死に戻り皇帝の契約妃〜契約妃の筈が溺愛されてます!?〜
27.宝の山
カーテンの隙間から覗く月明かりを眺めつつ、俺は微睡んでいた。
誰かが裾をそっと引く。小さな小さな手のひらだ。元は白い筈なのに、酷く汚れている。
振り向けば、そこには女の子がいた。泥にまみれた茶色い髪の毛。伸び放題になった前髪から、紫色をした綺麗な瞳が覗く。
女の子は俺の胸元を真っ直ぐ見つめながら、涎を垂らしていた。彼女の視線の先には、母から貰ったばかりの金剛石のブローチがある。
『これが欲しいの?』
女の子にそう尋ねる。『薄汚い』とか『無礼な』と罵る大人たちを退け、俺は女の子の側に跪いた。
『美味しそう……』
女の子は一言、そう口にした。正直、拍子抜けしてしまう。この宝石を売って、お金に換えたいんだろうと、そう思っていたのだ。
俺はすぐに食べ物を用意させた。たった一切れのパンに、涙を流して齧り付くその女の子のことを、俺は気の毒に思った。
『この子を宮殿に連れて帰る』
そう告げると、家臣達は見るからに嫌な顔をした。何日間風呂に入っていないか分からない悪臭と汚れ。彼等は『そんな酷い状態の娘を、宮殿に入れるべきではない』と俺を説得した。
『こんな小さな子供を、こんな酷い状態にしたのは一体誰だ?』
言えば、彼等は押し黙る。
この子がこうなった直接の原因ではないにせよ、国には――――皇子である俺には、その間接的な責任がある。そう思うと、胸が痞えるような心地がした。
侍女たちに風呂に入れられたその子は、真新しい綿のシャツを着せられ、俺の前に連れてこられた。骨と皮だけという表現がピッタリの肉付きのない身体。水分も殆ど摂れていないのか、肌はカサカサでくすんでいる。
けれど、彼女の瞳はビックリするほど美しかった。これまで見たどの宝石よりも綺麗で、いつまでも見つめていたいと思ってしまう。伸び放題だった髪の毛を綺麗に切り揃え、瞳がいつでも見えるようにした点、侍女達はセンスがある。後でこっそり褒美をやろうと決めた。
『サッパリしたね』
『……サッパリ?』
『綺麗になったね』
『綺麗?』
女の子はそんな言葉すらも知らなかった。俺にとっては当たり前のことでも、その子にとっては違う。それは、宮殿で大事に育てられてきた俺にとって、大きな衝撃だった。
おまけに女の子は、自分の名前すら知らないのだという。
『俺はアーネストだよ』
『アーネスト?』
周りの大人が慌てて呼称を修正する。彼等は『殿下』と呼ばせようとしたけど、俺が頑なに拒否した。結果、女の子は俺のことを『アーネスト様』と呼ぶようになった。
『名前がないと不便だね』
その言葉に、周りの大人は皆、複雑な顔をする。さっさと追い出せば良いのに――――そう表情が物語っていた。
『ミーナ』
けれど、俺は女の子のことをそう呼んだ。
『君の名前だよ』
言えば、女の子は瞳をキラキラ輝かせて笑う。
『宝の山って意味なんだって。ミーナにピッタリだと思う』
微笑みつつ、俺の心は奇妙な満足感に満たされていた。
今思えばそれは、独占欲――――そういった類の感情だった。
【名前を付けたからミーナは俺のもの】
浅はかだな、と思う。
だけど、自分だけの宝物を見つけた――――そんな最高な気分だったのだ。
「ん……」
隣から聞こえてきたくぐもった声に、俺の意識は覚醒する。幼い頃と変わらない、あどけなさの残る声音。
(可愛い)
健康的な白い肌に、女性らしい曲線を描く柔らかな身体。ミーナは今頃お腹を空かせていないだろうか――――そんな心配はもう要らない。
真っ白な肌、薔薇色の頬に熟れた果実のような唇は、いつだって俺を惹きつけて止まない。俺がどれだけの想いで自制心を働かせているのか、ミーナはきっと全く知らないだろう。知っていれば、こんな風に無防備には眠れない筈だ。欲望のまま、彼女を自分のものにしたいと思った夜が何度あったことか――――。
(だけど、今は未だダメだ)
そう思いつつ、ため息を吐く。彼女に契約を持ち掛けた以上、必要なケジメだ。待たなければ、正しく俺の想いは伝わらない。
二度目の人生で再会した時――――契約を持ち出さなければ、ミーナは妃になることに頷きはしなかっただろう。
前回の人生で俺を殺した犯人扱いされたのだし、宮女からいきなり『本当の妃』に引き立てられた所で委縮し、きっと今みたいに接してはくれない。
だから、俺の側に居るための大義名分を与えること――――それが、あの時の俺に思いつけた最善策だった。
だけど、ミーナは思いのほか頑固だった。取り払った垣根をまたすぐ築き、俺の想いから目を背ける。
『わたしは契約妃だから』
俺の言葉も、想いも、全ては契約のため――今だけの期間限定だって、そう思っている。俺を守りきれたら、『自分は要らなくなる』んだって。
(馬鹿だな)
俺がミーナを手放すわけがないのに。手放せる筈がないのに。
だから、ミーナには思い知らせないといけない。俺の気持ち――――勘違いなんかじゃないって。目を逸らせないぐらい、言い訳が出来ない程に思い知らせる。
そして、無事に契約が終わったら――――。
(夜会以降、殺意が明確に蠢いているのを感じるようになった)
そのことを、ミーナにはまだ話していない。
言えばきっと、心配する。身を呈して俺を守ろうとするだろう。だから、これから先も話すつもりはない。
ソフィアが毒を盛ったことで、ある意味ミーナの身を守りやすくなった。公然と毒見を強化させることができたし、周囲の警戒心も強まった。前回の人生で俺を殺した――――今、俺の命を狙っている――――人間も、この状況下で前回と同じ『毒殺』の手段を取りはしないだろう。
ならば、残る手段は一つ。恐らく敵は、直接俺を殺しに来るだろう。当然、ミーナに罪を着せた時と同じように、己が犯人だとバレないよう、あらゆる工作をして。
(させない)
前回のようにみすみす殺されはしない。ミーナと共に、必ず生き抜く。
それからミーナを――――。
「ちゃんと、約束は守るから」
そう言って俺は、ミーナの額に触れるだけのキスをした。
誰かが裾をそっと引く。小さな小さな手のひらだ。元は白い筈なのに、酷く汚れている。
振り向けば、そこには女の子がいた。泥にまみれた茶色い髪の毛。伸び放題になった前髪から、紫色をした綺麗な瞳が覗く。
女の子は俺の胸元を真っ直ぐ見つめながら、涎を垂らしていた。彼女の視線の先には、母から貰ったばかりの金剛石のブローチがある。
『これが欲しいの?』
女の子にそう尋ねる。『薄汚い』とか『無礼な』と罵る大人たちを退け、俺は女の子の側に跪いた。
『美味しそう……』
女の子は一言、そう口にした。正直、拍子抜けしてしまう。この宝石を売って、お金に換えたいんだろうと、そう思っていたのだ。
俺はすぐに食べ物を用意させた。たった一切れのパンに、涙を流して齧り付くその女の子のことを、俺は気の毒に思った。
『この子を宮殿に連れて帰る』
そう告げると、家臣達は見るからに嫌な顔をした。何日間風呂に入っていないか分からない悪臭と汚れ。彼等は『そんな酷い状態の娘を、宮殿に入れるべきではない』と俺を説得した。
『こんな小さな子供を、こんな酷い状態にしたのは一体誰だ?』
言えば、彼等は押し黙る。
この子がこうなった直接の原因ではないにせよ、国には――――皇子である俺には、その間接的な責任がある。そう思うと、胸が痞えるような心地がした。
侍女たちに風呂に入れられたその子は、真新しい綿のシャツを着せられ、俺の前に連れてこられた。骨と皮だけという表現がピッタリの肉付きのない身体。水分も殆ど摂れていないのか、肌はカサカサでくすんでいる。
けれど、彼女の瞳はビックリするほど美しかった。これまで見たどの宝石よりも綺麗で、いつまでも見つめていたいと思ってしまう。伸び放題だった髪の毛を綺麗に切り揃え、瞳がいつでも見えるようにした点、侍女達はセンスがある。後でこっそり褒美をやろうと決めた。
『サッパリしたね』
『……サッパリ?』
『綺麗になったね』
『綺麗?』
女の子はそんな言葉すらも知らなかった。俺にとっては当たり前のことでも、その子にとっては違う。それは、宮殿で大事に育てられてきた俺にとって、大きな衝撃だった。
おまけに女の子は、自分の名前すら知らないのだという。
『俺はアーネストだよ』
『アーネスト?』
周りの大人が慌てて呼称を修正する。彼等は『殿下』と呼ばせようとしたけど、俺が頑なに拒否した。結果、女の子は俺のことを『アーネスト様』と呼ぶようになった。
『名前がないと不便だね』
その言葉に、周りの大人は皆、複雑な顔をする。さっさと追い出せば良いのに――――そう表情が物語っていた。
『ミーナ』
けれど、俺は女の子のことをそう呼んだ。
『君の名前だよ』
言えば、女の子は瞳をキラキラ輝かせて笑う。
『宝の山って意味なんだって。ミーナにピッタリだと思う』
微笑みつつ、俺の心は奇妙な満足感に満たされていた。
今思えばそれは、独占欲――――そういった類の感情だった。
【名前を付けたからミーナは俺のもの】
浅はかだな、と思う。
だけど、自分だけの宝物を見つけた――――そんな最高な気分だったのだ。
「ん……」
隣から聞こえてきたくぐもった声に、俺の意識は覚醒する。幼い頃と変わらない、あどけなさの残る声音。
(可愛い)
健康的な白い肌に、女性らしい曲線を描く柔らかな身体。ミーナは今頃お腹を空かせていないだろうか――――そんな心配はもう要らない。
真っ白な肌、薔薇色の頬に熟れた果実のような唇は、いつだって俺を惹きつけて止まない。俺がどれだけの想いで自制心を働かせているのか、ミーナはきっと全く知らないだろう。知っていれば、こんな風に無防備には眠れない筈だ。欲望のまま、彼女を自分のものにしたいと思った夜が何度あったことか――――。
(だけど、今は未だダメだ)
そう思いつつ、ため息を吐く。彼女に契約を持ち掛けた以上、必要なケジメだ。待たなければ、正しく俺の想いは伝わらない。
二度目の人生で再会した時――――契約を持ち出さなければ、ミーナは妃になることに頷きはしなかっただろう。
前回の人生で俺を殺した犯人扱いされたのだし、宮女からいきなり『本当の妃』に引き立てられた所で委縮し、きっと今みたいに接してはくれない。
だから、俺の側に居るための大義名分を与えること――――それが、あの時の俺に思いつけた最善策だった。
だけど、ミーナは思いのほか頑固だった。取り払った垣根をまたすぐ築き、俺の想いから目を背ける。
『わたしは契約妃だから』
俺の言葉も、想いも、全ては契約のため――今だけの期間限定だって、そう思っている。俺を守りきれたら、『自分は要らなくなる』んだって。
(馬鹿だな)
俺がミーナを手放すわけがないのに。手放せる筈がないのに。
だから、ミーナには思い知らせないといけない。俺の気持ち――――勘違いなんかじゃないって。目を逸らせないぐらい、言い訳が出来ない程に思い知らせる。
そして、無事に契約が終わったら――――。
(夜会以降、殺意が明確に蠢いているのを感じるようになった)
そのことを、ミーナにはまだ話していない。
言えばきっと、心配する。身を呈して俺を守ろうとするだろう。だから、これから先も話すつもりはない。
ソフィアが毒を盛ったことで、ある意味ミーナの身を守りやすくなった。公然と毒見を強化させることができたし、周囲の警戒心も強まった。前回の人生で俺を殺した――――今、俺の命を狙っている――――人間も、この状況下で前回と同じ『毒殺』の手段を取りはしないだろう。
ならば、残る手段は一つ。恐らく敵は、直接俺を殺しに来るだろう。当然、ミーナに罪を着せた時と同じように、己が犯人だとバレないよう、あらゆる工作をして。
(させない)
前回のようにみすみす殺されはしない。ミーナと共に、必ず生き抜く。
それからミーナを――――。
「ちゃんと、約束は守るから」
そう言って俺は、ミーナの額に触れるだけのキスをした。