聖女の身代わりとして皇帝に嫁ぐことになりました


 城のダイニングにもどって一時間ほど経てば、少しは気分が落ち着いてきた。

 まだ驚いているし、信じられない気持ちだが、どうやら嘘ではないらしい。

 落ち着いてくると次に気になってくるのは、その聖女の存在だった。



 これまでマクシミリアンが知っていた聖女は祖父の妃のセラフィーナただ一人。彼女が魔術を使う様は今まで一度も見たことがないし、歴代の聖女たちももったいぶってか、一度も魔術を使わなかったというから、こうもあっさり、惜しげもなく魔術を披露したクリスティーナとはどんな女だろうかと気になったのだ。

 セバスチャンによると、クリスティーナが裏の貯水池を作ったのは、このあたり一帯の水不足を憂いてのことだったらしい。

 今後、貯水池から用水路を伸ばして町や村を潤すつもりらしいと聞かされれば、それは気になるだろう。

 なぜならセラフィーナしか知らないマクシミリアンは、聖女とは性悪女だと決めつけていたから、他人のためにわざわざ魔術を使ったクリスティーナが気になっても仕方がない。



(あれか? もしかして善良なふりをして俺に取り入ろうという作戦か? ふ、そうはいかない。化けの皮をはがしてやる)



 マクシミリアンの年季の入った聖女嫌いはどうしても穿った方向に考えてしまう。

 とりあえずその顔を拝んで、本音を引き出してやるのだ。

 夫となる皇帝が来たというのに、聖女はまだ一度も顔を出していない。まったく失礼な女だ。これだから傲慢な聖女は。



(まあいい、夕食になったら姿を現すだろう)



 こちらからわざわざ会いに行くのは、まるで聖女に傅いているようで嫌だった。

 どうせもうじき夕食だ。片道三日もかかるのでさすがにとんぼ返りは嫌だった。一泊していくとセバスチャンにも事前に通達している。

 変に期待されても嫌なので聖女には伝えるなと言っておいたから、もしかしたら聖女はまだマクシミリアンの到着に気が付いていないのかもしれない。

 夕食時に降りてきたときに驚くだろう。聖女の顔が見ものだと、マクシミリアンはほくそ笑んだ。









 ――が。



(……なぜ夕食の時間になっても姿を現さない?)



 マクシミリアンはダイニングテーブルの上に並べられた食事を見て、眉を寄せた。

 食事が気に入らないのではない。聖女が降りてこないから気に入らないのだ。

 夕食の席にはブライトと司祭の姿がある。護衛騎士たちは別室で食事を取るから、ここに足りないのは聖女ただ一人だけだ。



「おい」



 さすがに黙っていられず、マクシミリアンはワインをワイングラスに注いでいるセバスチャンに訊ねることにした。



「聖女はどうしたんだ。姿が見えないが」



 もしかしなくともこれは拒絶だろうか。会いもせずに古城に閉じ込めたマクシミリアンに、プライドの高い聖女は怒っているのだろう。マクシミリアンが謝罪に来るのを待っているのかもしれない。……これだから聖女は。傲慢な女だ。

 マクシミリアンはそう決めつけたけれど、帰ってきた答えは予想外のものだった。

 セバスチャンが「忘れていた」と言わんばかりにバツの悪い顔をした。



「すみません。お伝えしておりませんでした。クリスティーナ様は体調を崩されてお休み中です」

「なに?」

「ええっと……お風邪をひかれまして」



 一瞬だが、セバスチャンが笑いの衝動を我慢するかのような表情をしたのを、マクシミリアンは見逃さなかった。

 部屋の隅にいるメイドたちも、今にも吹き出しそうな顔であさっての方向へ向いている。



(なんだ?)



 聖女が風邪を引いたことがそんなに面白いのだろうか。



(ああ、ここの者たちは聖女を嫌っているんだな。だから風邪で苦しんでいるのが嬉しいんだろう)



 まさかセバスチャンたちが、貯水池を作る際にクリスティーナがずぶぬれになったことを思い出して笑いをこらえているとは知らないマクシミリアンは、またもや勝手に決めつける。



(でもそうか、タイミングが悪かったな)



 体調が悪い聖女に無理やり結婚誓約書にサインをさせるような真似はできない。聖女嫌いのマクシミリアンでも、そこまで鬼ではないのだ。



(聖女の体調が治るまで滞在するしかないな)



 本当はさっさとサインをもらって王都に帰るつもりだったけれど、こうなったらやむを得ない。

 セバスチャンにしばらく滞在する旨を伝えると、彼もそれがいいだろうと頷いた。



「休暇だと思って少しごゆっくりなさいませ。即位以来、陛下は少々働きすぎでございますから」



 古城で執事を任せるまでマクシミリアンの側近を務めていたセバスチャンはそう言った。

 城にいてはあれやこれやと気になってなかなか心休まる日がなかったけれど、ここは古城。積み上げられている書類もないから、必然的にゆっくりすることになる。



 駆り立てられるように三年間仕事漬けだったマクシミリアンは、それもいいだろうと思うことにした。久しぶりの休暇だと思えばいい。

 聖女クリスティーナも、寝込んでいるなら何もできまい。セバスチャンの報告書によると、古城に押し込められたクリスティーナはマクシミリアンを恨んでいないとのことだったが、本心はどうかわからない。

 セバスチャンの報告書には、「聖女様はつつがなくお過ごしです」とばかり書かれていたが、実際にこの目で見て見ないとわからないことだってある。庭の野菜畑や貯水池がそうだ。

 マクシミリアンは夕食のオムレツを口に入れて、目を丸くした。



「うまいな。これ」

「取れたての新鮮な卵ですからね」



 セバスチャンがまたもや変なことを言った。



「取れたて?」

「はい。聖女様のご意向で鶏を飼いはじめましたので」

「…………」



 マクシミリアンはこめかみを押さえた。



(なぜ鶏を飼いはじめる? いや、いい。もう驚かないぞ。あの聖女はきっとおかしいんだ)



 聖女クリスティーナは公爵令嬢だったはずだ。だが普通の令嬢は、畑を作ったり貯水池を作ったり鶏を飼ったりするはずがない。絶対に普通ではないのだ。というか公爵令嬢というのは嘘で、どこかから村娘を連れてきたのではないか?



(ああ、でも、確かにこのオムレツは上手い)



 卵が新鮮か新鮮でないかだけでこうも味が変わるのだということを、マクシミリアンははじめて知った。

 一心不乱にオムレツを食べながら、城でも鶏を飼おうかなと一瞬でも考えてしまったことは、墓場までの秘密にしよう。

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