聖女の身代わりとして皇帝に嫁ぐことになりました
※※※
「聖女様、いえクリスティーナ様! おやめください‼」
少し離れたところで、セバスチャンが悲鳴を上げていた。
春で温かくなってきたからか、にょきにょきと一斉に雑草が伸びはじめた広大な庭の片隅に、わたしはえいやっと鍬を突き立てている。
地道にぷちぷち草むしりをしようかと思ったのだが、当分放置されていた地面はカチカチに固まっていて、抜こうとしても途中でブチッとちぎれてしまう。
ならばどうせ耕すつもりだったのだから、耕しながら雑草駆除をすればいいだろうと思いいたった次第だ。
もういっちょ、えいやっと!
何を隠そう、前世でわたしは農家の娘だった。
大学に進学し、卒業後は隣町の小さな建築会社に事務として就職したけれど、休みの日は家業を手伝って鍬を振るっていたから慣れている……の、はずだけど。うーん。さすが公爵令嬢。実家で使用人扱いをされていても、さすがに鍬を振り回すことがなかったからか、腕や腰が早くも痛くなってきた。たった十五分でこれでは、体を鍛えなければならないだろう。
「クリスティーナ様! お怪我をなさいますから!」
十五分も経ったのに、セバスチャンはまだわたしを止めることを諦めない。
アンとミナの二人はとうに諦めていて、むしろ手伝った方が早いだろうと、わたしが掘り返した端から雑草をゴミ箱代わりの木箱に入れていた。これは後から、厩舎係のグレンに渡す予定だ。城の裏手にある厩舎には、馬だけでなく羊と牛と鶏までいる。羊と牛は乳を搾るためで、鶏は卵を回収するために、二日前にセバスチャンに頼んで買ってもらった。
というか、これはわたしの誤算と言うか――単に考えなしだっただけなんだけど――一年間の予算の中から食費や光熱費などの固定費にあたる部分を差し引くのをすっかり忘れていたのよね。
壁紙とか家具とかを派手に発注したがために、残金がほとんどない。というか、結構カツカツ。明日のお米――もとい、米職ではないから、明日の麦も買うお金がないというわけじゃないけれど、このままだと間違いなく三か月先には食べるものに困りそうなので、今から自給自足する準備を整えておくのだ。
そう言えば、セバスチャンも眉間にしわを寄せてうなりながら、それは仕方がないと納得した。けれども、まさかわたし自ら鍬を振るうとは思わなかったのだろう。
厩舎係のグレンは動物好きで、十三歳と十五歳の彼の息子も仕事を手伝っているからか、牛が四頭に羊が六頭、鶏を十二羽増やしても、その分給料を上乗せしてくれるなら構わないと、渋い顔のセバスチャンと違ってこちらはあっさりオッケーしてくれた。
古城の使用人は町からの通いもいるけれど、半数以上が住み込みだ。グレン一家は通いだったけれど、動物の世話が大変になるから城に住めばいいだろうとタダで空き部屋を提供したところ、さらに張り切り出して、慣れてきたらもっと動物を増やしてくれるそうだ。
わたしが古城に来て一週間になるが、どうやら想像していた「聖女様」像とかなりのギャップがあったみたいで、話しやすいと判断されたのか、最近みんなとても気安い。
とりあえず、古城の中から蝋人形みたいな使用人は誰もいなくなったので、わたし的には大満足なのだけど――、セバスチャンだけはどうにもまだ頭が固い。そう心配しなくても怪我なんてしないよーだ。
「もうおやめください!」
叫びすぎて声が枯れてきたセバスチャンが可哀そうになって、わたしはいったん鍬を置いた。
「大丈夫よ。怪我なんてしないもの」
「万が一と言うこともございます! どうしてもと言うのならばご命令くだされば私どもで対応いたしますから!」
「手伝ってくれるの?」
それはありがたい。手伝ってくれるかなあと言う下心もあって鍬は四本ほど購入しているから、どうぞ好きに使ってほしい。
「じゃあ、セバスチャンはあっちの方から耕してね。終わったら今度は堆肥と石灰と腐葉土を混ぜて……」
「いえ、ですから……!」
何が何でもわたしから鍬を取り上げたいらしいが、そうはいかない。やりたくてうずうずしながら、注文していた鍬の到着を今か今かと待ち続けていたのだ。
「そもそも、クリスティーナ様はいったい何をされているのでしょうか?」
おっと、そこから訊きますか。そう言えば、自給自足の準備を整えると入ったけど、この庭をどうするかまでは説明していなかった。
「えっとね。この庭を畑にするのよ」
「……はい?」
「だから、畑。今わたしが耕しているあたりを果樹園にしてー、あっちには麦を育ててー、それからあっちはー」
「ちょ、ちょっとお待ちください!」
わたしの素敵な庭改造計画を、セバスチャンが途中で遮った。
「畑ですか?」
「うん。だって、こんなに広い土地、遊ばせていたらもったいないじゃない」
「もったいない⁉」
「あ、果樹の苗はこれからだけど、種は注文しているのがたくさん届いたわよ。今からだったらトマトとかキュウリとかカボチャにナスにウリにトウモロコシ……」
「クリスティーナ様!」
これ以上聞いていられないと言わんばかりにセバスチャンが待ったをかけた。
「どうして城の庭を畑にするんですか⁉」
「だから、土地があいてるからだってば」
「……はい?」
「自給自足計画って言ったでしょ? 育てた野菜とかはこの城で食べて、余りそうなら売り払えばいいじゃない。お金も稼げて一石二鳥」
これはアンもミナも初耳だったので、二人は雑草拾いをする手を止めて目を丸くする。
「な……なぜ?」
さっきから、何故、どうしてのオンパレードね。まあ、わたしも、ちょっぴり――いえ、かなり、お嬢様とか聖女とかのイメージからかけ離れてことをしている自覚はあるけれど。
「他にも動物たちはもっと増やすつもりだし、自給自足の準備ができたらお金儲けを考えてもいいわね」
「はい?」
「お金儲けはまだピンとこないんだけど、何かいい案ないかしらね?」
「……」
「じゃそういうことだから、あっちから耕してね。よろしく」
わたしはそう言って鍬を振り上げる。
セバスチャンが魂が抜けたような顔をして立ち尽くしているが気にしない。
だって、これからずっとここでわたしと生活するのよね? だったら早く慣れてもらった方がいいもの。いちいちすることなすこと驚かれて説明を求められても、わたしも大変だし。なんかこう、以心伝心って言うのかしら。わたしがしようとすることをくみ取ってくれる関係がいいわよね。
お城は着々と幽霊屋敷が明るい雰囲気に変貌しつつある。
変えてほしいと頼んだメイド服も、ピンクや水色や黄色と、とてもカラフルになった。明るければ何色でも好きにしていいと言ったからか、メイドたちがこぞってお洒落に目覚めはじめたからである。うんうんいい傾向だ。このままお化け屋敷とおさらばしたい。
畑を作り終えたら、今度はチーズ作りにもチャレンジしたい。前世のお父さんが知り合いから乳牛を一頭買ってきて、自家製チーズを作ったことがあるから手順はわかっている。
アンとミラは、わたしがここに来て翌日には自ら商人たちに商品を注文し、つぎつぎと古城の模様替えに着手しはじめたからか、わたしの奇行には耐性ができたみたいで、「まあ好きにすればいいんじゃない?」とばかりに、再び雑草を拾いはじめた。
本当は城の外壁も洗ってしまいたいんだけど、この世界に高圧洗浄機など存在しないし、あったとしても上の方は無理だ。
魔法を使ってざばーっと洗ってしまえればいいのだが――……ああ、そうだった。
「アン、わたしって聖女よね?」
「何をわかりきったことを訊くんですか?」
アンはわたしがアンジェリカの身代わりだと知らないから変な顔をしている。
「聖女って、帝国ではどう伝わっているの?」
「怒らせたら国を滅ぼしかねない面倒な女」
「は?」
「高度な魔法を使える、世界で唯一、聖王の力を継ぐ存在です」
しまった、みたいな顔をして言い直してもダメです。
なるほど、帝国では聖女はそんな傲慢で面倒な女だと思われているみたい。そりゃあ、会ったときに蝋人形みたいに表情のない顔で黙りこくっているはずだわ。できるだけ距離を取って関わらないようにしていたのだろう。うん。わたしだってそんな面倒な女には近づきたくない。
今の聖女が本当に世界を滅ぼせるだけの力を有しているかどうかは甚だ疑問だが、聖女が魔法を使えるという認識であるなら都合がいい。
フィサリア国にいたときは魔法が使えることは黙っていたけれど、ここなら問題ないだろう。
というか、前世の記憶を取り戻す前まで、「クリスティーナ」は自分のことを魔導士だと思っていたみたいなんだけど、たぶんこのレベルは違うと思うのよね。
(聖女が一度に二人現れることって、あるのかしらね?)
魔術が使えることを黙っていたので、国も家族も、わたしのことをただの人だと思っているけれど、たぶんこの力は「聖女」のものだ。
昔も今も聖女たちはどうやら自分の力を使いたがらないようだけど、わたしは違う。
使えるものは、使うべきだ。便利な力があるのに使わないのは、宝の持ち腐れってものでしょう?
「予定変更。庭は後回しで、城の壁を洗いましょう」
わたしが宣言すると、アンとミラは「また変なことを言い出した」とあきれ顔で、セバスチャンはあんぐりと口を開いて固まった。
「聖女様、いえクリスティーナ様! おやめください‼」
少し離れたところで、セバスチャンが悲鳴を上げていた。
春で温かくなってきたからか、にょきにょきと一斉に雑草が伸びはじめた広大な庭の片隅に、わたしはえいやっと鍬を突き立てている。
地道にぷちぷち草むしりをしようかと思ったのだが、当分放置されていた地面はカチカチに固まっていて、抜こうとしても途中でブチッとちぎれてしまう。
ならばどうせ耕すつもりだったのだから、耕しながら雑草駆除をすればいいだろうと思いいたった次第だ。
もういっちょ、えいやっと!
何を隠そう、前世でわたしは農家の娘だった。
大学に進学し、卒業後は隣町の小さな建築会社に事務として就職したけれど、休みの日は家業を手伝って鍬を振るっていたから慣れている……の、はずだけど。うーん。さすが公爵令嬢。実家で使用人扱いをされていても、さすがに鍬を振り回すことがなかったからか、腕や腰が早くも痛くなってきた。たった十五分でこれでは、体を鍛えなければならないだろう。
「クリスティーナ様! お怪我をなさいますから!」
十五分も経ったのに、セバスチャンはまだわたしを止めることを諦めない。
アンとミナの二人はとうに諦めていて、むしろ手伝った方が早いだろうと、わたしが掘り返した端から雑草をゴミ箱代わりの木箱に入れていた。これは後から、厩舎係のグレンに渡す予定だ。城の裏手にある厩舎には、馬だけでなく羊と牛と鶏までいる。羊と牛は乳を搾るためで、鶏は卵を回収するために、二日前にセバスチャンに頼んで買ってもらった。
というか、これはわたしの誤算と言うか――単に考えなしだっただけなんだけど――一年間の予算の中から食費や光熱費などの固定費にあたる部分を差し引くのをすっかり忘れていたのよね。
壁紙とか家具とかを派手に発注したがために、残金がほとんどない。というか、結構カツカツ。明日のお米――もとい、米職ではないから、明日の麦も買うお金がないというわけじゃないけれど、このままだと間違いなく三か月先には食べるものに困りそうなので、今から自給自足する準備を整えておくのだ。
そう言えば、セバスチャンも眉間にしわを寄せてうなりながら、それは仕方がないと納得した。けれども、まさかわたし自ら鍬を振るうとは思わなかったのだろう。
厩舎係のグレンは動物好きで、十三歳と十五歳の彼の息子も仕事を手伝っているからか、牛が四頭に羊が六頭、鶏を十二羽増やしても、その分給料を上乗せしてくれるなら構わないと、渋い顔のセバスチャンと違ってこちらはあっさりオッケーしてくれた。
古城の使用人は町からの通いもいるけれど、半数以上が住み込みだ。グレン一家は通いだったけれど、動物の世話が大変になるから城に住めばいいだろうとタダで空き部屋を提供したところ、さらに張り切り出して、慣れてきたらもっと動物を増やしてくれるそうだ。
わたしが古城に来て一週間になるが、どうやら想像していた「聖女様」像とかなりのギャップがあったみたいで、話しやすいと判断されたのか、最近みんなとても気安い。
とりあえず、古城の中から蝋人形みたいな使用人は誰もいなくなったので、わたし的には大満足なのだけど――、セバスチャンだけはどうにもまだ頭が固い。そう心配しなくても怪我なんてしないよーだ。
「もうおやめください!」
叫びすぎて声が枯れてきたセバスチャンが可哀そうになって、わたしはいったん鍬を置いた。
「大丈夫よ。怪我なんてしないもの」
「万が一と言うこともございます! どうしてもと言うのならばご命令くだされば私どもで対応いたしますから!」
「手伝ってくれるの?」
それはありがたい。手伝ってくれるかなあと言う下心もあって鍬は四本ほど購入しているから、どうぞ好きに使ってほしい。
「じゃあ、セバスチャンはあっちの方から耕してね。終わったら今度は堆肥と石灰と腐葉土を混ぜて……」
「いえ、ですから……!」
何が何でもわたしから鍬を取り上げたいらしいが、そうはいかない。やりたくてうずうずしながら、注文していた鍬の到着を今か今かと待ち続けていたのだ。
「そもそも、クリスティーナ様はいったい何をされているのでしょうか?」
おっと、そこから訊きますか。そう言えば、自給自足の準備を整えると入ったけど、この庭をどうするかまでは説明していなかった。
「えっとね。この庭を畑にするのよ」
「……はい?」
「だから、畑。今わたしが耕しているあたりを果樹園にしてー、あっちには麦を育ててー、それからあっちはー」
「ちょ、ちょっとお待ちください!」
わたしの素敵な庭改造計画を、セバスチャンが途中で遮った。
「畑ですか?」
「うん。だって、こんなに広い土地、遊ばせていたらもったいないじゃない」
「もったいない⁉」
「あ、果樹の苗はこれからだけど、種は注文しているのがたくさん届いたわよ。今からだったらトマトとかキュウリとかカボチャにナスにウリにトウモロコシ……」
「クリスティーナ様!」
これ以上聞いていられないと言わんばかりにセバスチャンが待ったをかけた。
「どうして城の庭を畑にするんですか⁉」
「だから、土地があいてるからだってば」
「……はい?」
「自給自足計画って言ったでしょ? 育てた野菜とかはこの城で食べて、余りそうなら売り払えばいいじゃない。お金も稼げて一石二鳥」
これはアンもミナも初耳だったので、二人は雑草拾いをする手を止めて目を丸くする。
「な……なぜ?」
さっきから、何故、どうしてのオンパレードね。まあ、わたしも、ちょっぴり――いえ、かなり、お嬢様とか聖女とかのイメージからかけ離れてことをしている自覚はあるけれど。
「他にも動物たちはもっと増やすつもりだし、自給自足の準備ができたらお金儲けを考えてもいいわね」
「はい?」
「お金儲けはまだピンとこないんだけど、何かいい案ないかしらね?」
「……」
「じゃそういうことだから、あっちから耕してね。よろしく」
わたしはそう言って鍬を振り上げる。
セバスチャンが魂が抜けたような顔をして立ち尽くしているが気にしない。
だって、これからずっとここでわたしと生活するのよね? だったら早く慣れてもらった方がいいもの。いちいちすることなすこと驚かれて説明を求められても、わたしも大変だし。なんかこう、以心伝心って言うのかしら。わたしがしようとすることをくみ取ってくれる関係がいいわよね。
お城は着々と幽霊屋敷が明るい雰囲気に変貌しつつある。
変えてほしいと頼んだメイド服も、ピンクや水色や黄色と、とてもカラフルになった。明るければ何色でも好きにしていいと言ったからか、メイドたちがこぞってお洒落に目覚めはじめたからである。うんうんいい傾向だ。このままお化け屋敷とおさらばしたい。
畑を作り終えたら、今度はチーズ作りにもチャレンジしたい。前世のお父さんが知り合いから乳牛を一頭買ってきて、自家製チーズを作ったことがあるから手順はわかっている。
アンとミラは、わたしがここに来て翌日には自ら商人たちに商品を注文し、つぎつぎと古城の模様替えに着手しはじめたからか、わたしの奇行には耐性ができたみたいで、「まあ好きにすればいいんじゃない?」とばかりに、再び雑草を拾いはじめた。
本当は城の外壁も洗ってしまいたいんだけど、この世界に高圧洗浄機など存在しないし、あったとしても上の方は無理だ。
魔法を使ってざばーっと洗ってしまえればいいのだが――……ああ、そうだった。
「アン、わたしって聖女よね?」
「何をわかりきったことを訊くんですか?」
アンはわたしがアンジェリカの身代わりだと知らないから変な顔をしている。
「聖女って、帝国ではどう伝わっているの?」
「怒らせたら国を滅ぼしかねない面倒な女」
「は?」
「高度な魔法を使える、世界で唯一、聖王の力を継ぐ存在です」
しまった、みたいな顔をして言い直してもダメです。
なるほど、帝国では聖女はそんな傲慢で面倒な女だと思われているみたい。そりゃあ、会ったときに蝋人形みたいに表情のない顔で黙りこくっているはずだわ。できるだけ距離を取って関わらないようにしていたのだろう。うん。わたしだってそんな面倒な女には近づきたくない。
今の聖女が本当に世界を滅ぼせるだけの力を有しているかどうかは甚だ疑問だが、聖女が魔法を使えるという認識であるなら都合がいい。
フィサリア国にいたときは魔法が使えることは黙っていたけれど、ここなら問題ないだろう。
というか、前世の記憶を取り戻す前まで、「クリスティーナ」は自分のことを魔導士だと思っていたみたいなんだけど、たぶんこのレベルは違うと思うのよね。
(聖女が一度に二人現れることって、あるのかしらね?)
魔術が使えることを黙っていたので、国も家族も、わたしのことをただの人だと思っているけれど、たぶんこの力は「聖女」のものだ。
昔も今も聖女たちはどうやら自分の力を使いたがらないようだけど、わたしは違う。
使えるものは、使うべきだ。便利な力があるのに使わないのは、宝の持ち腐れってものでしょう?
「予定変更。庭は後回しで、城の壁を洗いましょう」
わたしが宣言すると、アンとミラは「また変なことを言い出した」とあきれ顔で、セバスチャンはあんぐりと口を開いて固まった。