大声が響く。
「運動公園まで見に行ったらきっと大混雑だったでしょうね。ここで見れてよかった。ね、詩人さん」
「だいたいのことはネトゲのほうが好きだけど、花火に関してはリアルに限るな」
そうだ! と思い私はスマートフォンを出して花火の記念撮影。
これも夏の大事な思い出だよね。もう一枚……とスマートフォンを構えていると、秀男さんが笑って言った。
「響子、あんまり写真に夢中になるなよ! 花火見ろ花火!」
「そうそう。花火の感動は今一瞬、この時だけのもんだ。今を大事にしろよ」
「あ、詩人さんその口ぶり、ちょっとネットゲームのときの詩人さんっぽい、ふふっ」
ふたりに言われて、私はおずおずとスマートフォンをしまった。
「確かに、せっかくの花火を撮影で一生懸命になっちゃってたら勿体ないですよね」
「でも、一枚はええの撮れたんやろ。それならそれで良しや。あとはゆっくり花火見よ」
見上げる夜空に次々と咲く、夜の大輪。
こうして団らんの中で花火を見ていることに、私はふと懐かしさを覚えた。
(お父さん、お母さん……私たちも、毎年こんな風に過ごしていたよね――)
不意に、視界がにじむ。花火を見ていると、どうしても毎年のように家族で見上げた夜空の花火を思い出す。
秀男さんはこの町をゴールと言った。こんな記憶で涙ぐんでいるようじゃ――私はまだ気持ちの上で、ゴールには遠い場所にいるのかもしれない。そんなことに気が付いた。
単発の花火が上がり、連続でどんどん打ち上げられる花火や、ひとつひとつが光のカーテンのように散っていく花火も打ち上げられていく。
「夏って感じだなぁ! 花火は最高だしビールはうまい。ああ、生きてて良かった!」
「秀男さんはおおげさだな。まぁ、でも……悪くないね。うん、悪くない」
「毎年これが楽しみでなぁ。今年は皆と見れて嬉しいわぁ。ひとりで見るより皆で見た方が、断然楽しいからなぁ」
二本目のビールも空にした秀男さんは上機嫌で言った。蓮人くんもめずらしく笑顔だ。
ふたりがいて、都子さんがいて、灯里さんがいる。今の私にとって家族のような存在。
彼らと過ごしているからこそ思い出す、本当の家族の記憶。
あの暴力で無理やり塗りつぶされた記憶。でも、塗りつぶされた記憶の奥には、宝物のような思い出が数え切れないほど、私の心の中に残っているんだ。
(私はきっと、まだ全てを捨ててここで生きるほど吹っ切れていないんだ。いつかは、元の場所に帰らなきゃいけないんだ――)
胸の奥で、そう決心する。私はまだ、向こうの世界に残したものが多すぎる。
そしてあのとき絶望して開いたキズは、秀男さんや蓮人くんたちに癒してもらいつつあるのだ。今、きっと私は絶望なんて抱えていない。だからこそ――。
「難しい顔して、どうかしたのか響子」
「響子さん、具合い悪いの?」
「あ、蓮人くん、灯里さん。ううん、なんでもない。花火、ステキだね」
「響子! しけた面してちゃ花火に失礼だぞ! 笑え、笑えー! がっはっは!」
「やだわぁ、花火でセンチメンタルになるのもロマンチックやない。秀男さんが笑い過ぎ!」
皆でワイワイと騒ぎながら、キレイだねって言い合いながら過ぎていく時間はあっという間で。花火は最後の連発花火を終え、夜の闇に硝煙を残して消えて行った。
「かーっ! いいもん見た! 都子さん、ありがとうございました!」
「本当に、どうもありがとうございました」
皆が口々にお礼を言う。都子さんはそれに笑顔で応えた。
「いいのいいの、アタシも皆と花火を見れて楽しかったし。いつもお世話になってる皆に喜んでもらえたんなら、それが一番やわぁ」
笑顔で見送られ、増宮米店を後にした。灯里さんを送っていくという蓮人くんと別れて、私と秀男さんは彩花荘への家路についた。
「良い花火だったなぁ、響子! 誘ってくれてありがとな!」
「うん、とっても楽しかったですね。……ねぇ、秀男さん。前に秀男さんはここをゴールって言いましたよね?」
「響子? ……そうだな、確かに言った。この町はゴールだってな」
真剣な眼差しで問う私の顔を見て、秀男さんの表情も真面目なものに変わっていく。
「もしもゴールから再出発しようと思ったら、どうしたらいいのでしょう?」
「それってお前……。もしも現実に帰ろうって言うんなら、ここに来た方法と同じ方法を使えばいいんだ」
「来た方法と、同じ方法?」
「そうだ。オレは長い旅の末にここに来た。もしも現実世界に戻ろうってんなら、旅支度を整えて旅に出ればいい。お前はどうやってここに来た?」
「電車に乗ってたら、急に眠くなって……」
そう言うと、秀男さんがうなずいた。
「ホームか。電車から来るやつは結構多いんだ。それに、電車なら戻るのは簡単だ。この裏御神楽町から出ている、行き先の記されていない電車に乗れば良い。それで帰れる」
「行き先の記されていない電車……そうなんだ。ありがとうございます」
秀男さんが歩みを止めて、真剣な顔で私を見つめた。
「響子……帰る決心がついたのか?」
「決心とは違うのかもしれません。でも――いつかは戻らなきゃなって。今日、そう感じたんです。私の受けたキズはもう癒されつつあるし、向こうに残してきたものもたくさんあるんだって気が付いたから」
「そうか。もしそうなったら、ここも寂しくなるな。とりあえず、今はゆっくり休め。……よく決心したな」
そう言って、秀男さんが私の頭を撫でてくれた。
もう一か月はここに居たい、それが本音。夏休みだし、それも可能だ。
それならば帰るのは九月の終わりになるのか――。そんなことを考えながら、私は秀男さんと家路についた。「決めたなら焦ることはないさ」というのが秀男さんの意見。私も、まだもう少し皆と一緒に居たかった。
いつかは帰る。それを決められただけで、間違いなく前進だ。
彩花荘の脇道に入りながら、私は心の中で大きく頷いた。
いつか、元の世界に帰る。
いつかっていっても高校もあるし、せいぜいここに居られるのは九月いっぱいだろう。そう心に決めてから、私は何事にも積極的になれるようになった気がする。
この限られた時間を精一杯楽しもうと、割り切った思いで動けるようになったのだ。
帰るまではこの町を堪能したい、もうひとつの家族――彩花荘のひとたちと楽しい時間を目一杯過ごしたい。それが、今の私の思い。
そんな思いから、私は今日アルバイトあがりにコンビニであるものを買って彩花荘へ帰っていた。
「ねぇねぇ蓮人くん、秀男さん! 手持ち花火やりましょーよ!」
早々に夕飯を済ませた私が廊下で声をあげる。すぐに秀男さんが降りてきた。
「ほう、手持ち花火か。懐かしいねぇ! オレはいいぜ、運動公園あたりでやろう!」
秀男さんには帰ることを伝えたからか、二つ返事でOKが返ってくる。
「ネトゲなんだけど……まぁ、いいか。でもちょっと待ってて」
そういって部屋で何かしゃべったあと、蓮人くんも部屋から出てきた。蓮人くんはネットゲーム中に音声通話もしているのか。確かにたまに微かに声が聞こえてきたような気もする。
しかし困ったことに彩花荘にはバケツがない。三人で協議した結果、お風呂場の手桶をバケツ代わりに使うことにした。終わったらよく洗わなきゃ……!
三人で、残暑が厳しい夜道を歩く。
「八月ももう終わりだね。あっという間だったなぁ」
「オレたちにとっちゃビックリな一か月だったぜ。何せ、家出娘がいきなり飛び込んで来たんだからな」
「私はもう十八歳だから、家出じゃなくて旅立ちですー。まぁ、最初の一日は未成年だったけど」
「やれやれ、どっちにしたって飛び出してきた事実は変わらないじゃないか」
思い出話をしている間に、私たちは運動公園に到着する。
私と蓮人くんにとっては、ヒマなときにボクシングの避け方の練習をしている馴染みの場所だ。
水汲み場で手桶に水を張る。タバコを吸っている姿を見た事はないけれど、ライターは秀男さんが持っていた。手持ち花火の詰め合わせにあるろうそくにそのライターで火を灯して、さっそく花火の開始である。
「わー! 見る花火も良いけど自分でやる花火も良いなぁ」
「束にして持っていっぺんにやると豪勢で楽しいぞ! わはははは!」
秀男さんが両手に花火をいくつも持ってはしゃいでいる。
私はのんびりマイペースに花火をする蓮人くんの横に立って言った。
「蓮人くん、秀男さんにはもう話したんだけど、私いつか自分の元居た世界に帰ろうと思う。多分、九月の終わり頃」
「……そうか。まぁ、せっかくパンチの避け方を教えてるのにいつまでもここに居てもな」
一瞬驚いた表情をして私を見た蓮人くんが、花火に視線を戻す。
「まぁ、帰ろうと決めて今すぐ帰るんじゃなくて、九月まではここにいようっていう中途半端さがお前らしいっちゃお前らしい」
「えー、何それ。私そんなに優柔不断に見える?」
「優柔不断というよりは……考えすぎるってやつかな。まぁ、考えすぎるやつが考えに考えて出した結論だ。何も言うまい」
私たちの持っていた花火の火薬が切れ、周囲が暗闇に包まれる。
「今日、灯里さん呼ばなかったんだね」
「べつに毎回呼ぶ必要ないだろう」
「そうだけどさ、蓮人くんと灯里さん。ネットでもリアルでも仲が良いみたいだから」
「腐れ縁ってやつだ。そもそもこの町に同じネトゲをしている人間がいることが驚きだ」
私は暗がりの中で、じっと蓮人くんの表情を見つめた。
「でも、灯里さんは蓮人くんのこと良く思っているんじゃない? 詩人さん、なんて呼んでいるし」
「詩人さんってのが果たして愛称なのかねぇ、からかわれているみてーな気がするぜ」
「灯里さんはひとをからかったりしない。そんなこと、私より蓮人くんのほうがよく知っているでしょ」
「まぁ、な。ほれ、花火切れてるぞ」
蓮人くんが花火を置いてある場所から、火をつけた手持ち花火をふたつ持ってきた。
ひとつを私に手渡し、じっとその光を見つめて口を開いた。
「灯里とはネトゲの中じゃ良い相棒だよ。現実じゃあ、まぁ仲の良い知り合いってとこだ」
「ふうん、蓮人くんらしい答えだね。灯里さんは、それでいいのかな?」
「さぁてね。だけど、お前はオレのここに来た理由は知ってるだろ。うかつにひとと距離を縮めて絶望するような真似は、もうしたくない」
蓮人くんは、頑なだ。私もこんな踏み込んだ話をする気はなかったんだけど、あと約一か月でこの町を離れるという決心が、私をおしゃべりにさせたのかもしれない。何より、私の気持ちのうえでも、整理をつけたい思いがあった。
「きっと、灯里さんは蓮人くんを絶望させたりなんかしない。私、そう思うよ」
「はいはい、聞くだけ聞いておくよ。やれやれ、妙な話はもう勘弁。よっと」
蓮人くんが手持ち花火を持ったままくるりと宙を舞った。
光の輪がきれいな円を作りだして、とってもキレイ。
「蓮人くん、今のもう一回! もう一回やって!」
私はスマートフォンを取り出してカメラ機能をつけてそう言った。
「しょうがねぇなぁ……ほっ!」
さっきよりも回転数の多いジャンプ。蓮人くんは引きこもりなのに運動神経が抜群だ。
パシャリとジャンプする蓮人くんをシャッターに収める。そして、相変わらず両手で花火を持ってはしゃいでる秀男さんも写真に撮った。
「やれやれ、まだ一か月あるのに、今から思い出作りか?」
「気持ちが折れそうなときに、見返せる写真がたくさんあったらいいなーって思って」
「まぁ、せっかくこの町を出てってもすぐに心が折れて出戻りするよりかマシか」
蓮人くんがちょっと皮肉に笑って、秀男さんのほうへ歩いていく。
その背中を、薄暗い闇の中でじっと見つめる――。
やがて私もそれに続き、三人で残りの手持ち花火で遊んでいった。
「ん? これ、なんだ?」
秀男さんが正体もわからずねずみ花火に火をつける。
「あー、秀男さん! それねずみ花火ですよ! どこかに投げて!」
「へっ、投げる? この辺でいいか? て、うわっ! 動き出しやがった! わぁぁ!」
「ぷっ、くく。秀男さんはねずみ花火知らないんだな、追っかけられてらぁ」
蓮人くんが笑うと、ひとしきりねずみ花火から逃げ回った秀男さんが反撃に出た。
「お前ら今笑ってただろ! これでもくらえっ!」
秀男さんが火のついたねずみ花火を、私たちに向けて放り投げた。
「ちょっと秀男さん! 私笑ってないですよぉ! きゃー!」
「うわっ、マジ勘弁! 秀男さんそーゆーことする?」
今度は私と蓮人くんがねずみ花火に追っかけ回される。
ひとしきり騒いだ後、最後に残ったのは線香花火だ。
「秀男さん、これはなんだかわかりますよね?」
「さっきのがたまたま知らなかっただけだ! これは知ってらぁ!」
「なんか締めに地味なの残しちゃったんじゃね?」
「そんなことないよ、線香花火キレイじゃん。三人のうち、誰が一番花火を落とさないでいられるか勝負しよ!」
私たちは線香花火をそれぞれ手に持つと、「せーっの!」と掛け声と同時に火をつける。
最初は赤い火花が咲き、やがて宝石のような火球がぷっくり膨らんでいく。
「線香花火なんざ何年ぶりかな、なんだか緊張する……! うわっ、落ちちまった!」
「あ、ちょっと秀男さん、オレの方まで揺らすの勘弁だから! あー、オレも落ちた」
「やったー! 私の勝ち! もう一回勝負しよ!」
そうして線香花火を繰り返し、私たちの花火遊びは終わった……と思いきや。
とんだオマケがついていた。
「おっ、まだなんか残ってるじゃねーか。火をつけようぜ」
秀男さんが残っていた花火に火をつける。ってそれは――!
「秀男さん! それロケット花火ー!」
「なんだ? 何慌ててんだ響子?」
「いいから! それを手で持っちゃダメー! 地面に刺してください!」
「地面に刺す? こうか? っておおわぁ!?」
秀男さんが砂場にロケット花火を刺した瞬間、花火のロケットが発射された。
驚いて尻もちをつく秀男さんに、思わずわたしたちは笑ってしまう。
「あはは! 秀男さん無事で良かったです、危なかったですね。あっははは!」
「ははっ、秀男さん花火知らな過ぎでしょ。まぁケガなく何より」
「お前ら、知ってたのか! なんでオレが火をつける前に教えなかったんだよ!?」
「だって秀男さん、さっさと自分で火をつけちゃうから、言うヒマなかったですもん!」
秀男さんが砂場で倒れたお尻をパンパンと払い立ち上がる。
夏を思わせる花火特有の火薬のかおり。
私はきっといくつになっても、この光景とかおりを忘れないだろう。
「なんだかんだで面白かったな! 今回でオレは花火に詳しくなったぞ! 次は見てろ!」
「まぁ、悪くなかったね。主に秀男さんが見てて面白かったし」
「とっても楽しかったー! ふたりとも付き合ってくれてありがとう」
手桶の汚れた水を排水溝に捨て、花火の残骸をビニール袋にまとめる。
帰路につく。中央公園が音頭を終え、片づけをしている、あのお囃子を聞くのもあと約一か月か。寂しいなぁ。
「ただいまー!」
「今日は良かったなぁ! こんな日もいいなぁ!」
「じゃあオレはネトゲがあるから」
彩花荘に戻り、それぞれに部屋に帰っていくふたり。私は花火のごみをゴミ箱へ。手桶はしっかり洗ったけど、どこか火薬のにおいが残っている。
部屋に戻ると、お母さんにメッセージアプリで連絡を入れた。
『お母さん、元気? 私は今お世話になっているところに九月もお世話になろうかなと思っているよ。帰るのは九月末かな。また日程合わせて、同じ日に帰りたいな』
お母さんもヒマだったのか、すぐに返信が帰ってくる。
『あら、よっぽど今の場所が気に入ったのね。それじゃあ、お母さんもそれくらいに家に戻ろうかな。今の状態のお父さんとふたりじゃ気まずいしね。また連絡してね』
文末には舌を出した顔文字が添えられている。マイペースなお母さんらしい。
もうすぐ九月。早いなぁ……。
私は軽く身体をストレッチしてお風呂を済ませて、横になって小説を読みだした。
あと一か月。どれだけ思い出を残せるかな。悔いのないように過ごしたい。
そんなことを考えながら、私は優しい眠りに落ちていった。
「なぁなぁ響子ちゃん、今夜皆で花火を見ぃひんか?」
増宮米店でのアルバイト中、都子さんが私にそう語りかけてきた。
「花火、ですか? ぜひ見たいですけど、どこかであるんですか?」
「今日な、運動公園の海から打ち上げ花火があがるんよ。それがアタシのお店の屋上からだととってもキレイに見えるんさ。絶景やで!」
「わぁぁ、本当ですか! それは見たいです!」
そういえば今日は日曜日だ。秀男さんがこの町は毎日が日曜日だと言っていたが、もちろん裏御神楽町にも平日と休日がある。お祭りは年中無休なので、曜日感覚はかなりマヒするのだけれども。
(花火かぁ、楽しみだな。ちゃんと打ち上げ花火を見るなんて、うちに居たころみたい)
うちのベランダも、花火がよく見える場所だった。
家族の楽しかった記憶が胸をかすめる。今、私にとって家族のような存在、彩花荘――。
「あの、もし良かったら秀男さんと蓮人くん、それに灯里さんも誘っていいですか!?」
「もちろんよぉ、皆で見た方が花火は楽しいし。ねぇ、ええよねぇ増宮さん!」
「……ああ」
都子さんが奥のほうに声をかけると、増宮さんの静かな返事が返ってきた。
さっそく私は休憩時間にメッセージアプリで蓮人くんに連絡を取る。
『蓮人くん、今日は運動公園で花火があるんだって。それで、増宮米店の屋上からは花火がすっごく良く見えるらしいの! 秀男さんと灯里さんを誘って、閉店時間にお店の前に来てよ!』
秀男さんはガラケーなので、誘うのは蓮人くんに任せる。
これで「ネトゲが~」とかいう返信が来ないと良いんだけど。
ちょっと待っていると、さっそく蓮人くんから返事が来た。
『わかった、秀男さんと灯里も誘ってみる。閉店時間ってことは午後八時に増宮米店だな。都合つけとく』
(おっ、意外に素直な返信! 蓮人くんも花火は好きなのかな?)
思わぬ好感触に、ほほが緩む。楽しみだなぁ。
その日の勤務は、花火が楽しみであっという間に終わってしまった。
そして閉店時間。店の前には秀男さんと蓮人くん、それに灯里さんの姿があった。
「皆、いらっしゃい! 入って、灯里さん、なんだかお久しぶりです!」
「詩人さんから連絡を貰って。なんでも響子さんが私も誘うように言ってくれたとか。本当にありがとうね」
灯里さんは白の外行きのワンピース。清楚な雰囲気が灯里さんにピッタリだ。
ちなみに我が彩花荘のメンバーはというと、秀男さんはタンクトップにハーフパンツ。蓮人くんはTシャツにジーンズといかにも適当である。私だったら仕事あがりじゃなければ、浴衣を着たいくらいなのに。
彼らはあまり服装に頓着がないらしい。
「はいはい皆さんお揃いで。ほな、シャッター閉めるから中入って」
皆を店の中に呼び込むと、都子さんがシャッターを閉めた。
「ほな、花火鑑賞の時間や、屋上行こうか」
エプロンを外した都子さんの案内で、店内奥の階段を昇っていく。
普段お店としてお仕事に使っているのは一階だけなので、この先は私も未知の空間だ。
三階建ての増宮米店の屋上に出る。増宮さんは花火に興味がないのか、一緒には来なかった。
屋上よりも低い場所にある街灯の光でおぼろげに照らし出されたそこは、洗濯する場所があったりと普段から使われているようで、キレイにされていた。
「敷き物持ってきたから、これ敷いて皆で見ような。それと、これや!」
皆を案内してから敷き物を持ってきた都子さんのもう片方の手には、大きなバケツが握られていた。
「バケツ? 花火鑑賞にどう使うんですか?」
「ふふーん、バケツじゃなくて大事なのは中身や中身。はい、どーぞ!」
敷き物に座った皆の真ん中にバケツが置かれる。中には氷水に浸してあるお酒が入っている。ビールにサワー、ハイボールと種類も豊富だ。ノンアルコールもある心遣い!
「おおお、やったぜ! キンキンに冷えたビールを飲みながら花火鑑賞なんて最高だな! 都子さん、ごちそうになります!」
秀男さんが大はしゃぎでビールを手に取った。蓮人くんはハイボール、灯里さんはサワーを選んだ。
「何から何まで、お世話になります」
「本当に、嬉しいです。都子さん、ありがとうございます」
ふたりが並んで座る……というか蓮人くんの横に灯里さんが座ったというか。
このふたり、どんな関係なのかなぁなんてちょっと勘ぐってしまう。
そんな私もノンアルコールサワーを頂いて、皆で花火待機。大して待つことなく、すぐに最初の花火が撃ちあがった。
「かんぱーい!」
花火が始まるとともに皆で乾杯。私はまだ飲みなれてないサワーを口にしながら、次々と打ち上げられる花火を見上げていた。増宮米店の屋上からはなんの障害物を挟むことなく、ダイレクトに花火を見ることが出来た。
「たーまやー!」
「たーーまやーー!!」
都子さんの声と、秀男さんの大声が響く。
「運動公園まで見に行ったらきっと大混雑だったでしょうね。ここで見れてよかった。ね、詩人さん」
「だいたいのことはネトゲのほうが好きだけど、花火に関してはリアルに限るな」
そうだ! と思い私はスマートフォンを出して花火の記念撮影。
これも夏の大事な思い出だよね。もう一枚……とスマートフォンを構えていると、秀男さんが笑って言った。
「響子、あんまり写真に夢中になるなよ! 花火見ろ花火!」
「そうそう。花火の感動は今一瞬、この時だけのもんだ。今を大事にしろよ」
「あ、詩人さんその口ぶり、ちょっとネットゲームのときの詩人さんっぽい、ふふっ」
ふたりに言われて、私はおずおずとスマートフォンをしまった。
「確かに、せっかくの花火を撮影で一生懸命になっちゃってたら勿体ないですよね」
「でも、一枚はええの撮れたんやろ。それならそれで良しや。あとはゆっくり花火見よ」
見上げる夜空に次々と咲く、夜の大輪。
こうして団らんの中で花火を見ていることに、私はふと懐かしさを覚えた。
(お父さん、お母さん……私たちも、毎年こんな風に過ごしていたよね――)
不意に、視界がにじむ。花火を見ていると、どうしても毎年のように家族で見上げた夜空の花火を思い出す。
秀男さんはこの町をゴールと言った。こんな記憶で涙ぐんでいるようじゃ――私はまだ気持ちの上で、ゴールには遠い場所にいるのかもしれない。そんなことに気が付いた。
単発の花火が上がり、連続でどんどん打ち上げられる花火や、ひとつひとつが光のカーテンのように散っていく花火も打ち上げられていく。
「夏って感じだなぁ! 花火は最高だしビールはうまい。ああ、生きてて良かった!」
「秀男さんはおおげさだな。まぁ、でも……悪くないね。うん、悪くない」
「毎年これが楽しみでなぁ。今年は皆と見れて嬉しいわぁ。ひとりで見るより皆で見た方が、断然楽しいからなぁ」
二本目のビールも空にした秀男さんは上機嫌で言った。蓮人くんもめずらしく笑顔だ。
ふたりがいて、都子さんがいて、灯里さんがいる。今の私にとって家族のような存在。
彼らと過ごしているからこそ思い出す、本当の家族の記憶。
あの暴力で無理やり塗りつぶされた記憶。でも、塗りつぶされた記憶の奥には、宝物のような思い出が数え切れないほど、私の心の中に残っているんだ。
(私はきっと、まだ全てを捨ててここで生きるほど吹っ切れていないんだ。いつかは、元の場所に帰らなきゃいけないんだ――)
胸の奥で、そう決心する。私はまだ、向こうの世界に残したものが多すぎる。
そしてあのとき絶望して開いたキズは、秀男さんや蓮人くんたちに癒してもらいつつあるのだ。今、きっと私は絶望なんて抱えていない。だからこそ――。
「難しい顔して、どうかしたのか響子」
「響子さん、具合い悪いの?」
「あ、蓮人くん、灯里さん。ううん、なんでもない。花火、ステキだね」
「響子! しけた面してちゃ花火に失礼だぞ! 笑え、笑えー! がっはっは!」
「やだわぁ、花火でセンチメンタルになるのもロマンチックやない。秀男さんが笑い過ぎ!」
皆でワイワイと騒ぎながら、キレイだねって言い合いながら過ぎていく時間はあっという間で。花火は最後の連発花火を終え、夜の闇に硝煙を残して消えて行った。
「かーっ! いいもん見た! 都子さん、ありがとうございました!」
「本当に、どうもありがとうございました」
皆が口々にお礼を言う。都子さんはそれに笑顔で応えた。
「いいのいいの、アタシも皆と花火を見れて楽しかったし。いつもお世話になってる皆に喜んでもらえたんなら、それが一番やわぁ」
笑顔で見送られ、増宮米店を後にした。灯里さんを送っていくという蓮人くんと別れて、私と秀男さんは彩花荘への家路についた。
「良い花火だったなぁ、響子! 誘ってくれてありがとな!」
「うん、とっても楽しかったですね。……ねぇ、秀男さん。前に秀男さんはここをゴールって言いましたよね?」
「響子? ……そうだな、確かに言った。この町はゴールだってな」
真剣な眼差しで問う私の顔を見て、秀男さんの表情も真面目なものに変わっていく。
「もしもゴールから再出発しようと思ったら、どうしたらいいのでしょう?」
「それってお前……。もしも現実に帰ろうって言うんなら、ここに来た方法と同じ方法を使えばいいんだ」
「来た方法と、同じ方法?」
「そうだ。オレは長い旅の末にここに来た。もしも現実世界に戻ろうってんなら、旅支度を整えて旅に出ればいい。お前はどうやってここに来た?」
「電車に乗ってたら、急に眠くなって……」
そう言うと、秀男さんがうなずいた。
「ホームか。電車から来るやつは結構多いんだ。それに、電車なら戻るのは簡単だ。この裏御神楽町から出ている、行き先の記されていない電車に乗れば良い。それで帰れる」
「行き先の記されていない電車……そうなんだ。ありがとうございます」
秀男さんが歩みを止めて、真剣な顔で私を見つめた。
「響子……帰る決心がついたのか?」
「決心とは違うのかもしれません。でも――いつかは戻らなきゃなって。今日、そう感じたんです。私の受けたキズはもう癒されつつあるし、向こうに残してきたものもたくさんあるんだって気が付いたから」
「そうか。もしそうなったら、ここも寂しくなるな。とりあえず、今はゆっくり休め。……よく決心したな」
そう言って、秀男さんが私の頭を撫でてくれた。
もう一か月はここに居たい、それが本音。夏休みだし、それも可能だ。
それならば帰るのは九月の終わりになるのか――。そんなことを考えながら、私は秀男さんと家路についた。「決めたなら焦ることはないさ」というのが秀男さんの意見。私も、まだもう少し皆と一緒に居たかった。
いつかは帰る。それを決められただけで、間違いなく前進だ。
彩花荘の脇道に入りながら、私は心の中で大きく頷いた。
いつか、元の世界に帰る。
いつかっていっても高校もあるし、せいぜいここに居られるのは九月いっぱいだろう。そう心に決めてから、私は何事にも積極的になれるようになった気がする。
この限られた時間を精一杯楽しもうと、割り切った思いで動けるようになったのだ。
帰るまではこの町を堪能したい、もうひとつの家族――彩花荘のひとたちと楽しい時間を目一杯過ごしたい。それが、今の私の思い。
そんな思いから、私は今日アルバイトあがりにコンビニであるものを買って彩花荘へ帰っていた。
「ねぇねぇ蓮人くん、秀男さん! 手持ち花火やりましょーよ!」
早々に夕飯を済ませた私が廊下で声をあげる。すぐに秀男さんが降りてきた。
「ほう、手持ち花火か。懐かしいねぇ! オレはいいぜ、運動公園あたりでやろう!」
秀男さんには帰ることを伝えたからか、二つ返事でOKが返ってくる。
「ネトゲなんだけど……まぁ、いいか。でもちょっと待ってて」
そういって部屋で何かしゃべったあと、蓮人くんも部屋から出てきた。蓮人くんはネットゲーム中に音声通話もしているのか。確かにたまに微かに声が聞こえてきたような気もする。
しかし困ったことに彩花荘にはバケツがない。三人で協議した結果、お風呂場の手桶をバケツ代わりに使うことにした。終わったらよく洗わなきゃ……!
三人で、残暑が厳しい夜道を歩く。
「八月ももう終わりだね。あっという間だったなぁ」
「オレたちにとっちゃビックリな一か月だったぜ。何せ、家出娘がいきなり飛び込んで来たんだからな」
「私はもう十八歳だから、家出じゃなくて旅立ちですー。まぁ、最初の一日は未成年だったけど」
「やれやれ、どっちにしたって飛び出してきた事実は変わらないじゃないか」
思い出話をしている間に、私たちは運動公園に到着する。
私と蓮人くんにとっては、ヒマなときにボクシングの避け方の練習をしている馴染みの場所だ。
水汲み場で手桶に水を張る。タバコを吸っている姿を見た事はないけれど、ライターは秀男さんが持っていた。手持ち花火の詰め合わせにあるろうそくにそのライターで火を灯して、さっそく花火の開始である。
「わー! 見る花火も良いけど自分でやる花火も良いなぁ」
「束にして持っていっぺんにやると豪勢で楽しいぞ! わはははは!」
秀男さんが両手に花火をいくつも持ってはしゃいでいる。
私はのんびりマイペースに花火をする蓮人くんの横に立って言った。
「蓮人くん、秀男さんにはもう話したんだけど、私いつか自分の元居た世界に帰ろうと思う。多分、九月の終わり頃」
「……そうか。まぁ、せっかくパンチの避け方を教えてるのにいつまでもここに居てもな」
一瞬驚いた表情をして私を見た蓮人くんが、花火に視線を戻す。
「まぁ、帰ろうと決めて今すぐ帰るんじゃなくて、九月まではここにいようっていう中途半端さがお前らしいっちゃお前らしい」
「えー、何それ。私そんなに優柔不断に見える?」
「優柔不断というよりは……考えすぎるってやつかな。まぁ、考えすぎるやつが考えに考えて出した結論だ。何も言うまい」
私たちの持っていた花火の火薬が切れ、周囲が暗闇に包まれる。
「今日、灯里さん呼ばなかったんだね」
「べつに毎回呼ぶ必要ないだろう」
「そうだけどさ、蓮人くんと灯里さん。ネットでもリアルでも仲が良いみたいだから」
「腐れ縁ってやつだ。そもそもこの町に同じネトゲをしている人間がいることが驚きだ」
私は暗がりの中で、じっと蓮人くんの表情を見つめた。
「でも、灯里さんは蓮人くんのこと良く思っているんじゃない? 詩人さん、なんて呼んでいるし」
「詩人さんってのが果たして愛称なのかねぇ、からかわれているみてーな気がするぜ」
「灯里さんはひとをからかったりしない。そんなこと、私より蓮人くんのほうがよく知っているでしょ」
「まぁ、な。ほれ、花火切れてるぞ」
蓮人くんが花火を置いてある場所から、火をつけた手持ち花火をふたつ持ってきた。
ひとつを私に手渡し、じっとその光を見つめて口を開いた。
「灯里とはネトゲの中じゃ良い相棒だよ。現実じゃあ、まぁ仲の良い知り合いってとこだ」
「ふうん、蓮人くんらしい答えだね。灯里さんは、それでいいのかな?」
「さぁてね。だけど、お前はオレのここに来た理由は知ってるだろ。うかつにひとと距離を縮めて絶望するような真似は、もうしたくない」
蓮人くんは、頑なだ。私もこんな踏み込んだ話をする気はなかったんだけど、あと約一か月でこの町を離れるという決心が、私をおしゃべりにさせたのかもしれない。何より、私の気持ちのうえでも、整理をつけたい思いがあった。
「きっと、灯里さんは蓮人くんを絶望させたりなんかしない。私、そう思うよ」
「はいはい、聞くだけ聞いておくよ。やれやれ、妙な話はもう勘弁。よっと」
蓮人くんが手持ち花火を持ったままくるりと宙を舞った。
光の輪がきれいな円を作りだして、とってもキレイ。
「蓮人くん、今のもう一回! もう一回やって!」
私はスマートフォンを取り出してカメラ機能をつけてそう言った。
「しょうがねぇなぁ……ほっ!」
さっきよりも回転数の多いジャンプ。蓮人くんは引きこもりなのに運動神経が抜群だ。
パシャリとジャンプする蓮人くんをシャッターに収める。そして、相変わらず両手で花火を持ってはしゃいでる秀男さんも写真に撮った。
「やれやれ、まだ一か月あるのに、今から思い出作りか?」
「気持ちが折れそうなときに、見返せる写真がたくさんあったらいいなーって思って」
「まぁ、せっかくこの町を出てってもすぐに心が折れて出戻りするよりかマシか」
蓮人くんがちょっと皮肉に笑って、秀男さんのほうへ歩いていく。
その背中を、薄暗い闇の中でじっと見つめる――。
やがて私もそれに続き、三人で残りの手持ち花火で遊んでいった。
「ん? これ、なんだ?」
秀男さんが正体もわからずねずみ花火に火をつける。
「あー、秀男さん! それねずみ花火ですよ! どこかに投げて!」
「へっ、投げる? この辺でいいか? て、うわっ! 動き出しやがった! わぁぁ!」
「ぷっ、くく。秀男さんはねずみ花火知らないんだな、追っかけられてらぁ」
蓮人くんが笑うと、ひとしきりねずみ花火から逃げ回った秀男さんが反撃に出た。
「お前ら今笑ってただろ! これでもくらえっ!」
秀男さんが火のついたねずみ花火を、私たちに向けて放り投げた。
「ちょっと秀男さん! 私笑ってないですよぉ! きゃー!」
「うわっ、マジ勘弁! 秀男さんそーゆーことする?」
今度は私と蓮人くんがねずみ花火に追っかけ回される。
ひとしきり騒いだ後、最後に残ったのは線香花火だ。
「秀男さん、これはなんだかわかりますよね?」
「さっきのがたまたま知らなかっただけだ! これは知ってらぁ!」
「なんか締めに地味なの残しちゃったんじゃね?」
「そんなことないよ、線香花火キレイじゃん。三人のうち、誰が一番花火を落とさないでいられるか勝負しよ!」
私たちは線香花火をそれぞれ手に持つと、「せーっの!」と掛け声と同時に火をつける。
最初は赤い火花が咲き、やがて宝石のような火球がぷっくり膨らんでいく。
「線香花火なんざ何年ぶりかな、なんだか緊張する……! うわっ、落ちちまった!」
「あ、ちょっと秀男さん、オレの方まで揺らすの勘弁だから! あー、オレも落ちた」
「やったー! 私の勝ち! もう一回勝負しよ!」
そうして線香花火を繰り返し、私たちの花火遊びは終わった……と思いきや。
とんだオマケがついていた。
「おっ、まだなんか残ってるじゃねーか。火をつけようぜ」
秀男さんが残っていた花火に火をつける。ってそれは――!
「秀男さん! それロケット花火ー!」
「なんだ? 何慌ててんだ響子?」
「いいから! それを手で持っちゃダメー! 地面に刺してください!」
「地面に刺す? こうか? っておおわぁ!?」
秀男さんが砂場にロケット花火を刺した瞬間、花火のロケットが発射された。
驚いて尻もちをつく秀男さんに、思わずわたしたちは笑ってしまう。
「あはは! 秀男さん無事で良かったです、危なかったですね。あっははは!」
「ははっ、秀男さん花火知らな過ぎでしょ。まぁケガなく何より」
「お前ら、知ってたのか! なんでオレが火をつける前に教えなかったんだよ!?」
「だって秀男さん、さっさと自分で火をつけちゃうから、言うヒマなかったですもん!」
秀男さんが砂場で倒れたお尻をパンパンと払い立ち上がる。
夏を思わせる花火特有の火薬のかおり。
私はきっといくつになっても、この光景とかおりを忘れないだろう。
「なんだかんだで面白かったな! 今回でオレは花火に詳しくなったぞ! 次は見てろ!」
「まぁ、悪くなかったね。主に秀男さんが見てて面白かったし」
「とっても楽しかったー! ふたりとも付き合ってくれてありがとう」
手桶の汚れた水を排水溝に捨て、花火の残骸をビニール袋にまとめる。
帰路につく。中央公園が音頭を終え、片づけをしている、あのお囃子を聞くのもあと約一か月か。寂しいなぁ。
「ただいまー!」
「今日は良かったなぁ! こんな日もいいなぁ!」
「じゃあオレはネトゲがあるから」
彩花荘に戻り、それぞれに部屋に帰っていくふたり。私は花火のごみをゴミ箱へ。手桶はしっかり洗ったけど、どこか火薬のにおいが残っている。
部屋に戻ると、お母さんにメッセージアプリで連絡を入れた。
『お母さん、元気? 私は今お世話になっているところに九月もお世話になろうかなと思っているよ。帰るのは九月末かな。また日程合わせて、同じ日に帰りたいな』
お母さんもヒマだったのか、すぐに返信が帰ってくる。
『あら、よっぽど今の場所が気に入ったのね。それじゃあ、お母さんもそれくらいに家に戻ろうかな。今の状態のお父さんとふたりじゃ気まずいしね。また連絡してね』
文末には舌を出した顔文字が添えられている。マイペースなお母さんらしい。
もうすぐ九月。早いなぁ……。
私は軽く身体をストレッチしてお風呂を済ませて、横になって小説を読みだした。
あと一か月。どれだけ思い出を残せるかな。悔いのないように過ごしたい。
そんなことを考えながら、私は優しい眠りに落ちていった。