全てを失っても幸せと思える、そんな恋をした。 ~全部をかえた絶世の妻は、侯爵から甘やかされる~

亡くなった夫と、子どもを宿した妻

 いつもであれば、眠りにつく準備をするこの時間。
 そんな時分に侯爵夫人の部屋を訪ねる者など、本来であればいなかった。
 この日、体調の優れないアベリアは既に眠っていたのだから、邪魔をする者は殊更にいない筈だった。
 だけど、この時ばかりは従者たちも、悠長な事を言ってはいられなかった。
 つい今しがた、アベリアの夫であるケビンが息を引き取った。
 この邸の執事は、侯爵夫人を無理にでも、起こさなくてはいけなかった。

 ――コンコン。
 部屋をノックする音で目が覚めたアベリア。
 ――コンコン。
 ぞっとしたと同時に、急かす様にもう一度大きくノックする音が、部屋の中に響く。
 恐怖を感じつつ、自分の部屋を叩く人物へ応対するしかなかった。
 体調が悪いと伝えたにもかかわらず、妻の義務を課すために、侯爵が訪ねてきたとばかり思った。
 暗い気持ちで扉を開くと、別の恐怖を知らせる為に、執事が立っていた。
「奥様。奥様には大変お伝えしにくいことですが、ご当主が、晩餐の後に気分がすぐれないとおっしゃいまして、医師の診察を受けていたんですが、たった今、ご当主はお亡くなりになりました」

 ――……。
 突然の出来事に言葉も出ないアベリア。
 元々顔色が優れなかったのに、この知らせを聞き血の気が失せたせいで、さらに青ざめている。
「お元気だった当主が、突然お亡くなりになった原因はまだ分かりませんので、これから調べて行くところです」
「そうですか、原因が早く分かるといいけど……」

 アベリアは、マネッチアがカボチャのスープの話をしていたことを思い出した。
 当主が亡くなった、その原因には、確信ともいえる心当たりはあった。
 でも、まさか、それで当主が狙われるとは思ってもいない。
 愛人が当主を殺める理由が全くわからないし、愛人には不利益しか生まないのだから想像もつかなかった。
 愛情のもつれの可能性は、あの2人の関係を考えると、限りなく低く感じた。
 夫と愛人は、いつだって人目も憚らずベタベタと仲良くしていた。
(いったい誰が……)

 元から、従者達の事をよく知らないアベリア。
 従者の誰が信用できて、誰が信用ならないのか? それさえ分からない。
 もはや、この邸にいる者、全てが信用出来なくなっていた。
 だから、執事へ何も言えなかった。
 この邸の血縁関係など、知らされた事はない。だけど、相続争いなどは、貴族社会ではよくある話。
 この執事も、何者なのか分からなくなっていた。


「後、この話はご当主を弔ってから決めていく事になりますが、……ヘイワード侯爵位が誰に継がれるかで、此処で暮らし、働くものを変えることになります」
「(当主が亡くなった直後に後継者の話)――……」
「このような事を窺って大変失礼だとは思いますが、奥様はご当主の子どもを身に宿している事はありませんか? 一応、先月奥様とご当主は、領地でお会いになっていましたので。もし、そのような可能性があれば、性別にもよりますが、そのお腹のお子様が、有力候補のお一方となりますので」
 ヘイワード侯爵の子どもを宿しているはずは無かった。
 アベリアは一度も夫と子を成す行為をしたことはないのだから、当たり前に。


 直ぐに否定しようと口を開きかけたアベリアだけど、言葉を発する前に、待ちきれない従者が話し始めた。

「御者からも伺っておりますが、奥様の体調がお悪いのは、悪阻ではありませんか?」
「つっ(わり)……」

 そう言われてアベリアは初めて、日頃は馬車に酔う事のない自分に起きている、この体調不良の理由が腑に落ちた。
 ここ最近は、デルフィーと一緒に赤い香辛料を集め、ワインとリンゴジュースの製造が始まって忙しかった。その上、これから新しい人生を歩むための準備に追われていた。 
 ゆっくりと、自分の事を考える時間も無かった。
 そして、心当たりのある、あの夜の出来事を思い出した。
 あの初めての日。
 彼の熱を求めたあの夜。
 その可能性は、アベリアの頭を過り、確信に変わった。

 自分が、デルフィーの子どもを宿している。
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