全てを失っても幸せと思える、そんな恋をした。 ~全部をかえた絶世の妻は、侯爵から甘やかされる~

彼との未来を確信する彼女に訪れる、嫉妬を抱く夫

 デルフィーはブドウ畑まで、自分に付いて来てくれたと思っていたアベリア。
 それなのに、彼女には何が起きているのか、よく分からないまま、デルフィーが1人で農民達へ説明を始めていた。
 彼は、一方的に協力を求める訳ではなく、農民達が自ら興味を持つように、あえて質問をさせる手腕を見せた。その上、彼らから出た質問は、従事する内容と報酬についての、当たり前過ぎる2つだけで協力してもらえる事になった。
 勿論、農民たちの利益が大きい話なので、反論も無くリンゴジュース作りは綺麗にまとまり、彼の頭の中で考えていた通りに、あっけなく、この場の説明が済んだ。

 彼は、この場には不釣り合いな彼女を早く馬車に乗せたかった。
 何故かこの地域は、女性を見れば口説かないといけない性分を持ち合わせていて、それがあまりにもしつこいから、よくトラブルになる。
「綺麗だね」位であれば許容も出来るが、「唇が色っぽい」とか、「胸が大きいね」など、褒めているのか、ただ卑猥な目で見ているのか分からない言葉も多い。デルフィーは、彼女にそんな声をかけられるのが嫌だった。

 デルフィ―は、この畑に到着してからずっと、彼の背中に隠されるように立っていたアベリアへ声をかけた。

「さあ、帰りますよ」
「えっ、私、まだ何もしてないけど。デルフィー1人で全部終わらせちゃって、何かしなきゃ」
「いいんです。アベリア様と、海を見たいと言った私の我がままに付き合って貰ったので、これ位させてください」
「いや、でも、私がきちんとしなきゃいけない事なのに……」
「たまには、甘えるのも必要ですよ、アベリア様」

 ――――……。
 急に甘い声を出すデルフィーに、返す言葉も無いアベリアは、俯きながら彼に従い馬車へ戻った。
 
 彼女は、自分の顔が緩むのを必死に抑えながら、彼と並んで馬車に座っていた。
「好き」と、彼に直接言われた訳ではないけど、間違いなくそれは、彼の意思表示だったから。
 それに、彼女の人生は、家族でさえ優しさや思いやりを、彼女には与えてくれなかった。
 初めて与えられた、見返りを求めない優しさがくすぐったかった。
 自分が抱える彼への気持ちは「好き」なんて言葉では、足りなかったアベリア。

 アベリアは、ブドウ畑で彼の背中を見ながら、ふわふわと別の事を考えていた。
 突然彼に羽織らされた上着は、彼の匂いがしていた。
 今までで一番近くに彼がいるみたいで、まるで後ろから抱きしめられているみたいで、なんだかくすぐったかった。
 自分がデルフィーの後ろで、そんなことを考えていたせいで、説明のために用意した言葉を、すっかり忘れていた。そんなことは、恥ずかしくて彼には言えなかった。正直に言うと、デルフィーが農民達へ説明をしてくれてとても助かっていた。家庭教師や従者には1対1で話す機会はあっても、沢山の男性達を目の前にして話をするのは、怖かったから。

 彼女の口元には力が入っていて、必死に何かを、楽しそうに堪えている姿が可愛かった。
 彼はやっぱり嬉しそうに、彼女のそんな顔を見ていた。

 この領地の問題は、少しずつ整いつつあった。だけど、彼女の心の中では、それを「自分は最後まで見届けることは出来ない」と、確信に変わりつつあった。
 もう、彼への気持ちを我慢することが出来なくなってきていた。

 ヘイワード侯爵と離縁する娘の事を、自分の父は決して許してくれないだろう。それでも、その道を進みたかったアベリア。この先は、隠れる様に生きるしかないことも分かっていた。
 だけど、自分はそれでも構わなかったし、彼にその気持ちを伝えたかった。

 侯爵の邸の前で馬車が停まる。
 デルフィーの右手が、馬車から降りるアべリアへ差し出される。
 彼の手に、堂々と触れられる時間。
 エスコートの為に出された手に触れながら、彼を見つめて微笑みかけた。
「ありがとうデルフィー」
「当然の事ですので、ご遠慮なく」
 互いに、直接気持ちを打ち明けたことは無かったけど、一緒にいるだけで幸せな時間。

 ――その温かい空気を壊す、低い怒鳴り声が侯爵邸の前に響いた。

「おいアベリアっ! 領地で過ごすことを認めたが、妻の不貞を許した覚えはない。お前は男に愛想を振りまいて、媚びを売っているのか? 随分とデルフィーを手名付けてるようだが、侯爵夫人が恥さらしな事をしてるのはどういうことだ」

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