叶わぬ恋ほど忘れ難い
「もし、崎田さんにその気があるのなら……」
「え?」
「うちの、正社員にならない?」
「え……?」
あまりにも唐突な提案だったので、うまく返事ができず、背の高い店長を見上げる。
湿度の高い夜だった。むわっとした空気のせいで、首や腕はすでに汗ばんでいて、ポニーテールの毛先が首筋に張り付きくすぐったい。
その状態で、しばし考える。
この恋は叶わない。でも社員になれば、この人と一緒にいることができる。同じ会社に所属する社員として、一緒に働くことができる。いつかこの人かわたしが別の店に移動することになっても、縁は続くだろう。
けれどその反面、わたしは半永久的に、叶わぬ恋心に縛られることになる。本気の恋をした相手の近くでは、きっと次の恋を始めることができない。たとえ恋人ができたとしても、心はこの人を見つめ、求め続けるだろう。
そして半永久的に、この人と奥さんの動向を、知り続けることになる。旅行をしたという小さなことから、子どもが出来たという話まで、すべて……。
でも……。それでも、わたしは……。
「なりたいです、社員。わたしにできるなら、頑張りたいです」
それでもわたしは、この恋を選んでしまう。つらいことだと分かっていても、この人の近くで、この人の仕事の役に立ちたいと思ってしまうのだ。
わたしの答えに、店長は深く頷く。
「分かった。じゃあこれからは社員候補として、今まで以上に色々な仕事をしてもらうから」
「はい」
「俺がちゃんと指導するし、アルバイトから社員になるやつも多い。俺もそうだったしね」
「はい、頑張ります」
もう一度深く頷いた店長を見つめながら、わたしはまるで、悪魔と契約をしたような気分だった。
何の権利も持たなかったわたしが、社員としてこの人のそばに居続ける権利を、得ようとしている。でもその代わり、叶わない恋に傷つき続けなければならないのだ。
きっとそのうち、ピアスが増えるだろう。
そんなことを考えながら、ようやく笑顔を見せた店長を、ぼんやりと見つめていた。