突然ですが、契約結婚しました。
あぁ、と短い応答があった後、2人の間に静寂の海が広がった。
湯気の立ち上るマグカップに視線を落とす。鼻のつま先で、向かいに座る主任が何を逡巡しているのか察知する。そして、それを切り出せずにいることも。
だから、口火は自分から切った。

「遠山さんと……健太くんと、数年ぶりに話をしました」

視線が真っ直ぐにこっちを向いたことはわかったけれど、私は瞼を伏せたまま言葉を紡いだ。

「健太くんと付き合っていた時、私は子どもで、どうしようもないくらい幼くて、向き合うことからも健太くんからも逃げました。そのことを、私はずっと後悔してた」
「…………」
「だから、会うのが怖かったんです。何を言われても仕方ないと思っていたけど、やっぱり怖くて。それはもう、会場に向かう足が震えるくらい」

情けなく笑いながら顔を上げると、主任の真摯な目と視線が絡んだ。彼は静かな表情で、私の話を聞いていた。
きっと、健太くんと向き合わざるを得なくなった責任が主任の心の中にはあるのだろう。
そのことが伝わってくるから、私は声色が硬くならないよう精一杯努めた。

「優しい人だってことは私がよく知ってるはずなのに、そんなことは頭から抜けていて。何を言われるんだろうって、ビクビクしながら彼に会いました。だけど、やっぱり彼は変わらなくて」
「……うん」
「沢山話をして……残ったのは、優しい思い出だけでした」

私の言葉を聞いて、主任がほっとしたように表情を和らげた。まるで、お湯の中に入浴剤が溶けていくような。
心配してくれていたんだと、全身でひしひしと感じる。

「今回私が行くことになったのは偶然だけど、行けてよかった。健太くんと向き合う機会をくださって、ありがとうございました」

私が頭を下げると、主任はテーブルの向こうで小さく首を振った。

「向き合えたのは、小澤と遠山さんがちゃんと覚悟を決めて話をしたからだろ。俺は何もしてない」
「何もしてないなんてそんなことは」
「俺はただ、体調崩して友人にも部下にも迷惑かけて、1人で寝込んでただけだ」

真剣な面持ちでそんなことを言うので、緊張が解けて思わず吹き出してしまう。

「真剣に聞いてたのに、自虐ネタ挟むのなしです!」
「なんだよ、事実を述べただけだろ」
「その事実が自虐なんですって」

面白さをわかっていて、しかし真顔で言うので、肩の力が抜ける。ユーモアを求める場面ではなかったはずなのに。
あぁもう。やっぱり関西人なんだな、この人。ちゃんとオチをつけてくるんだから。
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