死に戻り皇帝の契約妃〜契約妃の筈が溺愛されてます!?〜
3.初めての夜
(息苦しい……)
慣れないコルセットに身体を締め付けられただけじゃない、妙な息苦しさがそこにはあった。
煌びやかな広間に、美しくドレスアップされた人々。厳かな中に漂う、異様な熱気。
アーネスト様の即位の犠が、今まさに行われようとしていた。
わたしの隣には、色とりどりのドレスに身を包んだ三人の女性が並んでいる。三人が三人とも美しく、確固たる自信に満ち溢れている。
前回の人生と同じ、アーネスト様の妃達だ。
「――――誰? あの方。見掛けない顔ね」
彼女たちとは違い、さして美しくもないわたしは好奇の的だ。だって、こういう式典って、わたしみたいな下級宮女には立ち入ることすら許されなかったのだもの。緊張感がヤバいし、こんな風に注目を集めるのも初めてのこと。オドオドするなっていう方が無理がある。
「――――なんでも、陛下の本命らしいわよ。以前から密かに寵愛していらっしゃったんですって。平民の分際で、陛下の即位と同時に後宮入りを果たしたんだもの。余程お気に入りなのね」
聞きたくもない、そんな会話が耳に届く。恐らくは他の妃たちの耳にも、わたしと同じ会話が聞こえているのだろう。そう思うと身が竦んだ。
気を取り直して本日の主役、アーネスト様を見遣る。沢山の重臣や貴族たちに囲まれた彼は、昨日の親しみやすい表情とは違っていた。近寄りがたく、重厚な雰囲気。一人一人に向ける視線は鋭く、一分の隙もないように見える。
(いけない。わたしには果たさなければならない使命があるのに)
この場に、前回の人生で彼を殺した犯人がいるかもしれない。今、この瞬間だって、アーネスト様は命を狙われているのかもしれないのだ。緊張に呑まれている場合ではなかった。
顔を動かさないように気を付けながら、アーネスト様の周囲の人間を注視する。その中には、昨日わたしを押さえつけたライオン男――――ギデオンと呼ばれた男もいた。どうやら彼は、アーネスト様の側近の一人のようだ。
(わたしは、アーネスト様のことを何も知らない)
彼の周りにどんな人がいるのか、どんな生活を送っているのか。何も――――何一つ、知りはしない。アーネスト様を守るためには、彼やその周辺について、深く知る必要がある。一瞬たりとも無駄にできない――――そう思うと、気が引き締まった。
「意外と肝が据わっていらっしゃるのね」
ふと、隣からそんな声が聞こえてくる。視線は感じないものの、文脈から判断するに、わたしに対して言っているのだろう。真っすぐ顔を前に向けたまま、神経を研ぎ澄ます。
「宮女だったのでしょう? どうやって陛下の目に止まったのかしら?」
次いで女性はそんなことを口にした。
(確か……わたしの隣は――――)
紅玉宮の主――――男爵令嬢ベラ様。
咲き誇る花々のような鮮やかなピンクブロンドに、ヘーゼルの大きな瞳。その愛らしい顔立ちとは対照的な豊満な肢体が最大の魅力のお妃様だ。
ご実家は大して力のない男爵家だけれど、ベラ様の美しさは相当な評判で。
『彼女ならば若き皇帝の気を惹けるだろう』
そんな思惑から、妃候補に祭り上げられたのだという。
ただ、そういう事情もあってか、他のお妃様よりも教養は備わっていないのだと、専らの噂だ。
(なんて、平民出身のわたしは、教養の『き』の字すらないんだけど)
ついつい自虐的になってしまうけど、宮廷を生き抜くためには、ある程度の処世術を身に着けることが必須だった。だから、こういう時にどう対処すればいいか、その辺はちゃんと心得ている。
「申し訳ございません。陛下から『二人だけの秘密』だと――――固く口止めされていますので」
チラとも隣を見ぬまま、そう口にする。アーネスト様と事前に打ち合わせておいた内容だ。この場でそれ以上の詮索が出来る人間はそういない。
ベラ様はそれっきり、何も口を利かなかった。
***
(つっ……疲れた…………!)
大きなベッドに身体を投げ出し、わたしはホッとため息を吐く。
即位の儀の後は、延々と名も知らぬ会が続いた。食事も出たけど、テーブルマナーなんかが気になって、ちっとも喉を通らなかったし。誰かに喋りかけられないよう、ダンスに誘われないように壁と同化しながらコソコソ逃げ回ったりと、散々な目に遭った。
こういう観点からすれば、平民がいきなり妃の一人に連なるのってやっぱり難しい気がする。
「――――っていうか無理」
「まぁ、そう言わずに」
唐突に響いた己以外の声音に、ビクリと身体を震わせる。見れば、アーネスト様が扉の側でクスクスと笑い声をあげていた。
「こういうのは今日だけだから。明日からは比較的、穏やかに生活できると思うよ」
多分ね、と付け加えつつ、アーネスト様は笑う。
(人払いをした筈なのに……)
急いでベッドから起き上がり、バクバクと喧しい胸を押さえつける。恥ずかしさで顔から火が出そうだった。アーネスト様はこちらに向かって歩を進めつつ、ゆっくりと部屋を見回している。
「へぇ……金剛宮の妃の寝室は、こういう造りなんだね」
「はっ……はい、そうです」
他の宮殿がどんな風なのかは知らないけど、この金剛宮のことはよく知っている。
『いつかここにも、アーネスト様のお妃様をお迎えするんだ』
一度目の人生、そう思って、一生懸命仕事に励んでいた場所だから。
(まさか、自分が妃になるなんて思っていなかったけど)
人生、何が起こるか分からない。そう思うと、自然笑みが零れる。
「二度目だけど――――俺も今夜は疲れた」
そう言ってアーネスト様は、わたしのベッドにダイブした。思わず目が点になる。
「……何?」
アーネスト様が布団からチラリと顔を上げる。心臓がドキッと大きく跳ねた。その顔は反則。ヤバい。カッコよくて、思わず縋りつきたくなる。そんな魅惑的な表情だった。
「――――――えっと、アーネスト様は今夜、ここでお休みになるんですか?」
「うん、そうだよ」
サラリとそう答えられ、わたしは顔が真っ赤になる。
(いや! いやいや! アーネスト様、今、子作りする気は無いって言ってたけど)
後宮に通うフリをするために、この金剛宮を利用するっていうこと――――それはつまり、アーネスト様がこの部屋に泊まるっていうことだ。
(どうしよう……こういう時、どうするのが正解なの?)
心臓が痛いぐらいに早鐘を打つ。ベッドに腰掛けたまま、わたしは自問自答を始めた。
部屋には人一人が横になれるぐらい大きなソファがある。そっちで眠ること自体は問題ない。寧ろ、宮女時代のベッドよりも、ずっとずっと寝心地が良さそうだ。
だけど、わたしからそう提案するのは、アーネスト様に対して失礼な気がする。とはいえ、宮女風情がアーネスト様と一緒の寝台を使う方が余程失礼な気もする。所詮わたしは、妃の皮を被っただけの宮女。アーネスト様を救うために、妃のフリをしているだけ。こんな風に、同じ空間に居られることだって、本来ならあり得ないのに――――。
クスクス、と小さな笑い声が聞こえる。見れば、アーネスト様がわたしを見つめながら、楽しそうに笑っていた。
「ねぇミーナ、まさか、ソファで寝る……なんて言わないよね?」
アーネスト様はそう言って、悪戯っぽい笑みを浮かべる。ポンポン、とご自分が寝ている隣を叩きつつ、わたしのことをじっと見つめていた。
「――――――言いま、せん」
アーネスト様にとっての正解は、同じベッドで休むことらしい。だったら、わたしが取るべき行動は一つだ。おずおずと、アーネスト様の隣に滑り込む。
「おやすみ、ミーナ」
満足気な笑み。その言葉を最後に、アーネスト様は穏やかな寝息を立て始めた。
(相当、疲れていらっしゃったんだろうなぁ)
きっと、即位の儀のせいだけじゃない。死の恐怖――――それが与える心労はとても大きい。
(犯人はきっと、すぐに事を起こしはしない)
前回の人生でアーネスト様が亡くなったのは、即位から一年後。あと一年近くは、犯人も大きく動きはしないだろう。
とはいえ、前回と今回とでは状況が違う。わたしという妃ができたことで、どんな影響が生じるかは分からない。けれど。
(わたしがきっと、真犯人を見つけますから)
隣で眠るアーネスト様を見つめながら、わたしは決意を新たにするのだった。
慣れないコルセットに身体を締め付けられただけじゃない、妙な息苦しさがそこにはあった。
煌びやかな広間に、美しくドレスアップされた人々。厳かな中に漂う、異様な熱気。
アーネスト様の即位の犠が、今まさに行われようとしていた。
わたしの隣には、色とりどりのドレスに身を包んだ三人の女性が並んでいる。三人が三人とも美しく、確固たる自信に満ち溢れている。
前回の人生と同じ、アーネスト様の妃達だ。
「――――誰? あの方。見掛けない顔ね」
彼女たちとは違い、さして美しくもないわたしは好奇の的だ。だって、こういう式典って、わたしみたいな下級宮女には立ち入ることすら許されなかったのだもの。緊張感がヤバいし、こんな風に注目を集めるのも初めてのこと。オドオドするなっていう方が無理がある。
「――――なんでも、陛下の本命らしいわよ。以前から密かに寵愛していらっしゃったんですって。平民の分際で、陛下の即位と同時に後宮入りを果たしたんだもの。余程お気に入りなのね」
聞きたくもない、そんな会話が耳に届く。恐らくは他の妃たちの耳にも、わたしと同じ会話が聞こえているのだろう。そう思うと身が竦んだ。
気を取り直して本日の主役、アーネスト様を見遣る。沢山の重臣や貴族たちに囲まれた彼は、昨日の親しみやすい表情とは違っていた。近寄りがたく、重厚な雰囲気。一人一人に向ける視線は鋭く、一分の隙もないように見える。
(いけない。わたしには果たさなければならない使命があるのに)
この場に、前回の人生で彼を殺した犯人がいるかもしれない。今、この瞬間だって、アーネスト様は命を狙われているのかもしれないのだ。緊張に呑まれている場合ではなかった。
顔を動かさないように気を付けながら、アーネスト様の周囲の人間を注視する。その中には、昨日わたしを押さえつけたライオン男――――ギデオンと呼ばれた男もいた。どうやら彼は、アーネスト様の側近の一人のようだ。
(わたしは、アーネスト様のことを何も知らない)
彼の周りにどんな人がいるのか、どんな生活を送っているのか。何も――――何一つ、知りはしない。アーネスト様を守るためには、彼やその周辺について、深く知る必要がある。一瞬たりとも無駄にできない――――そう思うと、気が引き締まった。
「意外と肝が据わっていらっしゃるのね」
ふと、隣からそんな声が聞こえてくる。視線は感じないものの、文脈から判断するに、わたしに対して言っているのだろう。真っすぐ顔を前に向けたまま、神経を研ぎ澄ます。
「宮女だったのでしょう? どうやって陛下の目に止まったのかしら?」
次いで女性はそんなことを口にした。
(確か……わたしの隣は――――)
紅玉宮の主――――男爵令嬢ベラ様。
咲き誇る花々のような鮮やかなピンクブロンドに、ヘーゼルの大きな瞳。その愛らしい顔立ちとは対照的な豊満な肢体が最大の魅力のお妃様だ。
ご実家は大して力のない男爵家だけれど、ベラ様の美しさは相当な評判で。
『彼女ならば若き皇帝の気を惹けるだろう』
そんな思惑から、妃候補に祭り上げられたのだという。
ただ、そういう事情もあってか、他のお妃様よりも教養は備わっていないのだと、専らの噂だ。
(なんて、平民出身のわたしは、教養の『き』の字すらないんだけど)
ついつい自虐的になってしまうけど、宮廷を生き抜くためには、ある程度の処世術を身に着けることが必須だった。だから、こういう時にどう対処すればいいか、その辺はちゃんと心得ている。
「申し訳ございません。陛下から『二人だけの秘密』だと――――固く口止めされていますので」
チラとも隣を見ぬまま、そう口にする。アーネスト様と事前に打ち合わせておいた内容だ。この場でそれ以上の詮索が出来る人間はそういない。
ベラ様はそれっきり、何も口を利かなかった。
***
(つっ……疲れた…………!)
大きなベッドに身体を投げ出し、わたしはホッとため息を吐く。
即位の儀の後は、延々と名も知らぬ会が続いた。食事も出たけど、テーブルマナーなんかが気になって、ちっとも喉を通らなかったし。誰かに喋りかけられないよう、ダンスに誘われないように壁と同化しながらコソコソ逃げ回ったりと、散々な目に遭った。
こういう観点からすれば、平民がいきなり妃の一人に連なるのってやっぱり難しい気がする。
「――――っていうか無理」
「まぁ、そう言わずに」
唐突に響いた己以外の声音に、ビクリと身体を震わせる。見れば、アーネスト様が扉の側でクスクスと笑い声をあげていた。
「こういうのは今日だけだから。明日からは比較的、穏やかに生活できると思うよ」
多分ね、と付け加えつつ、アーネスト様は笑う。
(人払いをした筈なのに……)
急いでベッドから起き上がり、バクバクと喧しい胸を押さえつける。恥ずかしさで顔から火が出そうだった。アーネスト様はこちらに向かって歩を進めつつ、ゆっくりと部屋を見回している。
「へぇ……金剛宮の妃の寝室は、こういう造りなんだね」
「はっ……はい、そうです」
他の宮殿がどんな風なのかは知らないけど、この金剛宮のことはよく知っている。
『いつかここにも、アーネスト様のお妃様をお迎えするんだ』
一度目の人生、そう思って、一生懸命仕事に励んでいた場所だから。
(まさか、自分が妃になるなんて思っていなかったけど)
人生、何が起こるか分からない。そう思うと、自然笑みが零れる。
「二度目だけど――――俺も今夜は疲れた」
そう言ってアーネスト様は、わたしのベッドにダイブした。思わず目が点になる。
「……何?」
アーネスト様が布団からチラリと顔を上げる。心臓がドキッと大きく跳ねた。その顔は反則。ヤバい。カッコよくて、思わず縋りつきたくなる。そんな魅惑的な表情だった。
「――――――えっと、アーネスト様は今夜、ここでお休みになるんですか?」
「うん、そうだよ」
サラリとそう答えられ、わたしは顔が真っ赤になる。
(いや! いやいや! アーネスト様、今、子作りする気は無いって言ってたけど)
後宮に通うフリをするために、この金剛宮を利用するっていうこと――――それはつまり、アーネスト様がこの部屋に泊まるっていうことだ。
(どうしよう……こういう時、どうするのが正解なの?)
心臓が痛いぐらいに早鐘を打つ。ベッドに腰掛けたまま、わたしは自問自答を始めた。
部屋には人一人が横になれるぐらい大きなソファがある。そっちで眠ること自体は問題ない。寧ろ、宮女時代のベッドよりも、ずっとずっと寝心地が良さそうだ。
だけど、わたしからそう提案するのは、アーネスト様に対して失礼な気がする。とはいえ、宮女風情がアーネスト様と一緒の寝台を使う方が余程失礼な気もする。所詮わたしは、妃の皮を被っただけの宮女。アーネスト様を救うために、妃のフリをしているだけ。こんな風に、同じ空間に居られることだって、本来ならあり得ないのに――――。
クスクス、と小さな笑い声が聞こえる。見れば、アーネスト様がわたしを見つめながら、楽しそうに笑っていた。
「ねぇミーナ、まさか、ソファで寝る……なんて言わないよね?」
アーネスト様はそう言って、悪戯っぽい笑みを浮かべる。ポンポン、とご自分が寝ている隣を叩きつつ、わたしのことをじっと見つめていた。
「――――――言いま、せん」
アーネスト様にとっての正解は、同じベッドで休むことらしい。だったら、わたしが取るべき行動は一つだ。おずおずと、アーネスト様の隣に滑り込む。
「おやすみ、ミーナ」
満足気な笑み。その言葉を最後に、アーネスト様は穏やかな寝息を立て始めた。
(相当、疲れていらっしゃったんだろうなぁ)
きっと、即位の儀のせいだけじゃない。死の恐怖――――それが与える心労はとても大きい。
(犯人はきっと、すぐに事を起こしはしない)
前回の人生でアーネスト様が亡くなったのは、即位から一年後。あと一年近くは、犯人も大きく動きはしないだろう。
とはいえ、前回と今回とでは状況が違う。わたしという妃ができたことで、どんな影響が生じるかは分からない。けれど。
(わたしがきっと、真犯人を見つけますから)
隣で眠るアーネスト様を見つめながら、わたしは決意を新たにするのだった。