聖女の身代わりとして皇帝に嫁ぐことになりました
※※※
マクシミリアンが王都レグースの北にある古城に到着したのは、空が夕日に赤く染まった時分だった。
古城はぐるりと高い壁に囲まれている。
正面の古びた正門がぎーっと錆びついた音を立てて左右に開いた。その直後、御者台から「は⁉」と驚いたような声が上がって、馬車の中で本を読んでいたマクシミリアンは顔をあげた。
対面に座っている司祭とブライトもそろって顔をあげる。
「何かあったんですかね」
ブライトがそう言って御者台に続く小さな窓のカーテンを開けた。
コンコン、と窓を叩き、ブライトが「どうかしたのか?」と訊ねると、御者は困惑気味の顔で「なんでもありません」と答えたけれど、何でもないという表情ではない。
けれども馬車を進めたということは、別段危険があるほどのことでもないだろう。
引っかかりは覚えるものの、マクシミリアンはそう思いながら、扉の上についている窓から外を眺め、目をパチパチとしばたたいた。
「は?」
マクシミリアンと同じく外を見ていたブライトと司祭からもそろって「は?」と声があがる。
「……なんだこれは」
一瞬、農村地に迷い込んだのかと錯覚してしまった。
古城の殺風景な庭を想像していたマクシミリアンの目に飛び込んできたのは、青々としげる野菜たち。
「……なぜ畑がある?」
思わずつぶやいたが、マクシミリアンと同じように驚愕しているブライトや司祭から答えが返ってくるはずもない。
驚きが収まらないまま馬車は古城の玄関前に停車して、マクシミリアンは慌てて馬車から飛び降りた。
バッと庭を振り返り、あんぐりを口を開ける。
(なんだこれ……)
古城は、聖女が嫁いでくる前に下見に来ていたから、この庭がもともとどのようなありさまだったのか、マクシミリアンはよく知っている。いや。よく知っていたはずだ。
それなのに、聖女が来て一月半。そのわずかな間に、どうやったらここまで様変わりするのだろうか。
(なぜ城の庭が野菜畑になっているんだ⁉)
理解が追い付かない。ここまで頭が真っ白になったことなど、生まれてこの方一度もなかった。
唖然としているマクシミリアンに、ブライトが「陛下……」と困惑した声をあげた。
何事だと振り返り、マクシミリアンはまたも驚愕した。
「いつ城を建て替えたんだ⁉」
マクシミリアンがそう思っても無理はない。
灰色だった城の外壁が、まるで建てたばかりのように真っ白に変わっている。
どうなっているんだと頭を抱えたマクシミリアンは、玄関の前にバツの悪そうな顔をして立っているセバスチャンを見つけて詰め寄った。
「セバスチャン! これはどうなっている⁉」
セバスチャンから聖女に関する定期報告が届いていたが、報告書にはこの異質な状況については書かれていなかった。
何故だ、どうなっている、何をどうしたら一か月半でここまで様変わりできるんだ。
問い詰めると、セバスチャンは視線を泳がせながら、短く「聖女様のご意向でして……」と答えた。それではさっぱりわからない。
「陛下、取り急ぎ中へ入られてはどうでしょう? 護衛騎士の方々もお疲れでしょうし」
そのセリフに護衛の存在を思い出してマクシミリアンは振り返ったが、十人ほどいる護衛騎士たちも一様に庭の野菜畑を見て放心している。
仕方なく、マクシミリアンは護衛たちに全員中に入るように告げ、司祭を別室で休ませるように指示を出した後で、ブライトとともにセバスチャンに案内されてダイニングへ向かった。
玄関もダイニングも以前より雰囲気が格段に明るく、そして少女趣味に変わっているが、庭の異質な様子を見たあとなのでそれほど驚かなかった。
椅子に座ると、メイドが紅茶と茶菓子を出して来たけれど、手を付ける気にもならない。その前に説明しろ。
じろりと睨めば、セバスチャンは困惑顔で白状した。
曰く、嫁いできた聖女が、庭を遊ばせているのはもったいないと言い出して畑にし、壁が汚いと言って丸洗いしたらしい。内装も、お化けが出そうで怖いから嫌だと言って変更したとか。
それだけでは言っている意味がさっぱりわからなかったが、セバスチャンはさらに耳を疑うことを言った。
なんと裏手に、巨大な貯水池を作ったという。
巨大な貯水池など、大人が数十人がかりで何か月もかかるような大工事だ。どうやって一か月半の間にそのようなものを作り上げたのか理解が追い付かない。
「何故報告しなかった!」
行き場のない戸惑いを怒りに変えてセバスチャンにぶつけると、彼は弱り顔で「説明できる自信がなかった」と言い出した。確かにありのままを報告書に書かれてもマクシミリアンは信用しなかっただろう。
「セバスチャン。百歩譲って畑はいいだろう。しかし城の壁を丸洗いし、貯水池を作ったというがいったいどうやったらそうなるんだ」
「聖女様が魔術を使われまして……」
「なに?」
「城はこう、空から滝のような水がざばっと……、貯水池もほぼ一瞬で完成したと言いますか」
「はあ⁉」
「ご覧になられた方が早いかと存じます」
セバスチャンは貯水池に案内すると言い出したが、マクシミリアンとしてもそれはこの目で確認する必要があると頷いた。
(魔術? 信じられないが、まあいいだろう。貯水池と言ってもどうせ風呂くらいの大きさだろう?)
マクシミリアンの知る魔術とは、コップ一杯程度の水を生み出すような些細なものだ。どうやったらそれで城が丸洗いできて貯水池が完成するのか謎だったが、きっとセバスチャンが大げさに言っているだけに決まっている。
しかしセバスチャンのあとをついて行ったマクシミリアンは、そこに広がる湖のような巨大な貯水池に愕然とすることとなった。
(何がどうなってこうなるんだ⁉)
夢でも見ている気分だった。思わず自分の頬をつねる。……痛い。
「……陛下、これはすごいですね……」
ブライトも茫然としている。
彼の言う通り、稚拙な表現だが、「すごい」としか言いようのないものだ。それ以外言葉が出てこない。
セバスチャンが言葉もなく立ち尽くすマクシミリアンに、ぼそりと言った。
「陛下……聖女様は本当に、とんでもない力をお持ちの方ですね」
認めたくないが、どうやらそうらしいと、マクシミリアンは強い頭痛を覚えたのだった。
マクシミリアンが王都レグースの北にある古城に到着したのは、空が夕日に赤く染まった時分だった。
古城はぐるりと高い壁に囲まれている。
正面の古びた正門がぎーっと錆びついた音を立てて左右に開いた。その直後、御者台から「は⁉」と驚いたような声が上がって、馬車の中で本を読んでいたマクシミリアンは顔をあげた。
対面に座っている司祭とブライトもそろって顔をあげる。
「何かあったんですかね」
ブライトがそう言って御者台に続く小さな窓のカーテンを開けた。
コンコン、と窓を叩き、ブライトが「どうかしたのか?」と訊ねると、御者は困惑気味の顔で「なんでもありません」と答えたけれど、何でもないという表情ではない。
けれども馬車を進めたということは、別段危険があるほどのことでもないだろう。
引っかかりは覚えるものの、マクシミリアンはそう思いながら、扉の上についている窓から外を眺め、目をパチパチとしばたたいた。
「は?」
マクシミリアンと同じく外を見ていたブライトと司祭からもそろって「は?」と声があがる。
「……なんだこれは」
一瞬、農村地に迷い込んだのかと錯覚してしまった。
古城の殺風景な庭を想像していたマクシミリアンの目に飛び込んできたのは、青々としげる野菜たち。
「……なぜ畑がある?」
思わずつぶやいたが、マクシミリアンと同じように驚愕しているブライトや司祭から答えが返ってくるはずもない。
驚きが収まらないまま馬車は古城の玄関前に停車して、マクシミリアンは慌てて馬車から飛び降りた。
バッと庭を振り返り、あんぐりを口を開ける。
(なんだこれ……)
古城は、聖女が嫁いでくる前に下見に来ていたから、この庭がもともとどのようなありさまだったのか、マクシミリアンはよく知っている。いや。よく知っていたはずだ。
それなのに、聖女が来て一月半。そのわずかな間に、どうやったらここまで様変わりするのだろうか。
(なぜ城の庭が野菜畑になっているんだ⁉)
理解が追い付かない。ここまで頭が真っ白になったことなど、生まれてこの方一度もなかった。
唖然としているマクシミリアンに、ブライトが「陛下……」と困惑した声をあげた。
何事だと振り返り、マクシミリアンはまたも驚愕した。
「いつ城を建て替えたんだ⁉」
マクシミリアンがそう思っても無理はない。
灰色だった城の外壁が、まるで建てたばかりのように真っ白に変わっている。
どうなっているんだと頭を抱えたマクシミリアンは、玄関の前にバツの悪そうな顔をして立っているセバスチャンを見つけて詰め寄った。
「セバスチャン! これはどうなっている⁉」
セバスチャンから聖女に関する定期報告が届いていたが、報告書にはこの異質な状況については書かれていなかった。
何故だ、どうなっている、何をどうしたら一か月半でここまで様変わりできるんだ。
問い詰めると、セバスチャンは視線を泳がせながら、短く「聖女様のご意向でして……」と答えた。それではさっぱりわからない。
「陛下、取り急ぎ中へ入られてはどうでしょう? 護衛騎士の方々もお疲れでしょうし」
そのセリフに護衛の存在を思い出してマクシミリアンは振り返ったが、十人ほどいる護衛騎士たちも一様に庭の野菜畑を見て放心している。
仕方なく、マクシミリアンは護衛たちに全員中に入るように告げ、司祭を別室で休ませるように指示を出した後で、ブライトとともにセバスチャンに案内されてダイニングへ向かった。
玄関もダイニングも以前より雰囲気が格段に明るく、そして少女趣味に変わっているが、庭の異質な様子を見たあとなのでそれほど驚かなかった。
椅子に座ると、メイドが紅茶と茶菓子を出して来たけれど、手を付ける気にもならない。その前に説明しろ。
じろりと睨めば、セバスチャンは困惑顔で白状した。
曰く、嫁いできた聖女が、庭を遊ばせているのはもったいないと言い出して畑にし、壁が汚いと言って丸洗いしたらしい。内装も、お化けが出そうで怖いから嫌だと言って変更したとか。
それだけでは言っている意味がさっぱりわからなかったが、セバスチャンはさらに耳を疑うことを言った。
なんと裏手に、巨大な貯水池を作ったという。
巨大な貯水池など、大人が数十人がかりで何か月もかかるような大工事だ。どうやって一か月半の間にそのようなものを作り上げたのか理解が追い付かない。
「何故報告しなかった!」
行き場のない戸惑いを怒りに変えてセバスチャンにぶつけると、彼は弱り顔で「説明できる自信がなかった」と言い出した。確かにありのままを報告書に書かれてもマクシミリアンは信用しなかっただろう。
「セバスチャン。百歩譲って畑はいいだろう。しかし城の壁を丸洗いし、貯水池を作ったというがいったいどうやったらそうなるんだ」
「聖女様が魔術を使われまして……」
「なに?」
「城はこう、空から滝のような水がざばっと……、貯水池もほぼ一瞬で完成したと言いますか」
「はあ⁉」
「ご覧になられた方が早いかと存じます」
セバスチャンは貯水池に案内すると言い出したが、マクシミリアンとしてもそれはこの目で確認する必要があると頷いた。
(魔術? 信じられないが、まあいいだろう。貯水池と言ってもどうせ風呂くらいの大きさだろう?)
マクシミリアンの知る魔術とは、コップ一杯程度の水を生み出すような些細なものだ。どうやったらそれで城が丸洗いできて貯水池が完成するのか謎だったが、きっとセバスチャンが大げさに言っているだけに決まっている。
しかしセバスチャンのあとをついて行ったマクシミリアンは、そこに広がる湖のような巨大な貯水池に愕然とすることとなった。
(何がどうなってこうなるんだ⁉)
夢でも見ている気分だった。思わず自分の頬をつねる。……痛い。
「……陛下、これはすごいですね……」
ブライトも茫然としている。
彼の言う通り、稚拙な表現だが、「すごい」としか言いようのないものだ。それ以外言葉が出てこない。
セバスチャンが言葉もなく立ち尽くすマクシミリアンに、ぼそりと言った。
「陛下……聖女様は本当に、とんでもない力をお持ちの方ですね」
認めたくないが、どうやらそうらしいと、マクシミリアンは強い頭痛を覚えたのだった。