愛でて育てたあの子は、いつしか私に優しい牙を剥く
「二十歳のお誕生日おめでとう。はい、これプレゼント」

淡いオレンジ色の間接照明が照らす静かな店内。
その窓際の席で、青いベルベット調の箱に、白いリボンが掛かったプレゼントを、向かいに座る龍斗に差し出した。

濃紺のジャケットに白いカットソー、黒いスラックス。
長身の龍斗にはシンプルな装いがよく似合っている。

「ありがとう」

少し照れながら、龍斗は幼い頃から変わらない柔らかい笑顔でそれを受けとった。

中身は誰もが知るハイブランドの腕時計だ。

朝はあまり乗り気ではなかったようだが、実際ここに来るとまんざらでもなさそうな気もする。

「二十歳の誕生日って言えば、定番だけど時計かなぁって。今はスマホやタブレット持ち歩く時代だから、必要ないかなとも思ったんだけど、やっぱり成人の記念だからね」

リボンをほどいて、龍斗が箱から時計を取り出した。

筋肉質な割に華奢な手首に映えるよう、黒い少しゴツめのデザインを選んだ。

「つけていい?」

「もちろん!」

龍斗がどう?と腕をかざしながら、こちらにはにかんだ笑顔を見せた。

「似合う似合う!やっぱり私の見立ては完璧ね」

「腕時計すると、なぜか大人になった気がする」

「単純ね」

目の前の嬉しそうな顔に私も目尻が下がってしまう。

「さ、ワイン飲んでみて?ついに成人したんだから飲まないと。お祝いにあなたが産まれた年のワインを、特別にお願いしておいたのよ?」

ほらと、ワインクーラーごと準備されていたワインのボトルを持ち上げた。

「じゃあ少しだけ。遥ちゃんみたいに酔って記憶なくしたくないから」

「ちょっと、記憶なくすのは滅多にないんだからね」

眉をしかめながら、龍斗の前に置かれたワイングラスに、透明の澄んだワインを注ぐ。

「ボトルかして?今日は俺が遥ちゃんに注いであげる」

龍斗がそう言って差し出した手に、そう?と言ってワインボトルを渡す。

「龍斗にお酒を注いでもらう日がくるなんて、なんか不思議」

ふふと笑ってグラスを龍斗の方へ寄せた。

「俺だって、いつまでも子供じゃないよ」

重いワインボトルを軽く片手で持って、慣れた手付きでワインを注ぐ。

「ワイン注ぐのうまいじゃない!誰に習ったの?そんなこと」

そうからかいながら、グラスを自分の方に引き寄せた。

「遥ちゃんが注ぐのいつも見てるからね」

「私か!」

二人で笑いながら、それぞれにグラスを持ち上げる。

「乾杯!」

互いのグラスを軽く当てると、薄ガラスの重なる綺麗な音が響いた。

「あ、なんか、一口でクラっときそう…」

「これが大人の味よ。さ、食べましょ」

龍斗には幼い頃からテーブルマナーやフォーマルな場での立ち振舞いをきちんと教えてきた。
仕事の関係で、預け先がどうしても確保できないときは、接待先に連れていかなくてはならなかったりしたからだ。

こういう時、スマートに食事をする龍斗を見ては、いつも間違いじゃなかったなと嬉しくなる。

「龍はホント、いい男に育ったわ」

グラスを傾けながら、何とはなしに呟いた言葉に、龍斗が一瞬食事の手を止めて、顔を上げた。
口に入っていたサーモンのカルパッチョを静かに飲み込むと、龍斗がナイフとフォークを置いた。

隣の席に座る恋人同士であろう若い男女を、龍斗が遠い目で見つめながらふいに呟いた。

「ねえ、遥ちゃん。俺たちも恋人同士に見えるかな…」

二人の間に置かれたキャンドルの炎が龍斗の声でそっと揺れた。
その声が何となく切なく聞こえて、素直に頷けずに、とっさに鼻で笑って見せた。

「馬鹿ね、見えるわけないでしょ。二十歳と四十手前よ?」

目下の白い皿に盛り付けられた料理に、ナイフをいれる。

「そうかな、遥ちゃんは誰がどう見ても若いよ。綺麗だし、さっきから他の男たちが遥ちゃんのこと、チラ見してんの気付かない?」

珍しく龍斗が不機嫌そうな目線をこちらに寄越した。

「気のせいよ」

それには気付かないフリをして、そのままナイフを引く。

「気のせいなわけないじゃん。誕生日は毎年ここに来てるけど、いつもそうだよ。男はみんな遥ちゃんに釘付け」

「そんなわけないでしょ!」

そんなバカな…と思いながら、一口大になった白身魚のポアレを堪能しつつ、一緒にワインを口に運ぶ。

ごくんとワインを飲み込んだところで、龍斗が姿勢を改めて正して、こちらを向いた気配に顔を上げた。

「今日はさ、遥ちゃんにきちんと言おうと思って来たんだ」

「何よ、急に改まって…」

「父さんと母さんが亡くなってから、今日まで育ててくれてありがとう。遥ちゃんがいなかったら、俺、生きてこれなかったかもしれない」

急に面と向かって、しかも真顔で龍斗にお礼を言われたことなど初めてだった。

「ちょっとやめなさいよ!こんなとこで。照れるじゃない!…そういうの、いいから!!」

辺りを軽く見渡してから、ワイングラスを口に運ぶ。

「…今日で、遥ちゃんの俺に対する監護義務はなくなるんだよね?」

そう言われて、思わずグラスを置いてから龍斗の顔を見た。

「確かに法律上はそうだけど、だからと言って私たちの関係がすぐに終わるわけじゃないから。あ、朝部屋を借りなさいって言ったのはそういう意味じゃないからね?」

今朝の龍斗の浮かない顔を思い出して、慌てて言ったが、龍斗はそこには何も触れなかった。

「今日からは、もう他人なんだよね?遥ちゃんとは」

再度真顔で、確認のように聞かれて、なんと答えたら正解なのか分からずに口をつぐんだ。

そして、次に独り言のように発した質問の意図を、私が解釈するのは、そのたった数時間先のことだった。

「もう、俺、我慢しなくていいんだよね?」

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