貧乏大家族の私が御曹司と偽装結婚⁈
どのくらいぼんやりしていただろうか。清田さん、遅いな……と思いながら扉に目をやると、ちょうど小さく音がして開いたところだ。でも、入って来たのは清田さんじゃない。

どうして?

慌てて視線を逸らすと、静かに創ちゃんは私の元にやって来た。

「荷物持ってきた。それからタクシーを呼んである」

創ちゃんは淡々とした口調で私のバッグと、タクシーのナンバーが書いてあるメモを差し出す。私はその顔を見ることができず、その手元に視線を落とした。

「すみません。ご迷惑をおかけしました。大丈夫ですから」

私はバッグだけ受け取り、代わりに持っていた上着を差し出した。

「与織子?」

私がメモを受け取らなかったのを不審に思ったのか、創ちゃんは戸惑ったように私を呼ぶ。でも、顔を上げることなんてできない。きっと……顔を見たら泣いてしまうから。

「本当に……大丈夫です。失礼します」

上司に対する態度で一礼すると、私はその場を慌てて離れる。

今は顔を見たくない。声も聞きたくない。ただ、その一心で。

創ちゃんは追いかけては来なかった。
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