全てを失っても幸せと思える、そんな恋をした。 ~全部をかえた絶世の妻は、侯爵から甘やかされる~
何も言わず気遣ってくれる彼、その優しさに涙する彼女
デルフィーからアベリアへ差し出された結婚誓約書。
彼が結婚誓約書を用意して、自分の事を待ってくれているとは夢にも思っていなかった。
彼女は、恥ずかしがりながらも、それに署名した。
大きくなったお腹が胸を押し上げる圧迫感なのか。
込み上げる幸福感なのか、胸がいっぱいだったアベリア。
「あとはこれを提出するだけです。そうしたら、もう、私たちは夫婦ですね」
そう言って、デルフィーは嬉しそうにアベリアのお腹を撫でていたし、顔を近づけて愛おしそうにしていた。
マネッチア以外にお腹を撫でられたことが無かったアベリア。
彼が自分を撫でているのか、お腹の子を撫でているのか、どっちにしても幸せな、くすぐったい時間だった。
デルフィーへ何も言わないまま彼の子を産もうとしていた自分。それを彼がどう思うのか不安だったけど、全く要らない心配で嬉しくなるアベリア。
この時、アベリアは自分の父親の事が気になった。
ケビンが亡くなってから、男爵家の父とは連絡を取っていなかった。
微かにその存在が、脳裏をかすめていた。
彼女は違和感を覚えている事を口にした。アベリアは、彼の言葉遣いが気になっていた。
当主であり夫となる彼が、いつまでも自分に対して丁寧な言葉を使う必要はないから。
「ねぇデルフィー、もう執事じゃないんだから、そんな丁寧な話し方じゃなくても」
「いつか、そうしても良いと思った時にはそうします。今だって、アベリアの名前に『様』を付けていないだけ、十分変わっていますので、気にしないでください」
「そんな……、それだと邸の人達に私が言わせてると思われる」
「ちゃんと私から説明しておきますから、気にしないでください」
アベリアは、納得していない表情をしたまま、もう何も言わなかった。
そして、夫が妻に話しかける丁寧な言葉遣いは、この先、何年経っても変わらない事だった。
「そういえば、どうしてデルフィーがドクダミを抜いてたの?」
「あ、すっかりそのことを忘れていました。アベリアが去年アレを嬉しそうに使っていたから、枯れる前に抜いていたんでした」
「当主自ら?」
「アベリアが去年していた事を知っているのは、私だけですから。後でいいので、庭にいる者へ、今後の作業を伝えておいてくれませんか?」
「じゃあ、一緒にやろうかな」
「なっ何、言ってるんですか。やっぱり、私から庭師へ伝えておきます。『あなたが来ても、何もさせるな』と」
「……マネッチア」
「……? あっ、あと、アベリアの部屋は、いつでも使えるように用意してます。マネッチアにも使いを出しますから安心してください。もっとゆっくり話していたいところですが、私は、この書類を届けなくてはいけませんから」
嬉しそうに俯く彼女。
彼は部屋まで送ると言ったけど、急いでいる彼の手を煩わせなくても、彼女はその部屋の場所を間違えるはずは無かった。
彼女が1人で向かった部屋は、以前、過ごしていたその空間と、よく似ていた。
それを見た彼女は、ただ自然に「ただいま」と、呟いた。
1年前、この部屋へ運んだ家具やランプ。それは、デルフィーしか知らないもの。
それが、ほとんど同じように揃っていた。
そっくりに用意された家具や調度品。それは、自分の為を想って用意された空間だった。
厳しかった父が惜しげもなく与えてくれたもの。彼女は、父親からの僅かな愛情をそこから感じていた。
長く使って、愛着も沸いていた。
あの時、お気に入りの品々を手放した時に抱いた寂しさ。
その気持ちが蘇ってきた。
そして何より、彼が一つ一つ丁寧に、戻って来るかもわからない自分の為に、買い集めてくれた。
その優しさが伝わってきた。
彼女のこれまでの人生は、悲しくて、辛くて、泣きだしそうになった時、必死に涙を堪えて生きてきた。
彼女の瞳から、何年ぶりになるか分からない涙が、ぼろぼろと、とめどなくこぼれおちた。
それは、紛れもなく嬉し涙だった。
一方……。
王都では、当主に苦言を呈する執事がいた。
「デルフィー様、既に出産間際の前当主の妻と結婚するなど、正気でしょうか? はっきり申して、誰の子かもわからないんですよ」
王都の執事は、デルフィーが婚約期間も持たず、突然結婚すると言い出したことに、困り果てていた。
「私が、私の子だと認めればそれまでだ。そんな事はいい。領地の事を一通り確認したら、妻を連れて来る。しばらくこちらで過ごすから、そのつもりでいてくれ」
****
それから1か月後、アベリアはデルフィーに手を握られ、男の子を出産した。
「ご当主! 嬉しいのは分かりますが、生まれたばかりの赤ん坊を、そんなに強く抱き締めてはなりません」
「わかっている。でも嬉し過ぎるだろう。こんなにかわいい子が、2人の子どもだなんて夢みたいだ」
「ご当主! 奥様が大切なのはわかりますが、奥様はご自分でグラスを持って飲めます。そんなに奥様の横に張り付いていなくても、私に任せて頂いて大丈夫です。奥様は、このあと少しお眠りになっていただきますから」
「わかっている。でも頑張ったアベリアに、私が出来る事なんてこんな事しか思いつかないんだ。それに、眠るなら、添い寝が必要ではないか」
「そんなの要らないでしょう……って奥様、何を嬉しそうな顔してるんですか? 全く、もう。ご当主だって奥様に付きっきりで、寝てないんですから、2人とも少しお休みになった方がよろしいですよ。では、お2人がイチャイチャするのに、お邪魔な私は下がらせていただきますね」
ますますハッキリと、言いたい事を言う侍女のマネッチア。
これまではアベリアの事をお嬢様と呼んでいたけど、すっかり変わっていた。
全てを失ったはずのアベリアは、侯爵夫人のまま、愛する夫と、2人にとっての宝ものを手にしていた。
そして、彼女がまだやりかけていること。
アベリアが作りたいと言ったワイン……。
それと、もう一つ、失ったままの関係……。
……。
彼が結婚誓約書を用意して、自分の事を待ってくれているとは夢にも思っていなかった。
彼女は、恥ずかしがりながらも、それに署名した。
大きくなったお腹が胸を押し上げる圧迫感なのか。
込み上げる幸福感なのか、胸がいっぱいだったアベリア。
「あとはこれを提出するだけです。そうしたら、もう、私たちは夫婦ですね」
そう言って、デルフィーは嬉しそうにアベリアのお腹を撫でていたし、顔を近づけて愛おしそうにしていた。
マネッチア以外にお腹を撫でられたことが無かったアベリア。
彼が自分を撫でているのか、お腹の子を撫でているのか、どっちにしても幸せな、くすぐったい時間だった。
デルフィーへ何も言わないまま彼の子を産もうとしていた自分。それを彼がどう思うのか不安だったけど、全く要らない心配で嬉しくなるアベリア。
この時、アベリアは自分の父親の事が気になった。
ケビンが亡くなってから、男爵家の父とは連絡を取っていなかった。
微かにその存在が、脳裏をかすめていた。
彼女は違和感を覚えている事を口にした。アベリアは、彼の言葉遣いが気になっていた。
当主であり夫となる彼が、いつまでも自分に対して丁寧な言葉を使う必要はないから。
「ねぇデルフィー、もう執事じゃないんだから、そんな丁寧な話し方じゃなくても」
「いつか、そうしても良いと思った時にはそうします。今だって、アベリアの名前に『様』を付けていないだけ、十分変わっていますので、気にしないでください」
「そんな……、それだと邸の人達に私が言わせてると思われる」
「ちゃんと私から説明しておきますから、気にしないでください」
アベリアは、納得していない表情をしたまま、もう何も言わなかった。
そして、夫が妻に話しかける丁寧な言葉遣いは、この先、何年経っても変わらない事だった。
「そういえば、どうしてデルフィーがドクダミを抜いてたの?」
「あ、すっかりそのことを忘れていました。アベリアが去年アレを嬉しそうに使っていたから、枯れる前に抜いていたんでした」
「当主自ら?」
「アベリアが去年していた事を知っているのは、私だけですから。後でいいので、庭にいる者へ、今後の作業を伝えておいてくれませんか?」
「じゃあ、一緒にやろうかな」
「なっ何、言ってるんですか。やっぱり、私から庭師へ伝えておきます。『あなたが来ても、何もさせるな』と」
「……マネッチア」
「……? あっ、あと、アベリアの部屋は、いつでも使えるように用意してます。マネッチアにも使いを出しますから安心してください。もっとゆっくり話していたいところですが、私は、この書類を届けなくてはいけませんから」
嬉しそうに俯く彼女。
彼は部屋まで送ると言ったけど、急いでいる彼の手を煩わせなくても、彼女はその部屋の場所を間違えるはずは無かった。
彼女が1人で向かった部屋は、以前、過ごしていたその空間と、よく似ていた。
それを見た彼女は、ただ自然に「ただいま」と、呟いた。
1年前、この部屋へ運んだ家具やランプ。それは、デルフィーしか知らないもの。
それが、ほとんど同じように揃っていた。
そっくりに用意された家具や調度品。それは、自分の為を想って用意された空間だった。
厳しかった父が惜しげもなく与えてくれたもの。彼女は、父親からの僅かな愛情をそこから感じていた。
長く使って、愛着も沸いていた。
あの時、お気に入りの品々を手放した時に抱いた寂しさ。
その気持ちが蘇ってきた。
そして何より、彼が一つ一つ丁寧に、戻って来るかもわからない自分の為に、買い集めてくれた。
その優しさが伝わってきた。
彼女のこれまでの人生は、悲しくて、辛くて、泣きだしそうになった時、必死に涙を堪えて生きてきた。
彼女の瞳から、何年ぶりになるか分からない涙が、ぼろぼろと、とめどなくこぼれおちた。
それは、紛れもなく嬉し涙だった。
一方……。
王都では、当主に苦言を呈する執事がいた。
「デルフィー様、既に出産間際の前当主の妻と結婚するなど、正気でしょうか? はっきり申して、誰の子かもわからないんですよ」
王都の執事は、デルフィーが婚約期間も持たず、突然結婚すると言い出したことに、困り果てていた。
「私が、私の子だと認めればそれまでだ。そんな事はいい。領地の事を一通り確認したら、妻を連れて来る。しばらくこちらで過ごすから、そのつもりでいてくれ」
****
それから1か月後、アベリアはデルフィーに手を握られ、男の子を出産した。
「ご当主! 嬉しいのは分かりますが、生まれたばかりの赤ん坊を、そんなに強く抱き締めてはなりません」
「わかっている。でも嬉し過ぎるだろう。こんなにかわいい子が、2人の子どもだなんて夢みたいだ」
「ご当主! 奥様が大切なのはわかりますが、奥様はご自分でグラスを持って飲めます。そんなに奥様の横に張り付いていなくても、私に任せて頂いて大丈夫です。奥様は、このあと少しお眠りになっていただきますから」
「わかっている。でも頑張ったアベリアに、私が出来る事なんてこんな事しか思いつかないんだ。それに、眠るなら、添い寝が必要ではないか」
「そんなの要らないでしょう……って奥様、何を嬉しそうな顔してるんですか? 全く、もう。ご当主だって奥様に付きっきりで、寝てないんですから、2人とも少しお休みになった方がよろしいですよ。では、お2人がイチャイチャするのに、お邪魔な私は下がらせていただきますね」
ますますハッキリと、言いたい事を言う侍女のマネッチア。
これまではアベリアの事をお嬢様と呼んでいたけど、すっかり変わっていた。
全てを失ったはずのアベリアは、侯爵夫人のまま、愛する夫と、2人にとっての宝ものを手にしていた。
そして、彼女がまだやりかけていること。
アベリアが作りたいと言ったワイン……。
それと、もう一つ、失ったままの関係……。
……。