突然ですが、契約結婚しました。
会いたくなかったわけじゃない。感謝こそすれど、私が彼を避ける理由なんてない。だけど。
結婚から逃げた女が、他の誰かの妻になっている。そんな勝手があるか。然るべき説明も弁明もせず、ただ無責任に逃げた私は……少なくとも今は、彼の前に現れるべきではないと。

「──初めまして、泰煌製薬の遠山と申します。ご主人──柳瀬さんには、お世話になっております」

血管が凍る思いで、変わらない口調で発せられる彼の言葉を聞いた。手のひらに汗が滲んで、自分の中で焦燥感が高まっていくのがわかる。

「初めまして──LCMの小澤と申します。──主人がお世話になっております」

やっとの思いで絞り出した声は、私と彼にしかわからない温度で震えていた。


「それ、何かの冗談だよね」

開口一番、電話の向こうから聞こえてきたのは緊張感の張り詰めた声だった。寒空の下を幾分早足で歩きながら、私は小さく唸る。

「冗談だったらよかった」

私の返答を聞いて、彼女もまた深い溜め息を吐いた。
夫に連れられてバーに現れた彼と再会したのはつい数刻前のこと。適当に理由をつけてバーを飛び出し、今に至る。

「まさかこんな形で再会することになるなんて思ってもなかった」
「パターンとしては最悪ね」

電話の向こうの湯浅はまだ帰宅途中らしく、時折後ろで車の音が聞こえている。彼女の家は、駅から10分ほど歩いたところにある。

「健太くん、どんな感じだったの?」
「……初めまして、って。ご主人にはお世話になってますって」
「言いそう。大人だね」
「ほんとだよね」

久しぶり、と言ってもいいところを、彼は主任に気を遣ってあくまでも初対面として振る舞った。瞬時にそういう判断が出来る人なのだ。

「まぁでも……向こうは案外気にしてないんじゃない? 元カレって言ったって、時間も経ってるわけだし」
「それは、そうだけど……」

執り成すような湯浅の言葉は尤もだ。別れてから、もう2年以上経っている。まだ結婚していないことは湯浅や村田くん伝てで知っているけれど、彼女くらいはいるかもしれない。
身勝手な私は、既に彼の中で思い出になっているだろう。……記憶から抹消されている可能性もゼロではないけれど。
それでも負い目を感じてしまうのは、傲慢なのかな。
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