突然ですが、契約結婚しました。
「やだ、待って」
──腕を伸ばして、主任のシャツの裾を掴んだ。熱に浮かされた私は、多分、正気じゃない。
「ひとりに……しないで……」
思いがけない言葉を音に乗せて、自分の耳に届いたタイミングでようやく、自身が何を口走ったのか気が付いた。慌てて、裾を掴んだ手を離す。私、今……何を。
「す……すみません! やだ、何言ってんだろ私」
「小澤」
「変なこと言ってごめんなさい。忘れてください」
両手を伸ばして主任から顔を隠す。弁明する私の口は、知らず知らずのうちに早く回った。
「あはは、ホント恥ずかしい。気にせず、お風呂行ってくださいね」
私も、すぐに自分の部屋に行きますから。声にしようと頭に浮かべた言葉は、目の前に沈んだ影によって遮られた。
「しゅ……主任?」
「何だよ、そのカオ。小澤が言ったんだろ」
ソファーの前に座り込んで、主任が私の顔を覗き込む。相変わらず、悔しいほど綺麗な顔。……じゃなくて!
「言いました。言いましたけど! 気を使わせちゃってすみません。ほんと、変なこと口走った自覚はありますのでっ……」
「はいはい、わかったって。じゃあ、俺何も聞いてないから」
「じゃあって……」
「俺が突然風呂入るのが面倒になった。リビングでダラダラしたくなったんだ。これなら文句ないだろ?」
ジャケットを脱いだスーツ姿のままで、ソファーに背中を預けた主任は平然と言いのけた。
何それ。私が参ってるって気付いておきながら。仕事帰りで絶対に疲れてるのに。上目遣いでそんなこと言うの、ずるいよ。
「私……もう少しゆっくりしてからじゃないと、部屋戻れませんけど」
「お前の家だろ。好きなだけいたらいい」
「このまま寝ちゃう可能性も否定出来ませんけど……」
「身体痛めるなよ」
背中を向けたまま、けしてこちらに視線を送ることもなく、主任はぶっきらぼうに返答する。だけど。
「……ありがとう、ございます」
主任の不器用さを、私はもう知っている。彼の思いやりが、表面では違う様相をすることも。
何度も何度も、わかりにくすぎる優しさを向けてくれたから。
「礼を言われるようなことは何も」
主任の背中をぼんやりと眺めているうちに再び瞼が落ちてきて、気が付いた時には微睡の中にいた。その晩、嫌な夢は見なかった。
体調もすっかり良くなり、12月。
「小澤ぁぁぁ!」
外回りから帰社するなり、1年先輩の男性社員、元野さんが飛んできた。あまりの勢いに、思わず慄く。
──腕を伸ばして、主任のシャツの裾を掴んだ。熱に浮かされた私は、多分、正気じゃない。
「ひとりに……しないで……」
思いがけない言葉を音に乗せて、自分の耳に届いたタイミングでようやく、自身が何を口走ったのか気が付いた。慌てて、裾を掴んだ手を離す。私、今……何を。
「す……すみません! やだ、何言ってんだろ私」
「小澤」
「変なこと言ってごめんなさい。忘れてください」
両手を伸ばして主任から顔を隠す。弁明する私の口は、知らず知らずのうちに早く回った。
「あはは、ホント恥ずかしい。気にせず、お風呂行ってくださいね」
私も、すぐに自分の部屋に行きますから。声にしようと頭に浮かべた言葉は、目の前に沈んだ影によって遮られた。
「しゅ……主任?」
「何だよ、そのカオ。小澤が言ったんだろ」
ソファーの前に座り込んで、主任が私の顔を覗き込む。相変わらず、悔しいほど綺麗な顔。……じゃなくて!
「言いました。言いましたけど! 気を使わせちゃってすみません。ほんと、変なこと口走った自覚はありますのでっ……」
「はいはい、わかったって。じゃあ、俺何も聞いてないから」
「じゃあって……」
「俺が突然風呂入るのが面倒になった。リビングでダラダラしたくなったんだ。これなら文句ないだろ?」
ジャケットを脱いだスーツ姿のままで、ソファーに背中を預けた主任は平然と言いのけた。
何それ。私が参ってるって気付いておきながら。仕事帰りで絶対に疲れてるのに。上目遣いでそんなこと言うの、ずるいよ。
「私……もう少しゆっくりしてからじゃないと、部屋戻れませんけど」
「お前の家だろ。好きなだけいたらいい」
「このまま寝ちゃう可能性も否定出来ませんけど……」
「身体痛めるなよ」
背中を向けたまま、けしてこちらに視線を送ることもなく、主任はぶっきらぼうに返答する。だけど。
「……ありがとう、ございます」
主任の不器用さを、私はもう知っている。彼の思いやりが、表面では違う様相をすることも。
何度も何度も、わかりにくすぎる優しさを向けてくれたから。
「礼を言われるようなことは何も」
主任の背中をぼんやりと眺めているうちに再び瞼が落ちてきて、気が付いた時には微睡の中にいた。その晩、嫌な夢は見なかった。
体調もすっかり良くなり、12月。
「小澤ぁぁぁ!」
外回りから帰社するなり、1年先輩の男性社員、元野さんが飛んできた。あまりの勢いに、思わず慄く。