聖女の身代わりとして皇帝に嫁ぐことになりました
※※※
この男は誰だろう。
アンとミラが来て、部屋が明るくなったからか、ちょっと冷静さを取り戻して来たけれど、だからと言ってそう簡単に警戒心が消えてなくなるわけじゃない。
つい「人間?」と訊ねてしまったのは、こんな顔の男はこの古城でついぞ見たことがないからだ。
銀髪に、菫色の瞳。びっくりするほど背が高く、何というか……イケメン。整いすぎて怖いくらいに顔が整っている。
着ているものは上も下も黒い夜着。そのせいか、目を覚ました時に銀色の髪と白い肌だけが闇の中に浮かび上がって見えて、本気でお化けが出たと思った。
内装を一新したとはいえ、もともとお化け屋敷みたいだった頃のこの部屋の様子は覚えている。やっぱりここにはお化けが出るんだとパニックになって叫んで枕で殴りつけてしまったけれど、元はと言えば人が寝ているところに勝手に入り込んできた、この見知らぬ男が全部悪い。
怖かった。本気で怖かった。もうやだ、思い出しただけで泣きそう。
わたしはアンの背後に隠れるように回って、じっとりと男を睨みつける。
足はある。首もつながっている。……ちゃんと人間、だと思う。
「誰?」
びくびくしながら訊ねると、慌てたのはアン達だった。
「クリスティーナ様! 陛下でございます」
「へいか?」
誰だそれ。そんな名前の使用人はいただろうか? 首をかしげると、ミラがこそっと耳打ちしてくる。
「マクシミリアン陛下です! 皇帝陛下ですよ!」
「はい?」
「ですから、クリスティーナ様のご夫君になられる、マクシミリアン陛下ですってば!」
なんですって⁉
「え、なんでここにいるの⁉ わたしに会いたくないからこのお化け屋敷に閉じ込めたんでしょ⁉」
思わず声に出してから、「やばい」と慌てて口を押えたけれどもう遅い。ばっちり聞かれてしまって、マクシミリアン陛下だという男のうしろでセバスチャンが「あちゃー」と天井を仰いだ。
マクシミリアンは形のいい眉をピクリと跳ね上げ、それから口端だけ笑みの形にした。目が笑っていない笑顔。めちゃくちゃ怖いんですけど。
たらーっと冷や汗をかいたわたしは、ひしとアンの背中に張り付いた。
マクシミリアンはぴくぴくと眉を動かしながら言う。
「結婚誓約書にサインが必要でな。司祭立ち合いのもとサインをもらいに来たのだが、それが何か問題か?」
怒ってる。間違いなく怒ってる。わたしはアンの背後でブンブンと首を横に振った。
だが、こちらにだって言い分はある。結婚誓約書にサインをもらいに来たのはわかったが、どうして夜、わたしが寝ている部屋に押し入ってきたのだろうか。まさか風邪で寝込んでいる女を叩き起こしてサインさせるつもりだった? 鬼畜か⁉
「それだけ元気そうならすぐに体調もよくなりそうだな。騒がせて悪かった。ゆっくり休むといい」
機嫌が悪そうなままマクシミリアンはくるりと踵を返した。
そのまま出て行ってくれたので、わたしはひとまずほーっと安堵する。
あー、怖かった!
こなき爺よろしく張り付いているわたしを、アンは肩越しに振り返って、言った。
「陛下をお化けに間違えたなんて、前代未聞ですよ……」
そう言うけれど、経験したらわかる。暗闇に顔だけ浮かび上がって見えたら、極度のお化け嫌いのわたしでなくても怖いに決まっている。
「……というか、どうして陛下はこんな夜にこの部屋に来たのかしら?」
まさか本当に叩き起こして結婚誓約書にサインをさせるつもりだったわけではあるまい? 例えせっかちな人でも、せめて朝までは待てるはずだ。
わたしは素朴な疑問を口にしたけれど、その問いの答えを持っている人は、この部屋には誰一人として存在しなかった。
この男は誰だろう。
アンとミラが来て、部屋が明るくなったからか、ちょっと冷静さを取り戻して来たけれど、だからと言ってそう簡単に警戒心が消えてなくなるわけじゃない。
つい「人間?」と訊ねてしまったのは、こんな顔の男はこの古城でついぞ見たことがないからだ。
銀髪に、菫色の瞳。びっくりするほど背が高く、何というか……イケメン。整いすぎて怖いくらいに顔が整っている。
着ているものは上も下も黒い夜着。そのせいか、目を覚ました時に銀色の髪と白い肌だけが闇の中に浮かび上がって見えて、本気でお化けが出たと思った。
内装を一新したとはいえ、もともとお化け屋敷みたいだった頃のこの部屋の様子は覚えている。やっぱりここにはお化けが出るんだとパニックになって叫んで枕で殴りつけてしまったけれど、元はと言えば人が寝ているところに勝手に入り込んできた、この見知らぬ男が全部悪い。
怖かった。本気で怖かった。もうやだ、思い出しただけで泣きそう。
わたしはアンの背後に隠れるように回って、じっとりと男を睨みつける。
足はある。首もつながっている。……ちゃんと人間、だと思う。
「誰?」
びくびくしながら訊ねると、慌てたのはアン達だった。
「クリスティーナ様! 陛下でございます」
「へいか?」
誰だそれ。そんな名前の使用人はいただろうか? 首をかしげると、ミラがこそっと耳打ちしてくる。
「マクシミリアン陛下です! 皇帝陛下ですよ!」
「はい?」
「ですから、クリスティーナ様のご夫君になられる、マクシミリアン陛下ですってば!」
なんですって⁉
「え、なんでここにいるの⁉ わたしに会いたくないからこのお化け屋敷に閉じ込めたんでしょ⁉」
思わず声に出してから、「やばい」と慌てて口を押えたけれどもう遅い。ばっちり聞かれてしまって、マクシミリアン陛下だという男のうしろでセバスチャンが「あちゃー」と天井を仰いだ。
マクシミリアンは形のいい眉をピクリと跳ね上げ、それから口端だけ笑みの形にした。目が笑っていない笑顔。めちゃくちゃ怖いんですけど。
たらーっと冷や汗をかいたわたしは、ひしとアンの背中に張り付いた。
マクシミリアンはぴくぴくと眉を動かしながら言う。
「結婚誓約書にサインが必要でな。司祭立ち合いのもとサインをもらいに来たのだが、それが何か問題か?」
怒ってる。間違いなく怒ってる。わたしはアンの背後でブンブンと首を横に振った。
だが、こちらにだって言い分はある。結婚誓約書にサインをもらいに来たのはわかったが、どうして夜、わたしが寝ている部屋に押し入ってきたのだろうか。まさか風邪で寝込んでいる女を叩き起こしてサインさせるつもりだった? 鬼畜か⁉
「それだけ元気そうならすぐに体調もよくなりそうだな。騒がせて悪かった。ゆっくり休むといい」
機嫌が悪そうなままマクシミリアンはくるりと踵を返した。
そのまま出て行ってくれたので、わたしはひとまずほーっと安堵する。
あー、怖かった!
こなき爺よろしく張り付いているわたしを、アンは肩越しに振り返って、言った。
「陛下をお化けに間違えたなんて、前代未聞ですよ……」
そう言うけれど、経験したらわかる。暗闇に顔だけ浮かび上がって見えたら、極度のお化け嫌いのわたしでなくても怖いに決まっている。
「……というか、どうして陛下はこんな夜にこの部屋に来たのかしら?」
まさか本当に叩き起こして結婚誓約書にサインをさせるつもりだったわけではあるまい? 例えせっかちな人でも、せめて朝までは待てるはずだ。
わたしは素朴な疑問を口にしたけれど、その問いの答えを持っている人は、この部屋には誰一人として存在しなかった。