突然ですが、契約結婚しました。
その想いの効力は如何許りか。

「そういうお前は?」
「へ?」

話の矛先が私に向くとは思っていなかったので、反応が遅れた。主任は気に留める素振りも見せず、お酒が入ったグラスを傾ける。

「大河んとこで初めて会った時、誰とも付き合うつもりなくてフったって言ってたけど、過去に付き合った男くらいおったやろ」
「すごい、よく覚えてますね」
「そりゃな。あの日のことは色んな意味で忘れんわ」
「あはは、確かに」

これまでにお付き合いをした人は何人かいる。だけど、問われて思い浮かぶのは彼の姿だけだ。

「……私も、似たようなものです。一緒にいると落ち着く人で、すごくすごく私のことを大事にしてくれたけど……私が、同じだけのものを返せなかった」

今より、もう少しだけ若かったあの頃。振り返ると、今も胸が痛む。私にはもったいないくらい、誠実な人だった。

「与えてもらうのと同じくらい大切にしたいって……その気持ちだけはあったけど、その気持ちだけじゃどうしようもなかった」
「…………」
「今思えば、当然だとも思うんです。自分を大切にする方法すら知らない私が、他の誰かのことを大切に出来るはずがなかった。……結局、怖くなって、逃げるようにお別れしました」

これが特定の誰かとお付き合いをした最後。あまりにも自分本位で、身勝手な終わり方だったと思う。

「って……なんで、主任がそんな顔してるんですか」

グラスを片手に、思わず笑ってしまう。振り返ると、主任が眉間に皺を寄せて口を引き結んでいたのだ。まるで、痛い。とでも言うように。

「……俺と結婚して、よかったんか」
「え?」
「仮面とはいえ、俺との結婚でお前を法的に縛った。けどもしかしたら、その男よりもずっと大事にしてくれて、小澤も大事にできるやつが、この先現れたかもしらん」

そう言う主任の瞳には一片の曇りもなくて、真っ直ぐで、少しだけ苦しい。それはきっと、ぐいっと呷ったお酒のせい。
何を今更。反駁する気持ちが迫り上がって、喉の奥が痛んだ。

「この結婚の言い出しっぺは私です」
「それはそうやけど……」
「みくびらないでください。私は、自分の意思でこの結婚を決めました」

この先、誰かと生きていくつもりなんかなかった。例え誰かがそれを望んでくれたとしても、その手をとることはなかった。
そんな私だけど、初めて、主任との結婚ならいいと思えたのだ。大嫌いだけど、本当に嫌いだったけど、少なくともその感情に付随する信頼があって利害関係も成り立った。
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