叶わぬ恋ほど忘れ難い
「そういえば崎田さん、今更だけど時間大丈夫なの?」
「大丈夫ですよ、明日、というか今日はお休みですし」
「休みとはいえ、サービス残業までさせて、こんな時間まで。もう十八時間も店にいるよ?」
「好きでここにいるのですから良いんです。それにさっき言いましたよ、退勤後の自由時間をどう使おうが自由だって」
言うと店長は黒縁眼鏡の奥の目を細めて「今度ご褒美をあげよう」と微笑むから、丁重にお断りした。好きでやっていることなのに、ご褒美なんて意味が分からない。
ただの店員であるわたしに、そこまでする義理はない。わたしにご褒美を与える時間があるのなら、奥さんに、……――と、ここではっとした。
独身で恋人もいないわたしが十八時間も店にいるのはまあいいけれど、この人には奥さんがいる。奥さんはこの十八時間、夫に会っていないのだ。きっと今も、夫がいない夫婦の部屋で、一人でいる。わたしがこの人と、楽しく幸福な十八時間を過ごしている間中、ずっと……。
恐ろしいほどの罪悪感が沸き上がり、わざとらしく腕時計を見ながら「店長こそ、帰らなくていいんですか?」と問うと、彼はすっと笑みを消し、しばし黙ったあと、首を横に振った。
「……いいんだよ」
その表情から、奥さんとの間に何かあったことを察し、口を閉じた。わたしがかけるべき言葉なんて、何もない。
独身で恋人もいないからでも、二十二歳の小娘だからでもない。
この人に本気の恋をしているわたしの口からは、不適切な言葉が出てしまうのではないかと恐れたからだ。
本気の恋だからと言って、この人の家庭を、この人の人生を脅かすことはできない。本気の恋は、秘密にしなければいけないのだ。
すっかり押し黙った気まずい空気を壊したのは、他でもない店長だった。
「崎田さんって子どもは好き?」
あまりにも普通の声色で、いつも通りの雑談をする雰囲気で言われたため、驚いて顔を上げると、彼の表情もまた、いつも通りだった。
「好き、ですよ」
呆気にとられながらもそう答えると、「だよね」と。まるで答えが分かっていたかのように頷き、話を続ける。