叶わぬ恋ほど忘れ難い
そこからはもっと踏み込んだ話になった。
新婚である月島さんの夫婦生活は、とにかく甘くて微笑ましい。彼のつり目は終始細められていた。
わたしも恋愛話を求められたので、かつて旅先で知り合い、ごく短い間お付き合いをしていた男性の話をした。
処女ではなかったものの、経験は多くなかったわたしは、この彼に仕込まれたと言っても過言ではない。口に出すのも恥ずかしいような体位を試し、ゆっくりとわたしの羞恥心を剥ぎ取り、まるで授業でも受けているかのように丁寧にあらゆることを教えてくれた。
次にお付き合いをした男性は、わたしとの夜の営みにひどく感心し「前の男に感謝だなあ」としみじみと言っていた。
という話を、まさか職場のスタッフルームで、副店長相手にするとは思わなかったけれど。
「じゃあ崎田さんって上手なんだね」
「あくまであちらの感想なので、わたしにはよく分かりません」
「うちの嫁もなかなかだよ。こう、口でスキンをさ」
「ああ、男性ってあれ好きですよね。よくさせられました」
なんて。他のスタッフたちには絶対に聞かせられないような話をしていると、ノックと同時にドアが開いて、わたしたちはみかんひとつ分ほど飛び上がった。
入って来た店長は、わたしたちを見て微笑むと「なになに、何の話?」と無邪気に聞いてくる。
「猥談です」
月島さんがはっきり、きっぱりと言い切ると、店長は微笑んだまま硬直し「え、月島くんと崎田さんが?」と、やけに上擦った声を出した。
「崎田さんってこう見えて、」
「わー! 月島さん、セクハラです!」
慌てて月島さんの口元に、散らばっていたカードを、まるでレッドカードだというようにかざすと、彼は心底楽しそうに「訴えられる、こわいこわい」とけたけた笑った。
会話に入れてもらえなかった店長だけが、やけにムスっとした表情をしたけれど、この人をこの会話に入れるつもりはなかった。
もし店長とも猥談をするのなら、この人と奥さんの夜の営みの話は避けられないだろう。
この人が――好きな相手がパートナーを抱く様子なんて、絶対に聞きたくはない。
この人の薄い唇が押しあてられ、骨ばった大きな手が身体中を這い、逞しい肉体に翻弄され善がる奥さんの姿なんて、絶対に想像したくはないのだ。
いや、すでにもう、何度も想像していた。初めて奥さんと対面したあの日から。この美しい女性は、ゆうべこの人に抱かれただろうか。どんな風に抱かれただろうか。わたしからは見えない位置に所有印が隠れているのだろうか、と。
自分の中に集まっていく憎悪に気付かないふりをして、全力で目を反らしている最中だ。もしこの人の口から奥さんとの夜の営みについて聞かされたら、もう憎悪を見て見ぬふりすることなんてできないだろう。
わたしは恐かった。憎悪に飲み込まれ、正しく生きたいと願う自分の矜持が、あっけなく砕け散ってしまうことが。
彼の薄い唇に齧りつき、逞しい肉体をまさぐり、彼の意志とは関係なく反応してしまった雄を、無理矢理自分の雌に引き入れてしまうのではないか、と。わたしは怯えているのだ。
だから、会話に加えないことを申し訳ないと思いつつも、挨拶をして、そそくさとスタッフルームを後にした。