聖女の身代わりとして皇帝に嫁ぐことになりました
本物の聖女


 フィサリア国王太子ジェラルドは馬車の窓から大分近づいてきた荘厳な城を見上げて口端を持ち上げた。



 ソヴェルト帝国王都レグース。

 整然と区画整理された、言わずと知れた大陸最大都市だ。



 大通りのみならず、細い小道に至るまで石畳が敷かれ、都市の中央部には大きな噴水広場がある。

 王都レグースを含む周辺地域は水不足が深刻化していると聞くが、巨大な噴水を見る限りそうは見えない。

 聞くところによると、夏になると井戸の水位が下がり、下手をしたら干上がることもあるらしいので、そういう時に市民が困らないようにと噴水を作ったという。



 大通りには帝国の技術で作られた高い建物が並んでいた。それらの一階部分のほとんどが何らかのものを売っている店で、二階以上は市民の住居となっている。

 人と通りは多いが、馬車が通る道と人が歩き道を分けられているので、馬車の事故も少ないらしい。

 素晴らしい街だと、ジェラルドは素直に感嘆した。

 だからこそ、はやる気持ちが抑えきれない。

 今日から、この素晴らしい街は、帝国は、ジェラルドのものとなるのだから。



「アンジェリカ、打ち合わせたことは覚えているな?」



 対面座席に座るアンジェリカに訊ねれば、彼女はきつく巻いた茶色の髪をくるくると指に巻き付けながらにこにこと笑った。



「はい! 聖女の力で帝国を滅ぼすぞって脅せばいいんですよね!」

「ああ。本用に力を使う必要はない。くれぐれも脅すだけだ」

「もちろんです! ふふふ、これでわたくしはフィサリア国の王妃で帝国の女帝ですね!」



 うっとりとアンジェリカは頬を染める。冗談ではなく、本心からそう信じている夢見がちな目をしていた。

 ジェラルドは「そうだな」と頷いて再び窓の外に視線を向けた。



 アンジェリカは、頭が弱いところが玉に瑕だが、その分扱いやすくていい。

 幼いころから皆に傅かれるのが当たり前だったアンジェリカは、「君のためだ」と言う言葉をすぐに信じる。

 帝国の城の玄関前で馬車が停まると、ジェラルドは馬車を降りてアンジェリカに手を差し出した。

 しかし派手なドレスを着こんできたアンジェリカは、裾がひらひらしすぎてなかなかうまく馬車を降りられずもたついている。



(だからそのドレスはやめろと言ったのに)



 ジェラルドの忠告も聞かず、「女帝にふさわしいドレスを着るんです」と言って強引に着てきた緋色のドレスは、スカート部分をクリノリンで大きく膨らませている派手なものだ。馬車の扉から出るのも一苦労で、ようやく馬車から降りることができたアンジェリカは肩で息をしていた。

 そんな様子を、迎えに出てきた帝国の使用人が唖然とした面持ちで眺めている。

 するとそれに気づいたアンジェリカは不快そうに細い眉を跳ね上げた。



「何か文句でもあるの⁉」

「アンジェリカ」



 到着して早々問題を起こされてはたまらない。ジェラルドはできるだけ穏やかに彼女の名前を呼んで、そっと丸みを帯びた両肩に手を乗せる。



「みんな君が美しいから見とれているだけだよ。目くじらを立てるようなことじゃない」



 すると単純なアンジェリカはころっと機嫌をよくして頷いた。



「まあ、そうでしたの。それは失礼いたしましたわね。どうぞ。好きなだけご覧になって結構よ」



 帝国の使用人たちは戸惑ったようだったが、さすがによく教育されている。すぐに表情を正して、ジェラルドとアンジェリカを城の中へ案内した。

 謁見の間の扉の前に案内されると、フィサリア国の小さな城の謁見の間とは比べ物にならないほどの壮麗な扉に圧倒されるが、今日からこの城が自分のものになるのだと思えば気分がいい。



 扉の前に立っていた衛兵二人が恭しく扉を押し開けると、広い謁見の間の最奥の、数段高いところにある玉座に、皇帝マクシミリアンが泰然と座しているのが見えた。

 マクシミリアンの隣にはクリスティーナが立っている。



(……相変わらず、美しい女だな)



 クリスティーナが着ているのは、瞳の色と同じ水色のドレスだった。アンジェリカのように無駄に膨らんでおらず、ほっそりとした肢体を強調するようなデザイン。艶やかな金髪は結われておらず、右耳の上に白百合の髪飾りをつけていた。外見だけで言えば、アンジェリカよりも圧倒的に聖女らしい清らかで儚げな美貌。ジェラルドは目的のためにクリスティーナを手放したことを少し後悔したけれど、すべてが終われば再び手に入れることができるのだと思いなおす。



 玉座の下には、聖女セラフィーナの姿もあった。彼女の周りには「彼女の協力者」の姿もある。



 ――役者はそろった。



 ジェラルドはアンジェリカとともに玉座の前まで歩み寄り、頭を下げる。この男に頭を下げるのも、これが最後だ。



「この度はお時間を取っていただきありがとうございます」



 口先だけの礼を述べれば、皇帝マクシミリアンが鷹揚に頷く。



「かまわぬ。それで、要件とは?」



 ジェラルドはニッと口端を持ち上げ、顔をあげた。



「要件とはほかでもございません。――この帝国を、我らに明け渡していただきたく、こうして参った次第でございます」



 ざわり、と玉座の間にさざめきのような喧騒が広がった。それはだんだんと大きくなり、やがて口々に「無礼者!」と声が上がる。

 しかし、それを遮ったのはほかでもない、マクシミリアンだった。



「静かにしろ。……それで、ジェラルド殿下。帝国を明け渡せとはどういうことだ?」



 マクシミリアンの声に動揺はない。だがきっと、心の中ではさぞ慌てていることだろう。ジェラルドはほくそ笑みながら続ける。



「そのままの意味にございます。そもそも、聖女を輩出する我が国が帝国の属国のような扱いを受けている今こそおかしいのだと、陛下はお思いになりませんか? 聖女を輩出する我が国こそ、大陸で――いえ、世界で一番尊い国である。ゆえにこの大陸を帝国が支配していることこそおかしいのです。そっこく玉座を明け渡し、帝国は我が国の軍門に下ることを、私はここに要求いたします」



 その途端、再び玉座の間には怒号が飛んだが、一角だけ、聖女セラフィーナの周囲からは喝采が上がった。

 マクシミリアンはさぞ慌てていることだろう。ジェラルドはほくそ笑んだけれど、マクシミリアンは不思議そうに首を傾げた。



「何を言うのかと思えば、くだらぬ」



 そう吐き捨てたマクシミリアンに、ジェラルドはカッとなるが、ぐっと感情を抑え込むと続ける。



「くだらぬ、本当にそうでしょうか? 聖女は大陸を喪滅ぼせるほどの絶大な力の持ち主。いかに皇帝と言えど太刀打ちはできますまい。帝国は、聖女に――我が国にひれ伏すしかないのですよ」

「ならばなぜ、四百年前にそうしなかった」



 マクシミリアンは薄く笑う。



「できなかったのだろう? なぜならフィサリア国にはもう何百年もの間、聖女など誕生していないのだからな」



 謁見の間が再びざわりとした喧噪に包まれる。

 驚いたのはジェラルドも同じだった。



「なぜ、と言いたそうな顔だ。私が調べていないとでも思ったか? これまで何人もの聖女を帝国に嫁がせてきたようだが、それはすべて偽物だろう。そこのセラフィーナを含めて、すべて、な」



 セラフィーナがキッとマクシミリアンを睨みつけるが、彼は目もあわそうとしなかった。

 まさかマクシミリアンがここまで調べていたとは知らなかったが、別に知られたところでたいした問題ではない。



 ジェラルドはアンジェリカに視線を向けた。

 アンジェリカはぼーっとマクシミリアンを見つめていたが、ジェラルドが彼女の名前を呼ぶとハッと顔をあげる。どう考えてもマクシミリアンの顔に見入っていた。確かに整った顔立ちをしているが、それに惑わされて本来の目的を見失われては困る。



「確かにこれまでずっと聖女は誕生していなかったかもしれません。しかし今は違う。わが国には数百年ぶりに、本物の聖女が誕生したのですから」



 ジェラルドの言葉に合わせて、アンジェリカはすっと前に出た。

 そして、胸を大きく逸らせて艶然と微笑む。



「わたくしこそ、本物の聖女ですわ! 素直に国を明け渡さないと、大陸すべてを破壊しちゃいますけど、それでもいいんですか、陛下?」



 にこにこ笑いながら脅しをかけるアンジェリカに、マクシミリアンは片眉をあげて、それから笑った。



「なるほど。確かに本物の聖女が現れたらしい。そんな力を向けられたら我が帝国と言えどひとたまりもないな」



 もっと粘るかと思ったが、あっさり敗北宣言。ジェラルドは意外にも物わかりのいい皇帝だなと思ったが、次の瞬間、目を剥いた。



「だが残念ながら、そこにいるアンジェリカ・アシュバートンはそなたの言うところの本物の聖女ではない。本物はこちら側にいる。――クリスティーナ」



 マクシミリアンの呼びかけに、クリスティーナが一歩前に出て、ちょっぴり困ったように微笑んだ。

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