聖女の身代わりとして皇帝に嫁ぐことになりました
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 ソヴェルト帝国皇帝マクシミリアンは、ここのところ機嫌が悪かった。

 理由は簡単だ。慣例に則り嫁いできたフィサリア国の聖女との結婚誓約書の問題のせいである。



 結婚誓約書とは、ソヴェルト帝国では、創造神グレルカナンに結婚したことを報告する神聖なものであると考えられている。

 そのため、誓約書にサインする際は必ず司祭立ち合いのもの記入しなければならず、皇帝と言えども例外を作るわけにはいかない。

 そして司祭立ち合いの元で誓約書にサインする際はほとんどの場合は神殿で行われるので、大小に違いはあれど「結婚式」とセットで行われることが多い。



(……聖女と結婚式。考えただけで虫唾が走る)



 慣例なので、皇帝であるマクシミリアンは聖女を妻として受け入れなければならない。

 聖女を帝国皇帝が娶ると決めたのは、四百年前の皇帝で、その理由も理解できる。

 莫大な力を持つとされる聖女をほかの諸侯が娶れば、国内で内乱を起こす火種となるだろう。聖女が本当にとんでもない魔力を有しているのかどうかは、実際に聖女が魔術を使ったという記述が残っていないのでわからないけれど、真偽のほどはともかく、帝国を壊滅させることができるとさえ言われているほど強大な魔力を持つ聖女が諸侯に嫁げば、間違いなく帝国は分裂する。



 そもそも帝国は、周辺に存在した国を次々と飲みこみ築き上げた巨大国家で、各地をおさめる諸侯にはかつての王族の末裔も多く存在する。

 当時の国王は国を吸収した際に処刑、または幽閉されたと聞くが、王族すべてを同じように処刑や幽閉できるはずはない。またそのような暴力で押さえつけるような真似をすれば、各地で暴動が起きかねない。ゆえに、奪った国の王族を残し、その中でも反乱を起こす可能性が低いとされたものを各地の領主に据えるという措置が取られたらしい。



 けれどもそれから四百年。当時に据えた領主に反乱の意思がなかったからといって、性格までが子孫にそっくりそのまま受け継がれるはずもなく、独立や帝国の乗っ取りを企む連中がいないとも限らない。というか、実際、いつ反旗を翻すかわからないような連中がすでに存在している。

 マクシミリアンは幼少期の経験から猜疑心が強い方なので、本音を言えば諸侯を信用していないのだ。そんな不特定多数の反乱因子に、それを増長させるような力を持たせるわけにはいかない。

 よって、非常に不本意だが、慣例に則り聖女を娶ることは、マクシミリアンも納得した上のことだった。

 が、だからと言って、それとこれとは別物だ。



「誓約書なんて聖女に送りつけてサインさせればいいだろう」

「ですから、それは不可能ですと申し上げているではないですか」



 決裁中の書類から顔もあげずに言えば、側近のブライトから打てば響くような回答がある。

 もう何度目になるかわからない押し問答に、マクシミリアンは辟易としてきた。

 不可能なんて、やってみないとわからないじゃないか。忙しくて夫婦同時に誓いを立てられないと言えば、もしかしたら司祭たちにも受け入れられるかもしれない。



 マクシミリアンが忙しいのは、嘘偽りなく本当のことなのだ。

 父が早世して早三年。皇帝についた時は二十歳と若かったせいもあり、青二才と侮られたのか、議会もなかなかまとまらなかった。

 皇帝の一存ですべて決めてしまえれば楽だったが、議会から一定の承認を得なければ進まない議題も数多く、保留中の議題ばかり増えて行って、仕事はたまる一方だったのだ。

 三年たって少しは落ち着いたように見えたけれど、今度は別の問題が浮上してきた。

 そう――聖女問題だ。



 マクシミリアンに嫁いできた花嫁の方ではなく、祖父の妃だった聖女の方である。

 父の代ではフィサリア国で聖女は生まれず、嫁いできていなかったが、祖父の代にはいたのだ。祖父がひと年取ってから嫁いできたセラフィーナという聖女が。

 セラフィーナは故あって祖父が存命のころから、王都の北にある離宮に住んでいるのだが――マクシミリアンが即位してからおとなしくしていたはずの彼女の周辺の動きがどうもきな臭いと報告されたのは、半年ほど前だったろうか。

 以来、密かに監視をつけてその動向を探らせているけれど、まだ尻尾はつかめていない。



(あの女狐め、今度はどんな騒ぎを起こすつもりだ?)



 セラフィーナこそ、マクシミリアンが聖女を毛嫌いするきっかけを作った性悪女だった。

 すでに正妃と、正妃との間に世継ぎをもうけていたにもかかわらず、正妃を側妃に追いやってまで祖父の正妃の座におさまったセラフィーナは、まるで自分が女王か何かだと勘違いしているような女だった。

 セラフィーナが嫁いできたのはマクシミリアンが生まれる前だったけれど、祖父の側妃――すなわちマクシミリアンの祖母だった人が、セラフィーナによって殺害されたと聞けば、それだけで心中穏やかでいられない。



 セラフィーナによる祖母の殺害は、実際に彼女が手を下したという証拠があがらなかったため罪は不問となったのだが、当時城にいた多くの人間がセラフィーナの手によるものだと信じていた。

 それのみならず、父は何度もセラフィーナから命を狙われたそうで、事態を重く見た祖父はセラフィーナを城から北の離宮に移したのである。

 しかしそこでもセラフィーナの傲慢さはおさまらず、離宮ではまるで暴君のようにふるまっていると聞く。



 何かあれば聖女の力で帝国など簡単に滅ぼせるのだと言って憚らないセラフィーナを、マクシミリアンは悪魔のような女だと思っている。

 聖女の定義は心根の美しさではなく、その身に宿している魔力量だと聞くが、それならばその呼び方は聖女ではなく魔女でもいいはずだ。



 創造神グレルカナンとともに創世の時代を生きたとされる聖王シュバルツア。彼はその身に宿した膨大な魔力で、グレルカナンが世界を作るに一役買ったと言われている。

 聖女は、その聖王シュバルツアの末裔だと言われ、聖王と同等の力をその身に宿しているそうなのだが、マクシミリアンは胡散臭いことこの上ないと思っている。



 世界にはごく少数だが、魔導士を名乗る連中がいて、彼らが火や水を生み出す様は、マクシミリアンも二度ほど見たことがあるけれど、別段それほどすごいとは思えなかった。

 火なら火打石で起こせるし、水なら井戸から汲めばいい。聖女の力がいかほどかは知らないが、何もないところからコップ一杯の水を生み出せたところで、それでどうして帝国が滅ぼせる? そう思ってしまった。



 だから別段、マクシミリアンは聖女を恐れていないけれど、帝国内には聖女の力を恐れている連中が数多く存在する。

 マクシミリアンがセラフィーナをないがしろにしていると、災いが起こると苦言を呈する輩すらいるほどだ。

 馬鹿馬鹿しいと一笑に伏せられればどれだけ楽か。

 そういう連中は、ちょっと帝国内で嵐の被害があったり、旱魃が発生したりすると、すぐに聖女に結びつけて考えるのだ。

 セラフィーナが怒ったから天災が発生したのだ、と。



 馬鹿どもめ。ああ、もううんざりだ。



 フィサリア国に聖女が誕生したという噂は以前から聞いていたし、彼女がここに嫁いでくることも決定事項で、もちろんそれは理解している。

 この上さらに面倒な女が増えるのかとうんざりしたけれど、逆に考えれば、聖女が二人に増えることで、馬鹿どもの勢力が二分されないか。

 そう考えたマクシミリアンは、どうせなら利用してやろうと、できるだけ後回しにしようと考えていた聖女の輿入れを受け入れることにした。



 しかし、聖女を受け入れることにしたけれど、城に招き入れて、セラフィーナのように傲慢にふるまわれてはたまったものではない。

 マクシミリアンもできるだけ聖女には近づきたくなかったから、どうしようかと考えて、使っていない古城を聖女の住処にすることに決めた。



 あの古城は、四百年前の皇帝が聖女のために建てたものだ。住まわせるには丁度いい。王都から馬車で三日ほどの距離だし、それだけ離れていればマクシミリアンも会わずに済むだろう。

 野放しにしておけばセラフィーナのように悪だくみをはじめるかもしれないので、もともとマクシミリアンの側近を務めていたセバスチャンを執事とすることに決めた。セバスチャンに定期的に報告させれば、何か不穏な動きがあってもすぐにわかるだろう。



 マクシミリアンは自分の思いつきにいたく満足したけれど、失念していたのが結婚誓約書の問題だったというわけだ。

 マクシミリアンは唸り、それからとうとう諦めた。



「……司祭を連れて古城に俺が行けば、それでいいんだろ?」



 聖女を王都に呼び寄せれば、やれ結婚式だと大騒ぎをはじめる連中に巻き込まれるのは目に見えている。

 ならば司祭を連れて古城に行き、その場で結婚の誓いを行い、誓約書にサインをすれば、それで事足りる。

 マクシミリアンは聖女に会いたくなかったけれど、こればかりは仕方ない。

 マクシミリアンはペンを置いて、それから思い出したようにブライトに訪ねた。



「そういえば、聖女の名前はなんだったか」



 ブライトはあきれ顔で嘆息した。



「クリスティーナ様ですよ。結婚が決まったときにお伝えしたじゃないですか」



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