大人の青春は。

青春の裏側は。

俺は早く大人になりたかった。
大人は我慢強く、その場その場で自らの人間性を上手く切り替え、周りを見て動く、到底今の俺にはなれない雲の上の存在だ。
大人はみんな、
《したくない事もしなければならない》
と口を揃えて言う。

俺の通う塾の隣には、高いビルがある。
そこからいつも1番遅くに出てくるひとりの女性がいる。
それが純恋(スミレ)さんだった。
彼女は最後まで気づかなかったが、俺と彼女が初めて出会ったのは寒い冬の日ではない。

それより3ヶ月前の暑い夏の日だった。

俺は夏休みになると田舎に居るばあちゃんの旅館の手伝いをしに行く。
その日もむせ返るような暑さだった。
夕方17:00、まだ日も明るい時間に2名で予約が入っていた。
そこに来たのが彼女だった。
彼女より10歳くらい年上の男が隣にいた。
その時の彼女は、随分と男に対して忠実で堅い真面目な人だなとゆう印象が強かった。
1歩後ろを歩き、この時期に露出の少ない服装で。
笑う時も口角を少しあげる程度だった。
ばあちゃんが荷物を受け取りながら、
「新婚さんかい?」
と聞いた。
すると男が愛想良くにこりと笑い、
「えぇ。そんなところです。お互いの仕事の都合で籍を入れるのは来年の4月になるんですがね」
と答えた。
彼女は男の後ろでぺこりと頭を下げる程度だった。
次の日の早朝、外の灰皿の掃除に行くと彼女が別人のような雰囲気を漂わせて電子タバコを吸っていた。昨日の堅いイメージとは程遠く、大きく伸びをしながら口から煙を吐き出していた。
「中にも喫煙所ありますよ。ここ日陰がないから暑いでしょ」
と俺は声をかけた。
彼女はびっくりした顔をして、歯を見せて笑いながら、
「ごめんなさい。でも匂いついちゃまずいんで」
と人差し指を口に当てて見せた。
内緒にしてくれとゆう事だろうと思い、俺は頭を下げその場を立ち去った。

それ以来彼女のことが気になっていた。
彼女の2つの顔を見た時、きっともっと色んな顔があるんだろうと興味を持った。
自身の人間性を切り替えた時の彼女は凄くかっこよかったんだ。
同時に俺は学生の無力さを痛感した。
まだまだ大人にはなれそうにない。
それから自信をつけるためにピアスを開けてみたり、塾に通って嫌いだった勉強もし始めた。
でも気持ち的には何も変わることは無かった。

それから塾が終わると隣のビルから電気が消えていく瞬間を見るのが日課になった。
残業を終えて疲れ果てて出てくる大人達が、学生の俺にはキラキラしててかっこよく見えた。
その時、初めて彼女を見かけた時は本当に驚いた。
奇跡だと思った。二度と会えないと思っていたから。彼女とは何度か目が合ったことがあるが向こうは俺に気づいていなかったから話かけなかった。

その日は3階の電気が1番最後に消えた。
出てきたのは彼女だった。
「何年生?」
そう声をかけられた。
心の中ではすごく戸惑った。
「高3」
と俺は答えたが、空気が乾燥していて上手く声が出せなかった。無愛想に聞こえたと思う。
それでも彼女は歯を見せてにっこり笑いながら、
「いつもうちの会社見てるよね。就職したいの?」
と言い俺の横のガードレールにカンッと音を立ててもたれ掛かる。
音の方に目をやると、彼女の手には指輪が光っていた。
俺はその指輪を見ながら、
「ここで働いてる人達は、みんな雲の上の人達に見える」
と言った。
それから俺は大人になれる自信がないことについて話した。
すると彼女は手を叩いて笑いながら、
「なれるよ。大人になるのって君達が思うよりすごく簡単なんだよ。スーツも書類を詰めた鞄も自然と似合うようになっていくのよ」
と楽観的に答えた。
またひとつ彼女の新しい顔を見れた嬉しさで笑ってしまった。

そこから彼女と距離を詰めるまでにそう時間はかからなかった。
顔を合わす度に話すようになり、休日は出かけたりもした。
彼女はスカートを履いてきた。スカート姿は初めて見た。その日から彼女は俺の事を意識してくれていると気づき始めた。
その日は本当に楽しかった。
ひとつでいいから彼女との繋がりが欲しくて、お揃いの携帯カバーを買った。それだけで舞い上がれた。
彼女といる時は勉強の事も、受験の事も全部忘れて大人になれたような気分になる。

それから一緒にバイト先の居酒屋にも行った。
彼女が飲んでいたビールは舌に触れただけで苦くて飲めなかった。
彼女は、
「無理に飲もうとしなくてもそのうち飲めるようになるよ。あと2年我慢しなさいね!」
と言いビールをゴクゴク飲んでいたが、その時だけは笑うことが出来なかった。

2年我慢したって、スミさんはあと2ヶ月後には俺の前から消えてしまうのに。
それから彼女からの連絡は途絶えた。
ビルからも出てこなかった。

彼女に出会って8ヶ月が経った頃くらいだった。
俺は高校を卒業し、4月に入り大学の入学準備でバタバタしていた。
そんな時に彼女から連絡があった。
【お祝いさせて。】

綺麗な夜景が見えるホテルだった。
俺はその日を一日でも忘れることは無い。
初めて女性の身体に触れた。
白く、線の細い柔らかい肌だった。
小刻みに震える彼女の身体を落ち着かせるように、俺は手と口で彼女の肌をなぞったが、俺の方が緊張して震えていたと思う。
下手だと思われただろう。それでも止まらなかった。

髪の隙間から除く耳にはいくつもの穴が開けられていた。それを見た時昔の彼女の顔まで知れたみたいで嬉しかった。

何度も大好き、愛してる、側にいて、いかないでと声に出しそうになった。
だから俺は代わりに言った。

「スミさん。俺もうすぐビールが飲めるようになるんだよ」

でも声に出すと涙が止まらない。
男として情けなかった。

俺は最後まで彼女の知らない顔がひとつだけある。
それは泣き顔だった。

帰り道、彼女とたくさん話をした。
繋いでいる手から伝わる指輪の冷たさがとても
辛く、憎かった。
俺はまた泣きそうになった。
だから別れ際彼女の顔を見れずに背を向けたまま

「純恋さん。結婚おめでとう。さようなら」


大人は、《したくない事もしなければならない》
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