叶わぬ恋ほど忘れ難い
翌日、スタッフルームに行くと、今日はお休みのはずの金原くんがいた。
長机で何かを書いていた金原くんは、わたしを見ると「待ってました」と静かに口を開く。
「え、わたしを?」
「そう、崎田さんを」
てっきり忘れ物でもして取りに来たのだと思っていたから、まさかわたしを待っていたなんて思いもせず、だったらもう少し早く来れば良かったと、のんびり化粧をしたことを後悔した。
「何かあったの?」
一歩踏み出して聞くと、金原くんはさっきまで書いていた紙と、「崎田邑子様」と書かれた封筒と差し出した。男の子らしい、癖のある字だった。
紙は計四枚。一番上の文字はそれぞれ「入門編」「初級編」「中級編」「上級編」で、その下に並んでいるのは、ライトノベルのタイトルらしかった。
「まさか、一晩でリストアップしてくれたの?」
これは、昨日わたしが金原くんにお願いした、おすすめのライトノベルのリストだ。期日は決めていなかったし、急ぎではないのに、彼はたった一晩でリストアップしてくれたらしい。
「崎田さんが本当にラノベを読みたいと思っているなら、早いほうがいいと思って」
「ありがとう。しっかり参考にさせていただきます」
「崎田さんならすぐに夢中になると思うよ」
「えー、それじゃあ時間がいくらあっても足りないなあ。あずみんに少女漫画を二十冊借りたばかりだし、大友さんのお子さんには一緒にゲームしようって誘われてるし、月島さんにはカードゲームのデッキを作れって言われてるし」
「読書なら空いた時間にできるよ」
「じゃあ今日、入門編から何冊か買って行こうかな」
「ちなみに入門編にあるのは最近アニメ化された人気タイトルばかりだから、うちの店の在庫はゼロ。今日の休憩中か明日の出勤前に本屋で新品を買って」
「え、在庫ないの? アニメ化されたタイトルなら、店にいくつかあったよね?」
「あれは設定がややこしいから上級者向け」
「超初心者なのに、いきなり上級者向けは無理」
「じゃあ大人しく本屋へどうぞ」
「金原くん貸して」
「残念だけど布教用は持ってない」
意外とシビアな金原くんの腕をばしっとたたいて笑うと、いつも無表情の金原くんも、ふっと表情を崩した。
珍しいこともあるものだと思っていると、ちょうとスタッフルームのドアが開いて、店長と亜紀ちゃんが入って来た。
ふたりが来るということは、もう勤務開始直前。夕礼が始まる時間だ。
ふたりは金原くんとわたしを交互に見て、首を傾げる。そりゃあそうだろう。金原くんは今日はお休み。ここにいるはずがなかったのだから。
「楽しそうですねえ。私、金原さんの笑った顔、初めて見ました。おふたりが仲良かったなんて知りませんでした」
いち早く気を取り直した亜紀ちゃんが、むふふと笑いながら言う。どうやら何か良からぬ想像をしているらしい。
それに対して金原くんは「仲良くはないです」とばっさり切り捨てた。
確かに仲が良いわけではないけれど、そこまでストレートに言われるとわりとショックを受ける。仕返しにもう一度彼の腕をたたくと、そこがスイッチだったかのように、すぐさま手の平を返して「ええ、仲良しなんです」と答えた。
「今も崎田さんに、夜通し書いたラブレターを渡していたところです」
そしてわたしが持っている「崎田邑子様」と書かれた封筒を親指で差して見せた。
普段、間違っても冗談なんて言わない真面目な金原くんの発言が真実かどうか。分かるのはわたしだけだ。
思わずふはっと噴き出すと、店長と亜紀ちゃんは首を傾げ、金原くんは得意げに少しだけ顎を上げた。