突然ですが、契約結婚しました。
しばらくして出てきたのは、グレープフルーツのリキュールを基に作られた青いカクテル。寒空を連想させる青は、卓上で灯を揺らすキャンドルによく映える。

「美味しい。ありがとうございます、タイガさん」
「いーえ。ゆっくりしてってね」

言い残して、タイガさんは仕事に戻っていく。他のお客さんからのオーダーもあるらしかった。

カウンターに肘をついて、キャンドルの灯をぼうっと眺める。落ち着く。本当にいいバーを見つけたよ、あの時の私。
そのおかげで主任とプライベートで会って、酔っ払って入籍までしたわけだけど。本当に、色んなことがあった1年だった。
来年は、どんな年になるのかな。仕事もそこそこに、このまま……どうかこのまま、穏やかな1年になればいい。

それは、心からの切なる願いだ。

「お、いらっしゃい。珍しいね、2人?」
「あぁ。空いてる?」
「今空いた席あるから、すぐに片付ける。少し待って」
「悪いな」

扉が開く鈍い音がして、次に聞こえてきたのは聞き慣れた低い声。
顔を上げさせたのは脊髄で、そのアルトが既に生活の一片になっていることを思い知る。

「そうだ。来てるよ、タマちゃん」

私よりも入口側のカウンター席を片付けながら、タイガさんの視線がこちらに投げられた。入口に立つ2人の目線もこちらに投げられて──どうして。心臓が大きく跳ねる。

「偶然だな。来てたのか」

主任の声掛けは、右から左へと流れていく。まるで絡み付いたツタのように、重なった視線は逃げ道を見失っていた。

「そうだ、小澤にも話したことあったよな。こちら、泰煌製薬の遠山さん。郁輪会病院で知り合ったんだ」
「…………」
「遠山さん。こちら、同僚の小澤です。今は担当エリアが違いますが、つい先月までは同じエリアを担当していました」
「…………」

私も、彼も、声を出すことが出来ずにいる。かつて同じ時間を過ごした。それなのに、無責任に別れた。そんな私達が、まさかこんな場所で。
変わらない。あの頃と、何一つ。穏やかな空気感も、優しげな一重の目も、色素の薄い柔らかそうな髪も。──あの頃の健太くんのままだ。

「真緒、それじゃ他人行儀すぎない?」
「うるさいぞ、大河」

タイガさんの横槍が入って、主任の鋭い視線が向けられる。待って。まだ、待って。そう思った時には、もう遅かった。

「同僚で……俺の妻です」

瞬間、彼の目が大きく見開かれた。
あぁ──。
本当に、なんで私は主任に言っておかなかったんだろう。彼と知り合ったと知った時点で、彼は私のかつての恋人なんだって。
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