叶わぬ恋ほど忘れ難い
退勤後、友だちとごはんを食べに行くという亜紀ちゃんがあっという間に帰って行き、スタッフルームには店長とわたしだけが取り残された。
夜番は最低でも三人いるし、退勤後は三人一緒に店を出ることが多いため、店長とふたりきりという状況はとても珍しい。
休憩中のほんの少しの間ふたりになることはよくあるけれど、今は「休憩」という時間の制約がない。話そうと思えばいくらでも話せるけれど、わたしの精神衛生上よくないし、既婚男性と独身女性が深夜にふたりきりというのはまずい気がする。
「帰りましょうか」
おずおずと声をかけてみたけれど、店長はデスクチェアーに座ったまま答えない。長い足を投げ出した状態で、背もたれに身体を預けている。
思えば今日、店長は様子がおかしかった。パソコンデスクでずっと事務作業をしていて、休憩とレジ閉めのとき以外は表に出て来ていない。デスクは色々な道具が置かれているスチールラックの裏にあるから、表情は読み取れず、かと言って様子を見に行くこともはばかられた。
だからまさか、こんなにも不機嫌な顔をしていたとは……。
「崎田さん」
ようやく聞けた声も、なんだか冷ややかだった。
「一応言っておくけど、うちは職場恋愛は禁止されていないから」
「は、はあ……」
「だから別にきみが金原くんや、金原くんじゃなくても武田くんや田中くんや菊地くんと付き合っても、何の問題もないよ」
「はあ、はい……」
ああ、やっぱり。亜紀ちゃん同様、この人も勘違いをしている。
でも確かに、普段絶対に冗談なんて言わない金原くんが「ラブレター」なんて言ったのだから、仕方のないことだとも思う。
金原くんの名誉のためにも、早く訂正しておかなければ、と口を開きかけた、そのとき。
「俺も嫁とは店で知り合ったから」
店長は……わたしの好きな相手は、聞きたくもなかった情報をくれた。
そんなこと、知りたくはなかった。好きな人と、好きな人の奥さんの馴れ初めなんて、一体誰が聞きたいと思うのだ。少なくともわたしは、知りたくはなかった。
そんなことを聞いても、叶わない恋をしている自分が惨めになって、嫌悪するだけなのに。
だってやっぱり、考えてしまうから。もう少し早く出会っていれば、わたしにもチャンスがあったのかもしれない、と。
もしこの人が結婚をせずに、遠距離恋愛でこちらに来ていたら。もしわたしがもう少し早く旅を切り上げ、この店のオープニングスタッフとして働いていたら、と。