突然ですが、契約結婚しました。

ep.1 ハイヒールとシルバーグレー

「お待たせしました、アイスコーヒーのトールでお待ちのお客様〜」

朝、会社の最寄駅に着いてから、駅構内にある全国チェーンのコーヒーショップでテイクアウトを頼むのがここ2年の日課になっている。
入社後2年目くらいまでは、自分を鼓舞したい時とかいいことがあった次の日とか、そういう、トクベツな日の自分へのプレゼントだった。

そんなかつての癒し要素が、今やエナジードリンクのようになっているのには、ワケがある。



都内主要駅から電車に揺られること数分。改札を出て5分ほど歩いたところにある、鉄筋コンクリート構造の8階建てのビル。
その5階と6階にオフィスを構える(株)LCM 関東第二営業所は、社内の医療事業部門において、全国でも着実に成績を伸ばしている営業所だ。

営業職として新卒で入社して、早5年。
何とか仕事にも余裕が出てきた……と言いたいところだけど、人員編成の見直しがあった昨年度から担当エリアが変わってからと言うもの、私は日々、忙殺されている。

「小澤」

……来た。

朝礼後、タイミングを図る気配もなく背中に声が掛けられた。

波を感じさせない低音ボイス。
声と口調を無視しても、背後に立っているのが誰なのか、容易に想像がついてしまう。

バレないように小さく息を吐いてデスクに向かいかけていた体を翻すと、やはり頭に思い浮かべていた人物が立っていた。

「おはようございます、──柳瀬(やなせ)主任」

椅子に座る私の前にぬっと聳え立つこの男こそ、エナジードリンクが必須になっている原因だ。
ぺたりと笑顔を貼り付けて挨拶するも、彼の眉間には深い皺が刻まれたまま。無愛想に「おう」とだけ返された。

それからすぐに、彼は手元のタブレットを翻して私に見せる。

「白根会病院の売り上げ、前月割れしてるけど」
「あー……。えっと、丸山先生が学会とかでしばらく日本離れてて、それで」
「そんなスケジュール、昨日今日決まったことじゃないよな? 穴空くのが予めわかってるなら、どこかでリカバリーする必要があったんじゃないのか」

びゅんびゅん飛んでくる言葉達は、矢の如く容赦のかけらもない。
引っ提げられた内容は反論のしようもないほど真っ当で、それゆえに反撃の手立てがないことが恨めしい。

「すみません」
「謝るんじゃなく策を練れ。俺の担当含めて、来月は巻き返すぞ」

鼓舞する、とは到底言い難いような物言いで、言いたいことだけを言った彼は振り返ることもなく自分のデスクに戻っていった。
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